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[2023.2]【太平洋諸島のグルーヴィーなサウンドスケープ㉛】 台湾原住民と日本を結んだ歌 ―「サヨンの鐘」の物語―

文●小西 潤子(沖縄県立芸術大学教授)

 台湾と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。まずは、身近な海外旅行先? ― タピオカミルクティ、小籠包、大鶏排ダージーパイ(台湾唐揚げ)などのグルメが人気ですよね。昭和時代であれば、野球の王貞治、歌手のジュディ・オングやテレサ・テンなど有名人のお名前かも知れません。最近のニュースでは、台湾有事が気になるところ…。飛行機で沖縄本島からだと1時間半、日本最西端の与那国島からだと110kmしか離れていません。それだけに、沖縄とのつながりは琉球王国時代にまで遡ります。

 しかし、台湾が原住民、福佬人、客家人、外省人から構成される多民族社会であることは、あまり意識されていないかも知れません。後者3つは漢人ですが、原住民とは漢人の移住以前から暮らしていた人々をさす公的な語です。アミ族、パイワン族、タイヤル族、ブヌン族など、それぞれ独自の文化をもつ16民族が台湾政府から認定されていますが、現在人口は55万人ほどと、全体の2%強に過ぎません。

 台湾原住民は、オーストロネシア(南島)諸語を母語とします。実は、本エッセイでとりあげてきた太平洋諸島の人々の祖先にあたるという説もあるのです。17世紀から19世紀までのオランダ時代、明鄭時代、清代を経て、1895年から1945年まで日本統治下におかれたことは周知のとおりですが、原住民に関する包括的学術調査は、日本統治時代に初めて行われました。有名な故宮博物院から徒歩3分ほどの順益台湾原住民博物館では、原住民の文化や暮らしが紹介されています。

 東海岸には原住民集落が多く残されており、人口の約3分の1を原住民が占める台東県では、その文化体験ができます。その1つが、香蘭村新香蘭近くの拉勞蘭 Lalaulan 集落にあるパイワン族のゲストハウスです(写真1)。近隣のアミ族の文化が浸透し、自文化喪失の危機にあった1990年代半ば、パイワン族の青年たちが作った施設です。ここを拠点に、パイワン語や狩猟生活などが伝承され、夏休みには1か月ほど子どもたちのために山の中で合宿が行われます。自然の中での生存能力が身につくことから、漢人の父兄も進んで子どもたちを参加させるとのことです。

写真1 拉勞蘭 Lalaulan 集落での文化体験ツアー
(於:台湾台東県太麻里郷 2014年12月4日 撮影:小西潤子)

 宜蘭縣南澳鄉の小学校を訪問した時には、原住民文化を表現した校舎に圧倒されました。校庭では原住民が大切にしてきた植物が栽培され、「原住民民族資源教室」には、村の古い写真や子どもたちが描いた入れ墨をした先祖の絵、民具が展示されていました(写真2、写真3)。

写真2 宜蘭県碧候国民小学の建物
(於:台湾宜蘭 2012年3月9日 撮影:小西潤子)

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