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[2023.8] 【映画評】 虚実の皮膜を突き抜ける心の叫び 『ミャンマー・ダイアリーズ』『あしたの少女』

虚実の皮膜を突き抜ける心の叫び
「ミャンマー・ダイアリーズ」「あしたの少女」

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文●あくつ 滋夫しげお(映画・音楽ライター)

 今月も先月に引き続き、小規模な公開ながら質の高い心に残る作品2本を紹介しよう。いずれもフィクションとドキュメンタリーの境界が曖昧になるような表現が興味深い。

© The Myanmar Film Collective ポレポレ東中野ほか全国順次公開中

 先週から公開されている『ミャンマー・ダイアリーズ』は、昨年のベルリン国際映画祭パノラマ部門でドキュメンタリー賞、ブロンズ観客賞、アムネスティ国際映画賞を受賞した作品だ。受賞名で分かるように基本的にはドキュメンタリーで、2021年2月1日の軍事クーデター以来、未だに市民に対する厳しい圧政が続くミャンマーの状況が、名もなき多くの人々がSNSに投稿した映像によって伝えられる。しかし本作には、一言で “ドキュメンタリー” とは言い切れないユニークさがある。それは10人のミャンマー人若手監督による短編映画が一般市民の記録映像の合間に混在し、ドキュメンタリーとフィクションを行き来しながら一つの作品を形作っているということだ。

© The Myanmar Film Collective ポレポレ東中野ほか全国順次公開中

 まず市民の記録映像は、各地で起こった様々な出来事を現場に最も近い場所から撮影したもので、その臨場感たるや観る者の動悸が一気に高まるほどだ。理不尽に引き裂かれる幸せな家族、連行される母を必死に守ろうとする幼な子、自分が拘束される瞬間を配信するジャーナリスト、説得を試みる母親と同年代の女性を無視する若い軍人たちの無表情…。どの映像もその不条理な横暴さに怒りがこみ上げるが、何より恐ろしいのはそれを行っているのが市民を助ける立場の軍人や警察官で、さらに彼らの武器を持たない人々に対する躊躇のない残虐な暴力行為には、言葉を失うばかりだ。そしてこれら数分の短い記録の集積が、底知れぬ恐怖を感じさせると同時に、リスクを顧みず動画をインターネットに上げること自体が、世界に向けた軍に対する抵抗運動になっていることを思えば、被写体となった人々も含めその毅然とした勇気を讃えずにはいられない。

 これらの明確な “敵” と対峙する劇的な瞬間を捉えた記録に対して、映画監督による短編の多くはクーデター後の日常生活を描いている。一人で部屋に佇む姿は一見いつもの日常に見えるが、現実は重く暗い空気に覆われ真綿で首を絞められるような不安が消えることはない。クーデター以前に誰もが普通に思い描いていた未来や夢に手が届かなくなっただけでなく、当たり前だった日常の小さな楽しみや喜びすら消えてしまったのだ。このように市民の記録と監督の映像はまったく質の違う市民の生活を描きながら、その背景には共通する空気感として恐怖と不安が在る。また短編作品のルールとして監督が見聞きした実話でなければならないという項目もあって、現実を描くという点でも共通しており、お互い補完し合って見事に一つの強固な作品として結実しているのだ。実際に映像的にもドキュメンタリーとフィクションのパートはシームレスに繋がっていて、まったく違和感がないだろう。

© The Myanmar Film Collective ポレポレ東中野ほか全国順次公開中

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