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[2023.8]映画 『ジェーンとシャルロット』〜常に時代を先取りした母と葛藤を抱えた娘が、初めて真摯に向き合った、その赤裸々な記録。

文●あくつ 滋夫しげお(映画・音楽ライター)

 2023年7月17日の朝、ジェーン・バーキンが前日に亡くなったことを知らされる。その数日前に本作を観て、まだまだ元気な姿が鮮明なイメージとして残っていたので、とても驚き呆然とすると同時に、図らずも本作の公開が追悼上映になってしまうことが残念でならなかった。2021年には軽い脳卒中で倒れたというニュースも聞こえてきたが、多くのファンは2020年にコロナ禍で中止になってしまった来日公演が、なんとかもう一度実現するよう心から願っていただろうから…。

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms
8月4日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町 / 渋谷シネクイント 他にて全国縦断ロードショー

 本作の冒頭、まだ映像が映らない真っ暗な状態の中、いかにも日本語の発音で「メルシー・ボークー(本当にありがとう)」という声が聞こえてきて、思わずドキッとさせられる。それは2017年の来日公演の会場オーチャードホールに入る時の、おそらく車の中のジェーン・バーキンに向けた熱心なファンの声だろう。本作の監督でありジェーンの娘でもあるシャルロット・ゲンズブールは、この日本公演の時から母ジェーンの撮影を始め、約4年の歳月をかけて自身にとって初めての長編監督作品を、母娘のとても親密な空気感を放つドキュメンタリー映画として完成させたのだ。

 よくある偉人や著名人の足跡や業績を時系列で紹介するような、伝記的な作品では全くなく、むしろそんな要素は注意深く取り除き、ジェーンが関わった過去の映画や音楽などのアーカイヴもほとんど使用していない。では一体何が描かれているかというと、本作はシャルロットがジェーンに対して心の奥底に秘めてきた愛や嫉妬、悔恨、そして疑問などがないまぜになった、極私的で漠然とした葛藤が、二人の穏やかな雰囲気の中に溢れ出てくるような作品なのだ。

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms
© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

 本作には文字やナレーションによる説明が一切無いので、背景になる状況を少しだけ補足しよう。1946年イギリス生まれのジェーン・バーキンは、18歳で音楽家ジョン・バリーと結婚し、長女ケイトが生まれるが後に離婚。1968年に出会ったセルジュ・ゲンズブールと公私ともにパートナーとなり(事実婚)、1971年に次女シャルロットが生まれる。しかしセルジュの酒とDVが原因でジェーンは1980年に二人の元を去るが、シャルロットが感じたわだかまりにもかかわらず、その後も三人の交流は続いてゆく。1981年に映画監督ジャック・ドワイヨンと結婚し、翌年三女ルーが生まれるが、1993年に離婚。2013年に長女ケイトが自宅ベランダから転落して亡くなり、ジェーンは深い悲しみに打ちひしがれる。そしてジェーンとシャルロットの間には、まだどこかぎこちなさが残っていた。

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

 実際シャルロットは劇中で、「カメラはママを見るための口実」と本人を前に告白する。日常の中では言えなかったことが、カメラを手にすることで実現出来たのだ。こうして本作には二人の素顔や日常生活の一端が何の虚飾もなく映し出されるだけでなく、その内面にまで入り込んでお互いの秘めた想いが浮き彫りにされるのだ。また60~70年代のポップカルチャーのアイコンとして常に時代を先取りし、その後も女優、歌手としての地位を確かなものとしてきたジェーンの、意外な面がいくつも明かされることになる。

 もっとも二人のファンであれば、例えば二人が犬や猫について他愛のない話をしながら笑い合っている姿を見ているだけでも、何とも幸せな気持ちになるだろう。それは本来なら二人だけで交わされるはずの会話を、まるで隣に座っているかのように聞いて、その親密な空気感を体験できるからだ。さらに本作は、過去作品のアーカイヴがほとんど使われない代わりという訳ではないだろうが、端々にプライヴェートな家族写真や思い出の品々が映し出される。

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

 特にジェーンが「一人で訪れる資格はない」と語り、30年振りに足を踏み入れたという、かつてセルジュとケイト、シャルロットと四人で暮らした家は、セルジュの死後そのままの状態で残されている。無造作に飾られた数々の音楽賞の楯やポスター、奇怪な絵画やタペストリーにオブジェ、“キャベツ頭の男” の像やセルジュの監督作品「シャルロット・フォー・エヴァー」の撮影で使用したカチンコ、そしてそこでジェーンが語る当時のエピソード。どれも大変貴重なものばかりだ。

 二人が最も核心に触れたのが、部屋の壁にかつて8mmで撮影したファミリー・ムービーを投影しながら語り合った場面だろう。そこには映し出される過去を背景に未来を語る現在のジェーンがいて、映像の中には既に死んでしまったセルジュとケイトの幼い姿が、シャルロットと共に生きて躍動している。それを見ながら現在のジェーンが自らの未来の死について語っている。それはまるで幾重にも折り重なるパラレル・ワールドのようで、セルジュもケイトもまだ並行世界で元気に生きているようにも思えてくる。

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

 今回本稿を書くために、ジェーンの死を経てもう一度映画を観なおしてみたが、そこには思った以上に死の匂いが芳り立っていた。ケイトやセルジュの死については当然だが、他にもいくつかの不在について語られている。何よりシャルロットが劇中で撮り下ろしたジェーンの写真には、彼女のありのままの皺やシミが写され、それは奇しくもその死までをも思わせる。ただしシャルロットがジェーンと自分の関係を、自分と娘のジョーの関係に重ねて比べているのは、母娘三代にわたる未来への希望を感じさせるのだが!

 そしてエンドロールで流れる、ジェーンの最後のスタジオ・アルバムに収録された「Je voulais etre une telle perfection pour toi !」には、最初に観た時とは全く真逆の感情が沸き上がった。

「私が消えたら存在感が残る。
 大きすぎる存在感。
 あなたのために完璧になりたい」

 ジェーンが軽やかに歌い上げるポエトリー・リーディングは、ファンキーで乗りのいい曲調とは裏腹に、その声がまるで鎮魂歌のように静かに心に響いて、強く胸を揺さぶった。そして映画が終わった時、ジェーンに心の中で声を掛けた。「メルシー・ボークー」と。

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms


(ラティーナ2023年8月)


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