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【訃報】1970年代に新しいブラジリアンブラックミュージックの礎を築いたカシアーノが新型コロナウィルス感染で死去

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 チン・マイア(Tim Maia)、イルドン(Hyldon)と並ぶ三大ブラジリアン・ソウルの偉人、チン・マイアが歌って1970年にヒットさせた「Primavera (Vai chuva)」や「Eu amo você」の作者のカシアーノ(Cassiano|ギタリスト/歌手/作曲家|1943年9月16日 - 2021年5月7日)が、5月7日(ブラジル時間16:30/ 日本時間5/8 AM4:30)に、新型コロナウィルス感染により亡くなりました。77才でした。リオデジャネイロ市のゾナ・オエスチ(西部)の病院に入院していました。

 1970年のチン・マイアのデビューアルバム『Tim Maia』で、ブラジルのサンバと当時の米国ブラックミュージックの主流だったモータウンが融合した新しいブラジリアン・ブラックミュージック・ムーヴメント「ブラック・リオ(Black Rio)」が始まったとされます。その中のヒット曲のうちの2曲(「Primavera (Vai chuva)」と「Eu amo você」)が、カシアーノとシルヴィオ・ホシャエル(Silvio Rochael)のコンビによるものでした。
 「ブラック・リオ・ムーヴメント」の始まりにおいて、チン・マイアが歌い手で、その作曲家はカシアーノでした。

 しかしながら、歌手としてのカシアーノが残した作品は多くありません。カシアーノ自身の残した作品を紹介します。

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 カシアーノは、1943年9月16日、パライバ州のカンピーナ・グランヂで生まれました。本名はジェニヴァル・カシアーノ・ドス・サントス(Genival Cassiano dos Santos)。幼少期に家族で、リオへ移り住みました。

 10代の頃からギターを習い始めました。音楽一本で生計を立てられるようになるまでは、見習いのレンガ職人として稼いでいました。

 楽器奏者であった父親に支えられながらも、音楽家への道を進み、20才を過ぎた1960年代半ばには、2人の兄弟とボッサ・トリオ(Bossa Trio)を結成。

 次のグループであるオス・ヂアゴナイス(Os Diagonais)では、アルバムを2枚録音しました。1969年のアルバム『Os Diagonais』と1971年のアルバム『Cada Um Na Sua』です。オス・ヂアゴナイスとしは、数々の録音に、バッキング・ヴォーカルとしても参加していました。

 また、同時期の1968年から1969年に、プロジェクト色のあるグループ、ア・トゥルマ・ダ・ピラントラージェン(A Turma da Pilantragem)の第1期メンバーとして参加。1968年のアルバム『A Turma da Pilantragem』の録音にも参加している。

 チン・マイアの歌でヒットした「Primavera (Vai chuva)」と「Eu amo você」の作者として名前が知られるようになったのは1970年。同曲の録音に、カシアーノはギターとバッキングヴォーカルでも参加。


 カシアーノ自身がソロデビュー・アルバムをリリースしたのは1971年『Imagem e Som』。

 2ndアルバム『Apresentamos nosso Cassiano』のリリースは、その2年後の1973年。


 歌手としてのカシアーノの最初のヒット曲となったのは、1976年にリリースされた3rdアルバム『Cuban Soul』に収録されたロマンティック・ソウル・バラード「A Lua e Eu」が最初でした。当時の他のヒット曲と一線を画す洗練されたハーモニーと、実存主義的な歌詞が特徴的な曲ですが、ドラマのサントラ(TVグローボのノヴェーラ「O grito」)に取り上げられたことがきっかけで、ラジオ局でもパワープレイされるようになりました。

 アルバム『Cuban Soul』は、ソウルやR&Bと、サンバ・カンサォンやボサノヴァ以降のジャズ的なハーモニーが融合した作品として、これ以降のブラジリアン・ソウルの基準となる作品となりました。アルバムから「Coleção(1990年代にはイヴェッチ・サンガロがカバーしヒット)」「Onda」「Salve essa flor」などもラジオ・ヒットしました。 

 しかしながら、1978年、健康上の理由で肺を摘出。その後、歌手としての活動を断念せざるを得なくなりました。しかし、カシアーノは作曲を続けていました。

  1991年、『Cedo ou Tarde』をリリース。自身の歌の他、エヂ・モッタ(Ed Motta)、ジャヴァン(Djavan)、マリーザ・モンチ(Marisa Monte)、ルイス・メロヂア(Luiz Melodia)、サンドラ・ヂ・サー(Sandra de Sá)らが参加し、ヒット曲の再録音と新曲(「Kwno-how」が出色の出来)を収録しています。ヴォーカルはジャケットのようなブルースマン的な佇まいもありつつ、サウンドは、当時のコンテポラリーなフュージョン色のあるサウンドです。独特のロマンチックなメロディーにやはり胸を掴まれます。

 「ブラック・リオ・ムーヴメント」が再評価される度に、カシアーノの作品は再発されたり、コンピレーションがリリースされましたが、オリジナル・アルバムとしては1991年の『Cedo ou Tarde』が最後の作品となってしまいました。

 77才で亡くなりましたが、70代に入ってからも創作意欲を持ったままだったということです。合掌。

(ラティーナ2021年5月) 

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