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[2023.6]【中原仁の「勝手にライナーノーツ」㉟】 Zé Ibarra 『Marquês, 256.』

文:中原 仁

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 7月に初来日して「FESTIVAL FRUEZINHO 2023」に出演する、ブラジルZ世代のスーパー・グループ、バーラ・デゼージョ。ファースト・アルバム『SIM SIM SIM』は「2022年ブラジル・ディスク大賞」一般投票で第1位、音楽関係者部門で2位を獲得した。2022年11月発表の「第23回ラテン・グラミー」では「Best Portuguese Language Contemporary Pop Album」を受賞。5月31日に発表された「Prêmio da Música Brasileira」ではMPB部門のベスト・グループに選ばれた。まさに飛ぶ鳥も落とす勢いだ。

 
 バーラ・デゼージョの4人のメンバーの中から、先月号でのジュリア・メストリに続き、今月号ではゼー・イバーハを紹介する。
 
 ゼー・イバーハ(José Vitor Ibarra Ramos)、1996年12月20日、リオ生まれ。父はバイーア出身の写真家、母はチリ出身のイヴェント・プロデューサー。幼少期にミナスジェライス州最南部の山間の町、イタモンチの別荘で過ごした時期も長かったそうで、この体験が彼の音楽性に影響を与えている。
 
 2014年、同年代のトン・ヴェローゾ(カエターノの末子)、ルーカス・ヌネスらとの5人のバンド、ドニカ(Dônica)を結成し同年にEPを、2015年にファースト・アルバム『Continuidade dos parques』を発表。リード・ヴォーカル、ピアノ、メインのコンポーザーをつとめた。

  ゼーの美しいハイトーン・ヴォイスに、同世代から大先輩たちまでが注目した。その一人が、ドニカのアルバムにゲスト参加したミルトン・ナシメント。ゼーはミルトンの『Clube da esquina』記念公演(2019年)のバンド・メンバー(ギター、歌)をつとめ、ミルトンのライヴ引退ワールド・ツアー『A última sessão de música』(2022年)ではオープニング・アクトに抜擢され、ギター弾き語りのライヴ・パフォーマンスを行なった。

『Clube da esquina』記念公演。
曲はロー・ボルジス作「Um girassol da cor do seu cabelo」
 

 ガル・コスタの遺作『Nenhuma dor』(2021年)で、参加した10組の男性歌手の最年少として「Meu bem, meu mal」のデュエットのパートナーをつとめた。

  この他、同世代の大勢の音楽家とも共演。アントニオ・カルロス・ジョビンの末娘マリア・ルイーザ・ジョビンと共作・デュエットした曲もある。

 
 2021年、ルーカス・ヌネス(ドニカ)、ドラ・モレレンバウム、ジュリア・メストリとバーラ・デゼージョを結成し、2022年に『SIM SIM SIM』を発表。そして5月下旬、ファースト・ソロ・アルバム『Marquês, 256.』をデジタル・リリースした。
 
 アルバム・タイトルはゼーの家の住所で、正式にはRua Marquês de São Vicente, 256。リオのガヴェア地区、名門大学PUCのすぐ近くだ。この建物の階段室でゼーは録音を行なった。機材を持ちこんでエンジニアをつとめたのは、盟友ルーカス・ヌネス。完全なソロ・アルバムで、ほぼギターの弾き語り(ピアノ弾き語りもある)。
 
 ファルセットまじりのゼーのハイトーン・ヴォイスは、ミルトン、カエターノ、そしてネイ・マトグロッソ(共演の経験もあり)らのマナーを受け継いでいる。ドニカのファースト・アルバムよりも伸びやかで感情表現も研ぎ澄まされた。レパートリーは、オリジナル曲や友人たちの作品から、自分が生まれるよりもずっと前の時代のブラジルの曲まで。しかも相当にマニアックな選曲だ。
 
 吟遊詩人の歌を思わせる「Vou-me embora」は、ペルナンブーコ州出身のパウロ・ヂニース(Paulo Diniz / 1940~2022)がホベルト・ジョゼと共作、72年に発表した曲。ゼーは昨年のミルトン引退ツアーのオープニング・アクトで歌ったそうだ。
 
 「Como eu queria voltar」はルーカス・ヌネス、トン・ヴェローゾとの共作。もともとドニカのレパートリーだったのかもしれない。
 
 ピアノを弾き語りする「Dó a dó」はドラ・モレレンバウムとトンの共作。ドラが2021年にファースト・シングルとして発表した曲。

  とてもシンプルで分かりやすいがチラッと毒もこめた英語の歌詞に、ポルトガル語をミックスした「Hello」はサンパウロのインディー・ポップ・バンド、ソフィア・シャブラウ&ウマ・イノルミ・ペルダ・ヂ・テンポ(Sophia Chablau e uma enorme perda de tempo)のソフィア作。この曲が入った彼女たちのファースト・アルバム(2021年)のプロデューサーは、バーラ・デゼージョのアルバムの共同プロデューサーでもあるアナ・フランゴ・エレトリコだ。ブラジルZ世代の交流が見えてくる曲。

 
 「Itamonte」は冒頭でも触れた、ゼーの幼少期の記憶に刻まれたミナスの町、イタモンチを描いた曲。ゼーは "小川の音楽" が好きで、祖母に「小川の音楽が聴きたい」と願ったそうだ。なお、この曲はゼー自身に先がけてドニカが2018年に配信で発表。Spotifyでの再生回数が100万回を突破するヒットとなった。ドニカのファースト・アルバムでも聴きとれたミナスの音楽の要素は、ゼーの幼少期の体験に基づくものなのだろう。

 
 最後の3曲はカヴァー。「水の瞳」を意味する「Olho d'água」はカエターノ・ヴェローゾが作曲、ワリー・サロマォンが作詞した、マリア・ベターニアの92年のアルバムのタイトル曲。哲学的な歌詞だ。
 
 「Vai atrás da vida que ela te espera」は、リオ出身のギリェルミ・ラモウニエール(Guilherme Lamounier / 1950~2018)の74年の作品。軍政時代の暗い世相からの脱出を訴える。

 
 「San Vicente」は、このアルバムの中で最も有名な曲。ゼーが敬愛するミルトン・ナシメントが作曲、フェルナンド・ブランチが作詞し『Clube da esquina』(72年)で発表した。南米の架空の地名(ユートピア)を歌った、これも軍政の時代を象徴する曲だ。

 
 バーラ・デゼージョでは女性陣の影にやや隠れがちなところもあるゼー・イバーハだが、この弾き語りアルバムは彼の声の魅力をフルに味わえる。ますます来日が楽しみだ。最後にゼーのライヴ映像を2曲、あげておこう。
 
 2022年11月、ベロオリゾンチのミネイラォン・スタジアムで行なわれたミルトン引退ツアーで、主にゼーが歌う「Vera Cruz」

 
 バーラ・デゼージョのヒット曲「Baile de máscaras (Recarnaval)」。ゼーと名手アルベルト・コンチネンチーノのデュオ・ヴァージョン

(ラティーナ2023年6月)


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