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[2023.10]音楽で心を癒す、世界で人気の新世代キューバ人アーティスト、Cimafunk 来日公演レポート

文●斉藤真紀子(キューバ倶楽部主宰)text by Makiko Saito

 シマファンクが8月、日本にやってきた。キューバ出身、今をときめく新世代のアーティスト。ファンクを軸に、アフロキューバン、ヒップホップ、R&B、チャチャチャなど様々な要素を取り入れた、独自のスタイルで注目されている。2022年には2作目のアルバムがグラミー賞候補になった。欧米でも人気が高く、世界公演が引きも切らない。今やキューバ本国でもなかなか演奏を聴くことができないのだ。

 来日公演は、8月にサマーソニック、単独ライブと、2日連続だった。
 2日目の渋谷クラブクアトロで演奏を聴いた。会場には肩がふれそうな距離感で、人が集まっている。跳ねるようなリズムの「Caramelo(カラメロ)」(キャンディの意味)で幕を開けた。躍動感がものすごい。すぐさま、観客が揺れていた。

「日本の観客はライブが始まってすぐ、音楽に入り込む。ステージとの間に自然なグルーヴが生まれていた」

©SUMMER SONIC All Copyrights Reserved.
撮影:斉藤真紀子

 公演直前のインタビューで、シマファンクは前日のライブをこう振り返っていた。単独ライブもまた、ステージに呼応して、会場も一体となってリズムを味わう、グルーヴ感が心地よい。

若い音楽エリートたちと新しい音楽に挑戦

 角刈りにサングラス。いかつい見た目にもかかわらず、ニコニコ顔で茶目っ気たっぷりのシマファンク。高めのトーンでのびやかに、ときには低く野太く、声を自在に響かせる。口でビートを刻み、肩をふるわせ、足をわななかせ、のけぞる。キレのある動きで、身体いっぱいにリズムを体現する。

 シマファンクの両脇では、トロンボーンとサクソフォンの女性2人が、存在感を放っていた。楽器を上下させ、ときに足踏みし、華やかに音を響かせる。バックコーラスとしても、優雅にステップを踏みながら、演奏を盛り上げる。

撮影:斉藤真紀子

 ギター、ベース、キーボード奏者もシマファンクの動きに合わせ、身体を弾ませ、楽器を鳴らす。パーカッションやコンガとともに、バンドが一体となって、変化に富むリズムを繰り出していく。

「シマは全身が音楽なんだ」

 バンドメンバーはライブ前、シマファンク(愛称はシマ)についてこう話していた。シマファンクは、ほかのメンバーのように、音楽大学で理論を学んだわけではない。

「はじめは経験のあるミュージシャンとバンドを組んだけれど、自分がやりたい音楽をなかなか理解してもらえなかった」

 シマファンクはインタビューでこう振り返った。自然に湧き出るリズムやメロディを口ずさみ、録音する。それを譜面に起こしてもらったり、自分でパソコンに打ち込んだりして、曲を完成させる。

「現在のメンバーは結成当時、音楽大学に通うエリートたちで、クラシック音楽を学んでいた。でも、新しいことを吸収する意欲があったんだ。みんなアフロキューバンのリズムは小さいころからふだんの生活でなじんでいる。最初はジェームス・ブラウンはじめたくさんのファンクの曲を聴いてもらった」

ジャンルにはこだわらない

 この日のライブはほとんど語りも入れず、スピード感のあるテンポで1時間半、一気に演奏した。曲によってリズムはファンク寄りだったり、ティンバ(キューバンサルサ)やルンバ、サンテリアと呼ばれる民間信仰の儀式で使うアフロキューバンの要素が強かったりと、変化に富む。キューバでシマファンクがその名を知られるきっかけになった、大ヒット曲「Me Voy(メ・ボイ)」(私は行く)は「ナイジェリアのポップ音楽に影響を受けた」と話す。

「ジャンルにこだわらず、自分がいいと感じる音楽を聴き、演奏している」

 シマファンクは子どものころから、さまざまな音楽にふれて育った。キューバ西部のピニャール・デル・リオの出身。教会で賛美歌を歌い、ロス・バン・バンなどティンバ(キューバのサルサ)になじみ、家族や親せきで集まってはサルサや、キューバのアフリカ系音楽であるルンバを踊った。

「おじの車に乗り込み、バッテリーが切れそうになるまで、マイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダーなど、米国音楽のカセットを何度も聴いたよ」

 10代は「女性にモテる」音楽、レゲトンを作詞作曲した。医学生だったとき、心に浮かんだリズムをそのまま口にしたら、友人に「いいね」とほめられた。背中を押されるようにして、音楽家を目指して首都ハバナに移り住んだ。弾き語りスタイルのシンガーソングライター、トローバを演奏していた時期もある。チューチョ・バルデスなどキューバの名だたるアーティストと交流を重ねた。

「仕事でクルーズの専属ミュージシャンになり、世界中の音楽を聴きまくった」

こうしたなかで、シマファンクが可能性を見出したのが「ファンク」だった。Pファンクの王様といわれるジョージ・クリントンとも共演した。

 来日したときの単独ライブの中盤、米国のミュージシャン、プリンスの「ミュージコロジー」(音楽学、2004年)を披露した。歌いながら、シマファンクの顔がほころぶ。リズムに乗って、ステージを前後左右に動き、上半身で円を描くように揺れたり、肩や膝をがくんと落としたり。全身に喜びがあふれていた。

撮影:斉藤真紀子


アフリカのアイデンティティ

「シマファンク」の名は、キューバがスペイン植民地だったころの奴隷に由来する。

「自由を求めて山に逃げた奴隷、シマロンにインスピレーションを受けた」

 シマファンクはこう説明していた。バンドメンバーは「トライブ」と呼ぶ。部族や家族を意味する言葉だ。とはいえ、シマファンクも、メンバーたちも、逃亡奴隷の「闘う」イメージはない。「シマとその仲間、家族」というふうな、平和で幸せな空気が漂う。ステージ前も仲間同士で冗談を言って笑い転げていたし、演奏中もよく互いに笑みを交わしていた。

 米国で1960年代に誕生したファンクは、公民権運動の時期とも重なり、政治的なプロテストソングもある。かつて米国のファンクはルーツやアイデンティティとも深く結びついていたのだ。

 1989年キューバ生まれのシマファンクは何を歌っているのか。

「自分の体験が多い。食べ物など日常のモチーフとセクシュアルな意味を重ね合わせて、二重の意味を持たせることもある。だから子供も大人も、違うことを考えながら、一緒に歌えるんだ」

 キューバでライブをすれば、シマファンクの歌と一緒に、観客の大合唱が起こる。

「父の世代は(キューバ革命の後)教育を受け、身なりもよく、きちんとした市民であろうと努力していた。自分の世代にはそういったプレッシャーはない」

 作品のルーツである、アフリカやカリブ海の文化は、日本から遠い。歌詞もわからない。それでも、かっこいいグルーヴと、祭りとカーニバルとダンスパーティを合わせたような楽しさで、ステージと会場が一体感に包まれた。

 最後の曲では、シマファンクの招きで観客がせきを切ったようにステージに上がり、一緒になって踊り出した。まるで、キューバ、ハバナの野外ディスコのような盛り上がりだった。

 帰り道、私も飛び跳ねすぎて、足がふらついた。疲労困憊だったけれど、心は軽く、満ち足りていた。

「音楽は癒し。ライブは瞑想のような体験なんだ」

 かつて人の病気を癒そうと志したシマファンク。今は音楽で世界中の人びとに心の栄養を与えている。


斉藤真紀子●プロフィール
日本経済新聞米州総局(ニューヨーク)金融記者を経て、朝日新聞出版「AERA English」編集、週刊誌「AERA」記者を経てフリーに。ウェブマガジン、イベント「キューバ倶楽部」主宰。

(ラティーナ2023年10月)


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