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[1988.9] 謙虚な女傑、ドナ・イヴォニ・ララ インタビュー [アーカイヴ記事]

関連記事掲載のため、1988年9月号に掲載されましたドナ・イヴォニ・ララのインタビュー記事を筆者の國安真奈さんのご厚意により掲載致します。

文●國安真奈 text by MANA KUNIYASU

 フンド・ヂ・キンタルとともに初来日、あたたかいステージを披露してくれたイヴォニ・ララ。彼女は質素な前合わせのワンピースのにありふれたサンダル姿で、騒々しいホテルのロビーの片隅でひっそりとソファーにその大きな体を沈めて、私たちを待っていた。金縁眼鏡のイヴォニは、昨夜の華麗なステージ姿とはうってかわって、まるでどこにでもいる公立小学校の先生のよう。しかし私たちの姿を認めた彼女の微笑にそんな失礼な想像は瞬
時にして吹き飛び、もうそれだけで、なぜ人々があれほどの尊敬と親しみを込めて彼女を “ドナ・イヴォニ” と呼ぶのかがわかるような気にさせられてしまった。
 ところでドナ・イヴォニは、ベターニア&ガルのデュエットで大ヒットした “私の夢”、ジルベルト・ジルが歌った “誰かが私に知らせた”、クララ・ヌネスの “アルヴォレセール”、エリゼッチ・カルドーゾの “つめ” 等の、知る人ぞ知る作者だ。しかも女性で初めてサンバ・エンヘードの作者としてカルナヴァルのパレードで歌い、彼女の最愛のチームであるインペリオ・セハーノを優勝に導いた女傑なのだ。
 しかしこの女傑は謙虚である。リオ市の丘の中腹に並ぶ決して裕福とはいえない公団住宅に住むイヴォニ。世界中の晴れ舞台へと旅をしていても、彼女は奢りや卑屈さとは無縁だ。そしてイヴォニは、実に楽しそうにサンバを生き、サンバを語る。彼女はまったく、“人生は決して楽しいことばかりではなく、世の中には受け入れ難いことの方が多いが、だからといって私は怒りや悲しみにつぶされたりはしないのだ” とでもいえそうな、 ブラジルの人々によく見るあの不可思議な実存そのもの。しかし何があっても決して明日を信じて疑わないためには、人はお人よしで、しかも同時に闘っていかねばならない。だから彼女は闘士でもあるのだ。謙虚な闘士 ⎯⎯ 成り上がり者の稚拙さ、横柄さがしばしば鼻につくこの世界で、彼女の存在は貴重である。

⎯⎯ あなたは以前、ケースワーカーをしてらしたと聞きましたが?

イヴォニ・ララ そうです。 私は看護婦になって、その後大学で社会福祉を勉強しました。連邦厚生局のケースワーカーとして38年間仕事をして、77年に退職したんですよ。でも私は歌や作曲がとても好きで、家の近くにあったサンバのブロコにしょっちゅう遊びに寄っては、皆にはっぱをかけていました。それが長い間にどんどん深みにはまっていって、今ではアラ・ダス・バイアーナス(バイアーナの軍団)でフィーチャーされるようになったのよ。だから私は、ステージで着たようなちゃんとしたバイアーナの衣装も持っているの。 シダーヂ・アルタという名のアラも作ったわ。エスコーラはもちろん、インペリオ・セハーノ。 そうこうするうちにレコード作りやショーをやらないかと誘われ始めました。でも初めはお断わりしたのよ。私の仕事と両立するはずないのだから。休暇は30日間しかなかったし。 でもインペリオ・セハーノは続けましたよ。 休みをカルナヴァルに合わせてとってね。 私にはそれでよかったんですよ。
 その後、退職してから、契約しました。 これまでに5枚のレコードを出して、旅行もたくさんして、いろいろなことを見たり聞いたりしましたよ。

⎯⎯ アンゴラへも行かれましたよね?

イヴォニ・ララ なんと “アンゴラの母” という呼び名を頂いてしまいました。衣装のせいだったのか、歌った曲のせいだったのかわからないけど。あの時は、シコとクリスチーナ・ブアルキ・ヂ・オランダ、エルバ・ハマーリョ、ドリヴァル・カイミ、マルチーニョ・ダ・ヴィラ等総勢56名のスター達が一緒だったの。私の衣装は真白なタフタで、高いヒールに首飾りや腕輪でいっぱいおしゃれしてね。 皆は私に、ショーのトリの役をとっておいてくれたんですよ。ステージに上がるやいなや、お客さんが叫びだしたの。 “マンイ・ヂ・アンゴーラ! アンゴラのおっかさん!” てね。 他の人たちも皆ステージへ戻ってきて、最高に楽しいフィナーレになったんですよ。
 その時歌った曲は、“アシェー・ヂ・イアンガ” でした。曲名の意味は、キンブンド語で “最高神” 。私の曽祖父はアンゴラ人とポルトガル人の混血で、祖母はアンゴラ人の生活や文化について、よく話してくれました。その話に基づいて、私はこの曲を作ったんですよ。それにしてもこの曲は、私が歌う度に、それがどこであろうと皆が熱狂してしまう曲らしいの。 フランスでもスペインでも、イタリアでもそうだったわ。特にフランスでは、ここ日本とそっくりでしたよ。 皆うわっときてね(笑)。だから、ショーのおしまいにこの曲を歌うことにしているの。それから、 “おじいちゃんのランプはどこ” で、私が踊る踊りも、祖母が教えてくれたんですよ。あれはジョンゴなの。小さかった頃、家族や親戚の皆がよく踊ってましたっけ。 私の家では、サンバもジョンゴもカンドンブレーも楽しめたのよ。これは祖先のおかげね。


⎯⎯ ところで、いろいろな意味であなたとの共通点がありそうな人といえば、クレメンチーナ・ヂ・ジェズスですけど……

イヴォニ・ララ 私たちは友だちでしたよ。2人とも歌手だから。彼女は65歳で名が出た人だったわね。皆すごいと思ってましたよ。だって、 65歳のおばあちゃんが若い者そこのけにサンバを踊るんですから。でも彼女は作曲はしなかった。歌うだけで。クレメンチーナは私を “マナ(愛する妹)” と呼んでました。
 そういえば、今じゃ私の周りの人は皆、私を “チアおばちゃん”と呼ぶわね。これは私にとって、とても意味深い言葉ですよ。皆が私に対して持ってくれている優しさや評価が込められているんですものね。

⎯⎯ あなたは、史上初の女性エンヘード作者ですけど、67年にインペリオ・セハーノを優勝に導いた時の思い出など聞かせて下さい。

イヴォニ・ララ あの年には、インペリオ・セハーノにとって良いことがたくさんありました。 まず、以前は市立劇場(チアトロ・ムニシパル)なんかにしか出演したことのなかったエヴァンドロ・ヂ・カストロ・リマが、初めてエスコーラ・ヂ・サンバに出てパレードした ⎯⎯ それがインペリオ・セハーノ。それから、長い間ロシアへ行っていたジョルジ・ゴウラールが、初めてエスコーラ・ヂ・サンバでエンヘードを指揮した ⎯⎯ それがインペリオ・セハーノ。私はとてもきれいなトロフィーをもらいましたよ。 それからTVグローボが金の楯をくれました。
 ブラジルでは、“バイアーナなんかの格好で女がカルナヴァルに出るのは一向にかまわんが、エンヘード作りに出しゃばるのはけしからん” と言うの。男連中のメンタリティーがそういう風にできているのね。でも私はそのタブーを破って、カヴァキーニョを弾きながら歌いました。練習の日になると、他のエスコーラの人たちまでが珍しがって見にきてましたっけ。女がやってるというのでね。 ブラジルで今までに、サンバ・エンヘードをコンクールで優勝させた女は私だけです。 後ろから押されてやってる人はいるけれど、たった一人でこの世界に立ち向かって勝ったのは私だけなのよ。


©️Wilton Montenegro


⎯⎯ “男の世界” では苦労しますか?

イヴォニ・ララ それがそうでもないのよ。私は彼らをとても丁重に扱うのだけど、同時に自分自身を前面に出して、強気で行くのです。するととってもおかしなことに、彼らは言いたいことは、私に隠れて言うんですよ。私に会えば、抱擁したりキスしたりするくせにね(笑)。

⎯⎯ 男性陣は女性とは仕事をしたがらないと聞きましたが?

イヴォニ・ララ そうよ。連中はひどいエゴイストなの。しかも、今は昔よりずっとひどくなりましたよ。なぜなら、私が勝った頃のカルナヴァルには、お金というものが関係なかったから。勝者には、そのエンヘードが優勝したという栄誉が与えられました。あとはインタビューを受けたり、 TVに出たり…… でも、それだけ。今は、ひどいのよ。お金がかかっているから、サンバのためにケンカしたり、人殺ししたり。でもね、それよりずっと悪いのはレコード会社ですよ。 カルナヴァルは元々とても美しいフォルクローレだから、たくさんの観光客が集まるし、エンヘードのレコードもよく売れるでしょ。レコード会社はとても儲かるわ。でも作曲家は馬鹿だから、ほんのちょっぴりのお金でだまされて、それっきり。儲けはみんなレコード会社のものになるの。ちゃんとした契約すらしないことだって、ざらにあるのよ。
 でもその昔にも、著作権はやっぱり守られてなかったわね。私には、シラス・ヂ・オリヴェイラとバカリャウという共作者がいましたけど、ある日2人が私のところへきて、こう言うんです “レコーディングの承諾書にサインしてくれよ” ってね。私を袖にしたかったんですよ。その承諾書を持ってレコード会社へ行き、 前払金をもらって逃げてしまうつもりだったの。でも彼らはそうできなかった。神様は公平ですものね。
 私は言ってやったのよ。“あんたたちは男かもしれないけど、馬鹿だわね。お脳が足りないのよ。あんたたちが相手にしてる女はね、神様のおかげでちゃんと学校も出てるし、馬鹿でもないのよ” ってね。だから私のサンバはレコードにならなかったの。でもね、その後彼らが “3人で作ったものは3人で分けよう” という考え方ができるようになったので、私は契約書にサインしました。私はいつも言ってやるんですよ。“私を馬鹿だとでも思ってんの? あんたたちのカミさんは馬鹿かもしれないけど、馬鹿な女と結婚したからって、世の中の女が皆そうだと思ったら大間違いよ。こっちはちゃんと勉強したんですからね” と。

⎯⎯ あなたのチーム、インペリオ・セハーノでは、そういう問題はないのですか? それからチームの創立と今年の順位も教えて下さい。

イヴォニ・ララ 創立されたのは49年で、私は創始者の一人です。今は5千人のメンバーがいて、今年はあまり幸せとはいえない7位だったわ。最近のカルナヴァルは、なんだかとても政治的でねえ。でも、優勝したヴィラ・イザベルには、十分その資格があったわね。 アフリカをテーマにした素朴なカルナヴァルだったのよ。
 インペリオ・セハーノでも、議論はばんばん飛び交いますよ。でも殺人は起こらないわね。“俺のだ” “いや、俺のが最高だ” と言っても、最後には平和になって、皆が決まった曲を歌うのよ。チーム内の統一は、信じられない程簡単にとれるの。 ヂレトール・ダ・アルモニーア(エスコーラ全体の調和を監督するディレクター)は私の従兄で、彼がアピートを鳴らすとバテリーアが整然と叩き始めて、皆パレードを始めるのよ。

⎯⎯ 秩序の要は?

イヴォニ・ララ プレジデンチの存在よ。その下に各アラの長がいて、それぞれ活動班を持ってるの。で、その時になると皆で打ち合わせて、実行に移すの。そのすばらしさと言ったら! プレジデンチは、アラの長との会議なしでは何も決めたり実行したりはできないの。会議に提案を持ち込んで協議して、議事録をつくってそれを皆で実行するのよ。組織は完璧なのですよ。

⎯⎯ 福祉の仕事では、いろいろなことを見たり聞いたりなさったと思いますが……。

イヴォニ・ララ ええ、ええ、そうですよ。 看護婦の仕事というのは、患者さんが治療を受けて回復してゆく過程で介護するという、とても客観的なものなの。ところが、ケースワーカーの仕事は違う。誰かのケースを救うためには、何らかの制度が必要でしょう? 例えば、ある極貧の人のケースを扱うとします。この人は実に様々なことを必要としているわ。ノートを開いて、“あなたの生年月日は?” とか “どうして今の状況に?” とか聞いて書いてみたところで、その人の問題は何も解決しないでしょう? だから私は、ものすごく落胆したのよ。今になってもブラジルには、誰かを救える制度なんて一つもないんですものね。

⎯⎯ ケースワーカーとしての経験は、あなたの詩や曲に影響を与えていますか?

イヴォニ・ララ いいえ、全然。なぜなら、私の作る詩や曲は、私が心で感じるものだけからきているから。それに対して私がケースワーカーとして見てきたものには、私は憤るだけです。だから、書かないの。音楽は私の夢なのですよ。実現してもしなくてもいい夢なのよ。だから私は歌を作るの。 現実から逃れられる唯一の方法なのよ。
 私の歌は、私が心の中でとても大切にしている家族の絆や人々の愛情から、生まれてくるのよ。私は3歳の時に父を失くし、9歳で母とも死に別れ、家族や親戚から遠く離れた寄宿学校で育ちました。私は長女で、弟や妹は皆小さかった。私は今でも彼らの母親がわりなのよ。2人の息子に大好きな嫁、それに可愛い孫たち。前にはなかった家族が、今はある。私は彼らへの援助は惜しみません。お金がなければ、装身具でもなんでも売りますよ。贅沢には興味がないの。そういう風に育てられたし、私はそういう風なのよ。

⎯⎯ 最近のカルナヴァルは、観光客のためのものみたいになってますが、サンビスタたちが本当に楽しんでるカルナヴァルというのはどこで見たらいいのでしょうか?

イヴォニ・ララ 今のカルナヴァルは、なんでもお金ね。観光客が見るのにお金を払う。カルナヴァルの仮装者自身が、衣装にお金をかける。 皆お金を払わなければ、場所がない。でも本当のカルナヴァレスコ(お祭り人)はそんなことには関係なく、パレードの内でも外でも楽しんでるものですよ。リオでは町の中心街をはずれれば、昔と変わらないいいカルナヴァルが見られるわ。一日中ですよ。ヴィラ・イザベルやマドゥレイラ区へ行けばね。それから、ブロコ・ドス・スージョスというのもあって、あらゆる年令のあらゆる仮装をした人たちが、ありとあらゆる曲をメドレーで歌って踊っていくのよ。最近では、政府がお金を出して舞台を作ってね。そこでは皆、夜通し踊れるの。これは公共のものだから、参加費はタダ。リオ・ブランコ大通りやプラッサオンゼ、ヴィラ・イザベル、カスカドゥーラやマドゥレイラにもあるわ。

⎯⎯ 新しいレコードの予定は?

イヴォニ・ララ 今、コンチネンタル社とのミーティングを待ってるところよ。もうレパートリーもみんな揃ってるんですよ。後はスタジオへ入るだけね。今回は、新曲は4曲だけ。友人たちとの共作です。 それから今、共同制作レコードの話がきているの。 カルトーラ80年にちなむレコードなんですよ。 カズーザや、ロバゥン、エリゼッチ・カルドーゾも一緒なの。ロックの人たちまできて、サンバ歌ったりするのよ。発売はいつだか知らないけど、レコード会社はソン・リヴリですよ。

⎯⎯ 最後に一言、今この瞬間のブラジル・サンバはどうなっていますか?

イヴォニ・ララ 北米人が押しつけてるロックと戦争してるわ(笑)。でも、ブラジル人としては、サンバを押し進めたいの。私はサンビスタだか
ら、これだけは絶対譲らないわよ。
 ネルソン・サルジェントが、こう言ってるでしょ。 “サンバは苦悩する。だが死にはしないサンバ・アゴニーザ・マイズ・ナゥン・モーへ” って。

(月刊ラティーナ1988年9月号掲載)


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