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[2017.08]追悼 高場将美さん

文●本田 健治

 本誌「ラティーナ」は、1983年までは「中南米音楽」という誌名だった。元々はタンゴやラテンの愛好会の機関誌みたいなものが徐々に発展して行ったものだ。50〜60年代半ばのタンゴ・ブームの頃にはジャズやポップスと並んで洋楽ブームの大きな一端を担った雑誌だった。60年代になってビートルズ旋風が吹き荒れた頃から、ラテン、タンゴの中南米音楽はやや衰退気味だったと聞く。「中南米音楽」の中西社長は目黒・三田の狭いアパートの一室で、いろいろな愛好家たちの手を借りて、この雑誌を切り盛りしていたらしい。編集はもともとタンゴ愛好家の皆さんがいたが、ラテンは谷川越二さんがほとんどを書き、そこに、濱田滋郎さん、中村とうようさんは、既に名のあるライターであったが、当時は無料でこの雑誌に投稿協力していた。そんな状態のところに嬉しい、デキる若者が現れた。東京外国語大学スペイン語学科の学生で、フラメンコが大好き、タンゴは神保町の「ミロンガ」に通い詰め、実際の音を聴きながら、歌詞を聞き取り和訳しながら覚えて行った。いつの頃からか「中南米音楽」でアルバイトをしながら、1964年の東京オリンピックに向けて、スペイン語への関心が昂まる中、一般人を対象にしたスペイン語の講座をもったりしていた。オリンピックでも通訳として既に大活躍したようだ。その当時、彼は上智大学でやっていたスペイン語の講座の生徒だった滋子夫人と知り合い、オリンピックの年に結婚した。

 それが高場将美さんである。

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