Festival & Mundial Tango BA 2022ブエノスアイレス,最高のタンゴの祭典が9月6日オープン〜レポートその1
レポート●本田 健治 texto por Kenji Honda
2年前から世界を襲ったコロナ禍のせいで、ずっと眺めてきた昨年の世界選手権だが、2年間続けて参加できなかった。一昨年は、海外からの直接の参加者も少なく、特に見るべきものはなかったようだが、昨年の出場者には目を見張る逸材が多かった。ステージのチャンピオン、エマヌエル・カサル&ジャニーナ・ムシカは、今春に会って話もしたが、彼らのレベルはもう選手権の域を軽く超えた逸材だ。タンゴ以外のダンスにも長けていて、自分たちの世界、新しいタンゴの世界を目指したい、と二人とも声を大にして言う。ステージのチャンピオンではあるが、彼らにいろいろなビデオを見せてもらったところピスタの方もかなり見せ所を作る本格的なタンゴ・ダンサーだ。選手権の順位にかかわらず、自分たちの独自ダンスを目指す意気込みが凄い。タンゴ・ポル・ドスの最初の公演で、あのミゲル・アンヘル・ソト&ミレーナ・プレブスのダンスを観たとき以来の衝撃だ。もっとも、ステージ以外の部門、ピスタ部門でも、変化が本格的になってきた。選手権が始まった頃から、ピスタ部門の規定についてはいろいろな議論があったが、最初から巨匠のエドゥアルド・アルキンバウが言っていた「もっと自由に踊る部分がないといずれ飽きられる」という意見がいよいよピスタの世界にもはっきり現れてきた。ミロンゲーロたちの、もっと動きが自由になったダンスが許されるようになって、観客側から観ていても楽しくなってきた。今年5月のメトロポリタンの選手権を観覧したが、もうかなりはっきりと古い規制は撤廃されてきた。特にピスタ部門は,もう昔の順位も関係なくなるほどダンスも違うものになってきている。
さて、この2月、4月と、コロナでの入国規制がとれてから、イベントが続いてブエノスにやってきた。しかし、前回まではまだまだコロナの影響下。どのイベントもマスク着用、PCR検査義務など、楽しむ前に気分を削がれる規制が多かったが、今回は入国の段階からほとんど規制が解かれて、すべてがコロナ前の感覚で楽しめる準備ができていた。
今のブエノスイアレスでは、週末に若者たちが集まって騒げるバーやレスランの中には閉店を余儀なくされて、シャッターを閉めたままの店が結構あったり、繁華街の明かりも減って、まだまだコロナ前に比べると暗い感じも多い。しかも、アルゼンチンでは、各州の自治体がコロナの感染対策を仕切っていて、PCRの検査、ワクチン接種は市の職員、その中でも、本来はイベント専門のこの選手権(など市のイベントの)スタッフが中心になって、PCRの検査体制の設計から、手配、実施まで昼夜を問わず奮闘していた。しかし、彼らの頑張りもあって、今年のこの世界選手権は、世界中からの参加者も多く、久しぶりに大いなる開放感の中での開幕となった。
さて、フェスティバル&ムンディアル・デ・タンゴBA2022(こちらでの現在の正式なイベント名称)は、9月6日から2週間の間繰り広げられる。まずは、ムンディアル(世界選手権)の申込みが8日まで、ということで5、6日には世界中からダンス仲間が集まってきた。アジアのチャンピオンたちも無事申請できたよう。で、今年のアジアチャンピオンには、航空券だけでなく、ブエノスアイレスのタンゴ・ハウスへの出演も約束されている。ステージのチャンピオンは、14日夜の出演が決まった。新装したばかりの「ミケランジェロ」への出演だ。隣の「ラ・ベンターナ」のオーナーが長く閉鎖されていた、一番伝統あるタンゴ・ハウスを買収して、完全に新装オープンにこぎ着けたばかり。このコロナ禍でも、経営者の努力によってはこうして規模拡大に走った成功例もある。出演オルケスタはセステート・マジョールとその時々の売れっ子歌手たちがステージを飾る。その中でステージのアジアチャンピオンが優勝曲を踊るという仕掛けだ。ここの芸術監督が、以前のアジア選手権でも審査委員長を務めたヘスス・ベラスケス。実は今年の3月に長い友人であるヘススからの申し出で、アジア選手権のチャンピオンには「ミケランジェロ」でのダンスを、という提案を受けて実現したものだ。もうすっかり準備してくれていた。
ところで、アルゼンチンに着いてすぐ、日本の事務所からクリスティーナ副大統領の暗殺未遂事件があったと連絡が来て驚いた。TVをつけると、もっぱらそのニュースばかり。現在の左翼政権の中でも最も左寄りと言われるクリスティ-ナ副大統領は、前政権が残したIMFから借りた膨大な借金が返せず、ロシアがウクライナに侵攻する直前に、アルベルト大統領がロシアと中国を訪れて経済交渉をした。その経緯もあって、現政権はロシアの酷い侵攻騒ぎがあっても私たちはどちらの側にもつかない、と表明したところ、世界中からも、アルゼンチン国内からも大ブーイングが起き、すぐにウクライナ支援に傾いた経緯がある。現在は、マッサ経済大臣がワシントンに向かい、アルゼンチンは欧米と歩調を合わせる、との方向を示し、新たな借金枠を拡大して帰国するところ。大統領のアルベルトは現実主義者で、前回のマクリ政権が残した借金で今こうなっている、だから新しい若く優秀なマルティン・グスマン(ノーベル賞の選定委員でもあるジョセフ・スティグリッツ博士の愛弟子)を経済大臣にし、IMFに返済の猶予がほしいと交渉していたがうまくいかず、最近2度の経済大臣交代劇が続き、今は元大統領候補でもあったセルヒオ・マッサが経済大臣になったばかり。まぁ、クリスティーナが大統領の時に次のマクリ政権に大きな借金を残したことなど知りませんと言わんばかり。いずれにしても、今回はなんとか借金返済のめどが見えたところらしい。我々凡人音楽ファンとしての本音は、もう少しペソが下がりきったままの方が、滞在中の物価が安くてすんだのだが ……。
コロナからの解放と明るい兆しが見えてきたところにこのクリスティーナ騒ぎ。クリスティーナ副大統領の人気が落ち始めていたので、あの事件は自作自演じゃないか、とかいろいろ言われはじめてもいる。いろいろ事件が重なっているし、アルベルト大統領もこの事件は「後は司法に任せよう」と幕引きを図っているからこれ以上の騒ぎにはならなさそうな気配でもある。そして、なんとエリザベス女王の逝去の報もこれに追い打ちをかけるようにTVの画面を独占しているが(もちろん、我が日本の訳のわからない「国葬」の報は1秒たりとも流されていない)、この国のタンゴ熱はそんなものでは変わらない。ウシナには朝早くからたくさんのファン、出場者たちが詰めかけた。
さて、今年のフェティバル&ムンディアルは、9月6日から18日までの約2週間、素晴らしいアーティストによる100以上のアクティビティを無料で楽しむことができる。その中には、セステート・マジョール、マリア・グラーニャとオルケスタ・サンスーシー、エステバン・モルガード、マリア・ガライ、コランジェロ、マリア・ニエベス、ミゲル・アンヘル・ソト等々が協力する。また、ダンスクラスや展示、講演、ワークショップなどの他、ウェブサイトを通じたさまざまなバーチャル活動も行われる。場所も本会場であるウシナ・デル・アルテはもちろん、全ブエノスアイレスでイベントが開催されている。
今年もアストル・ピアソラ生誕100周年を祝うイベントが組まれている。ピアソラが幼少の時に過ごしたニューヨークで、父ビセンテと一緒にカルロス・ガルデルと会ったときのことを思い出しながら、ガルデルに書いた手紙も展示されている。当時13才だったピアソラはガルデルをチャーリーと呼び、父ビセンテが木彫りの人形をプレゼントし、そして、その返礼として、ガルデルがプロマイドを2枚くれた。一枚はビセンテに、そしてもう一枚はピアソラに宛てたもので「いい子で将来の偉大なバンドネオン奏者に」と書かれていた。
「1934年から1978年まで、私はあなたの期待を裏切りませんでした。ロングアイランドのパラマウント・スタジオにあるあなたの映画に、よく私を連れて行ったことを覚えていますか?1934年2月、その年最悪の雪で、高さ2メートル、氷点下10度、私はあなたに会いたがっている女の子に褒め言葉を伝える通訳をしていました…「El día que me quieras」の撮影終了後、バーベキューをご馳走してくださった夜のことは、一生忘れないでしょう。ニューヨーク在住のアルゼンチン人、ウルグアイ人にとっても名誉なことでした。アルベルト・カステリャーノがピアノを、私がバンドネオンを弾くことになっていたのを覚えています。もちろんあなたの歌に合わせてです。私はピアノの調子が悪くて一人で弾く羽目になり、あなたは映画のテーマを歌うというとんでもない幸運に恵まれました。 なんという夜でしょう。チャーリー! それが私のタンゴの最初の洗礼でした。人生初のタンゴ、そしてガルデルの伴奏! 忘れられません」(少しだけ紹介するつもりが,感動的な内容でついここまで書いてしまった。映像も公開されたのでここにアップしておく。まだまだ手紙は長いので、いつかまとめて紹介してみたい。)
9日の夜、ウシナ・デル・アルテ(芸術の発電所)という今回のメインの建物の大ホールでオープニング・イベントが開かれた。今回のイベント全体の芸術監督は来日経験が何度もあり、日本でのファンも多い、ナターチャ・ポベラフ女史。ダンスもさることながら,頭脳明晰で評判の才媛だ。アーティストのブッキングも素晴らしい。(今回の取材で行く先々を自由に回れたのは、この女史がすべて事前に手を打ってくれていたからだ。感謝。)
2022年9月6日は、もうアルゼンチン・タンゴの伝説の名ダンサー、マリア・ニエベスの88才の誕生日であり、今年から彼女を記念してはじめて「タンゴ・ダンサーの日」が制定される年になった。彼女が、ここまでアルゼンチン国民に愛されるのは、アラバル、場末のダンスを限りなく昇華させ、きらびやかなステージの世界と導いた最初のダンサーだったから。もちろん、昨年1月に亡くなったコーペスとの共同作業ではあったのだが…。是非、彼女の「100万ドルの足」のダンスを拝みたいとたくさんのファンが詰めかけたが、あの相変わらず細長い足は見せてくれたものの、さすがにダンスをすることはなかったが、最高の笑顔で聴衆に挨拶してくれた。そして、作家で、生粋のミロンゲーロであるフリオ・ドゥプラが、ブエノスアイレスの有名なミロンガから集めたマエストロたちのダンス。ニルダ&ルイス・ビルトゥアーニ、ヘイディ&オスカル・マラグリーノ、モニク・ラライン&セルジオ・デ・ラ・ロサ、シルビア・ムッチ&フアン・アロンソ、スサーナ・ソア&ホルヘ・ガルシア、リリアナ&ホルヘ・ロドリゲス等が伝統の技を惜しみなく披露してくれたし、もう一人の伝説的な人物、偉大なる "ポチョ" ピサロで、箒を使った有名なダンスでも披露してくれた。昔からの熱いブエノスアイレスの空気、匂いを十分に伝えてくれた後は「未来の伝説」とも言われ、最も受賞歴の多い若手の歌手アリエル・アルディトのライヴ・ショー。
アリエル・アルディトの母親はフォルクローレの有名歌手で、日本でフォルクローレがブームになった頃、弊社が招聘にも携わった。アリエルはその母から日本のことをよく聴いて巣立ったらしく、会うたびにその話をし、大分前に彼もタンゴ楽団の歌手として招聘したが、その直後あたりから急激に人気を手に入れた若手の代表的な歌手だ。歌がうまいのはもちろんだが、聴衆との会話が非常にうまい。どこに行っても彼が出てくるだけで拍手喝采。その彼の歌を編曲家でピアニストのアンドレス・リネツキーが指揮するセクステート・ティピコがバックアップする。バンドネオンのラミロ・ボエロ、奥村雄樹、バイオリンのペドロ・パブロ・ペドロソ、カロリーナ・ロドリゲス、コントラバスのパブロ・グスマンの編成。この若手の有望株楽団が、伝説的ミロンゲーロたちをサポートする、その演出が功を奏して、熱い雰囲気を作り出していた。それにしても、どこかでニエベスの元気なダンス姿を拝みたいものではある。
そして、10日からは2日間ずつ、ピスタとステージ(エセナリオ)の予選が始まった。この2年間の鬱憤を晴らすかのように360組というものすごい数のカップルが出場し、自慢のダンスを競い合った。これは記録的な参加人数だ。日本からもけっこうたくさん参加しているようだったが、なにしろレベルも尋常ではなく上がっているし、審査基準も変わっているから予測の難しい結果になった。
おおまかには、やはり若い、元気の良いステップのものが優位だったように思う。予選の結果だけ見ると、はっきり言って意味がわからないものもある。しかし、審査員はかなり厳格な審査をしていることは確か。ただ、それぞれの基準がスポーツの採点のように確立していないから、コメントするのは難しい。結局360組の参加から142組だけが準決勝に進んだ。準決勝は、この予選を通ったものと、世界の予選大会、アルゼンチン各地の予選大会からのシード組が加わっての戦いになる。日本でも人気の高いディエゴ&アルダナが、なんと予選から出場していた。このようにプロの大物たちも今年は多く出演している。今年はどう見ても彼らのダンスは他を圧倒していたので、やはり予選は2位通過していた。
12日からはステージの予選。こちらの予選もなんと153組のカップルが出場。前述のように昨年のチャンピオンのように、世界的にもずいぶんとレベルが上がっている。この中から54組が予選通過。これにアルゼンチン各予選、世界各地の予選のシード組が加わっての準決勝となる。進化のスピードは恐ろしいほどだ。こちらではアジア選手権2位の実力者、Nana & Kaitoが上位で準決勝進出を決めている。このカップルは昨年もアジア選手権2位だっただけに、悔しい思いでブエノスの本戦に出てきたと思う。ダンスの技術では圧倒的だから、後は「タンゴ」らしさの表現力か?何しろ、ブエノスに限らずタンゴダンス界は、これだけのダンス技術を持ちながら、例えばクラシックの振りが少しでも見えると不利になるおかしな伝統があるから、準決勝ではそのあたりを少し修正して準決勝に臨んでみては、と思う。現在の日本のタンゴ界のエースと言っても良い存在だけに、大いにエールを送りたい。(続く)
(ラティーナ2022年9月)
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