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[1989.04]映画『スール その先は…愛』での至高のタンゴ人たちとアルゼンチンの歴史背景

文●本田 健治 Texto por KENJI HONDA

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 「スール」は私たちに愛の歴史を語ってくれているものであると表明したい。これは、一組の夫婦の愛であり、ある国への愛の歴史なのである。

  これは帰還の歴史である。

 『スール』はその映画の中で「夢のテーブル」と呼んできた、あの時代のアルゼンチン人たちを私たちに思い出させてくれる。私は彼らから学んだ。彼らに感謝する。彼らは政治的な信条を超えて、遺産として私たちにひとつの果たすべき約束を残してくれた。彼らは「南の自由な人間たちの理想郷」を実現したい人たちであった。

 それは夢の中の夢だった。

 その夢は続いて欲しいものだ。

 「スール」は私たちに、再会と友情について私たちに語りかけてくれる。それは、死に対する生の勝利であり、遺恨に対する愛の、抑圧に対する自由の、恐怖に対する願望の勝利なのである。だから、これは帰還の歴史なのである。

 また『スール」は、わがどもりの人間のように「ノー!」と言うことを知っていたすべての人々へのオマージュであることを表明しておきたい。彼らは誇りを持ちつづけた人たちだった。不正に対し、抑圧に対し、売国行為に対し「ノー!」と言ったのである。

 最後に、すべてが国内で制作された映画「スール」は、もっとも純正な、もっとも想像力に富んだ、もっとも厳格で詩的な映画を、というスタッフとアーティストたちの努力の結品であることを表明しておきたい。この映画は、あの時代に私たちの映画館を埋めつくしてくれた観客をもう一度よび戻すための映画でもある。以上のような情況の中で、この映画は文化的アイデンティティを確立するという約束を果たす役割をになっている。

 愛する友人たちよ、ここに「スール」がある。心によって創られ、そして今あなたたちのものになる。


フェルナンド”ビノ”ソラーナス

   これは、昨年5月にブエノスアイレスで初めて『スール」を見た時、会場で配られたバンフレットにあったソラーナス監督の言葉である。彼の初めての「愛」をテーマにした作品だが、単純なラブ・ストーリーではなく、いろいろな愛の形、普遍的な「愛」がテーマになっている。昨年の前半はブエノスアイレスのほとんどの映画館が「スール」一色で、もちろん非常に評価の高かった作品である。

 さて、この映画については先月号で河原さんが詳しく書かれているので、今回は、その中の音楽と,その重要な政治的背景について少しつけ加えさせていただこうと思う。

 『タンゴーガルデルの亡命』でも、タンゴは重要な存在だったが、この「スール」ではそれ以上の存在感で現われる。アルゼンチン人たちがもっとも好んでいる本質的なタンゴの名曲が使われている。「『スール』はひとつの長いタンゴ、あるいはたくさんのタンゴの集まり」とソラーナス監督が言うように、使われる、というよりこの映画の基本コンセプトとして生きている。まず、もっとも頻繁に画面に現われるオメロ・マンシとアニバル・トロイロの『スール」。

▲上は今年のTango BsAs digital Festivalの中に紹介されたゴローリ&エドゥアルドのパートの「ガルデルの亡命」の中の評判の高かったダンス・シーン。

古いサンフアンとボエド通り角                    一面の空―ポンページャ区—彼方は洪水                思い出の中にきみの娘っぽい長い髪                  そして別離の言葉の上に浮いたきみの名前               鍛冶屋の街角—ぬかるみと草原きみの家、               きみの歩道、堀割り                         そして野の草とアルファルファの香りが                ふたたび私の心を満たす
南…大きな壁 その先は…                      南…酒場の灯                            もうきみは見ることはないだろう                   あの頃のように店のガラス窓によりかかり               きみを待っていたわたしの姿を                    もう私は星で照らすことはないだろう                 ポンページャ区の夜
ふたりの仲良しの散歩を
通りも下町の月もわたしの愛もきみの窓も
すべては死んだ 解っているよ
古いサンフアンとボエド通りの角
失われた空―ポンページャ区から土手へ
愛情に震えるきみの20歳
わたしが奪ったくちづけの下で
過ぎ去ったことどものノスタルジー
人生が運び去った砂
変わってしまった街の夢                       
死んでしまった夢のにがさ


トロイロ=マンシのスール

 これは、アルゼンチン人なら誰もが愛する名曲である。歌謡という概念よりは、文化的アイデンティティを示す、アルゼンチン人の誇り、精神的支柱とさえ言うべき歌なのである。クーデターで国を追われた芸術家や文化人たちが異国の地で、この曲に触れながら涙したというほどに、そこに流れる詩情、風景、哲学、すべてがアルゼンチンの「心」を表現している曲だ。この曲が、この映画の中で占めている役割は大きい。テーマ曲としては、ビアソラ曲、ソラーナス詞の「南へ帰ろう」があって、これも親しみ易い佳曲なのだが、映画全体を動かすエネルギーとしては、圧倒的にマンシの「スール」が重要な位置を占めている。


 オメロ・マンシは1907年サンティアーゴ・デル・エステーロ州の出身だが、幼少時代にすでにブエノスアイレスに出てきて、場末の空気の中で育った。ポエド地区に住み、青年時代の同地区の友人だったカトゥロ・カスティージョの父、ホセ・ゴンサレス・カスティージョ、あるいは長兄ルイス・マンシオーネの影響でアルゼンチンの歴史に没頭、ポルテーニョの美学を求めた。彼はタンゴの現代的な抒情詩を確立した人で、安直な俗語を使用せず、しかも永遠に失われない文学的香りをたたえた作品を残し、アルゼンチンの詩作の世界では、スペイン語の語法研究や愛情表現など、多大な功績を残してきた。それでいて、自分をひけらかすことなく、詩集のひとつも残さずに、すべての国民に愛されたまま51年にこの世を去った。「詩の犠牲者」とすら呼ばれている。

 このマンシがトロイロと創った「スール」は48年に発表したものだったから、この映画が発表になった昨年はちょうど作品誕生40年だったわけである。ソラーナスは、この曲への昔からの思い入れに加え、亡命時代に内から生まれてくる望郷の念の、祖国への愛のシンボルとして「スール」制作の重要なモチーフとしてこの曲を考えていたに違いない。

 この映画の中で、主人公のフロレアルを援助するエミリオという作家が登場するが、彼はFORJA(フォルハ=アルゼンチン青年急進勢力—何故かスーパーでは省かれている)というグループについて言及している。これは1930年のウリブル将軍によるクーデター(アルゼンチンで今世紀最初の軍事クーデター)後、さまざまな政治信念を持つ、あるいは急進党の多くの知識人がこの名のもとに再結集、市民レジスタンスの態度で、独裁制に対抗した勇気あるグルーブだった。オメロ・マンシはウリブルのクーデター前の大統領、急進党のイリゴージェンに傾倒して以来、このFORJAの創立者として活躍した重要人物でもあった。ソラーナスのこの映画の「夢のテーブル」の中に出てくる「あの時代の人々」の重要なサンブルがオメロ・マンシだったに違いない。

 さて、オメロ・マンシと並んで「あの時代」のシンボルとして登場するのがアニバル・トロイロである。アルゼンチン・タンゴ界にあって、トロイロの演奏スタイルはすべての流派の集大成といわれ、その感情表現の見事さは、まったく他の追随を許さない定評あるものだった。それでいて暖かい、包容力のある人間性の持ち主で、アルゼンチンのすべての国民に愛されながらクーデターの起きる前年、75年5月19日に世を去った。この映画には、主人公フロレアルのかつての友人、エル・ネグロが登場して、エル・ムエルト(死人)を自称しながら史実や秘密を暴く役割を担う。この死んでしまったはずの男とフロレアルは、街を彷徨しながら、政治犯として服役していた5年間の家族や祖国の変化を告げるのである。そしてもうひとり、アマード (ゴジェネチェ=フロレアルの妻の父の役)が「あの時代の友人たちも、夢のテーブルも何もかもみんな死んでしまった」として紹介するエル・ゴルド(マルコーニ)は、アニバル・トロイロとオーバーラップする。死者たちの夢は極端な弾圧政治によって無残にも打ち砕かれてしまった。しかし、夢は生きている……生かそう、とソラーナスはこの映画を通じて訴えるのだが、このふたりの死者は、残されて生を与えられた人すべてにこれを訴え、天からの検証人として夢の実現を見守るのである。最後のクライマックスで、アニバル・トロイロ自身の声で「わが街へのノクターン」の一節が披露される。

誰かがいつか言た。                         お前は街を去ったと。                        いつ?それはつ?                          俺はいつもここにる。                        もし忘れたら、うちの屋根の上でまたたくが              手で招くように、俺に話しかる。                   …ゴルド…戻っておいで…

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