[2022.1]【アルゼンチン・ニュース】「タンゴ・アルヘンティーノ」のオリジナル・キャスト、タンゴの名ダンサー、エルサ・マリア逝く!
編集部
タンゴダンス界にまた悲報です。夫のエクトル・マジョラルと共にアルゼンチン・タンゴの象徴的なカップルの一人となったエルサ・マリア・ボルケスが、この1月8日に亡くなった。弟のカルロス・ボルケスが自分のFacebookに投稿した途端、ニュースは世界を巡り、無数のタンゴ・ファンから哀悼の言葉が寄せられたという。
1944年6月25日、ブエノスアイレスのラ・ボカ地区に生まれた彼女は、ダンスを職業とし、エルサ・マリアという芸名で、世界各地を訪れ、さまざまな地域の人々と肩を並べるキャリアを築きました。1967年、当時生粋のタンゲーロとして人気だったエクトル・マジョラルは、テアトロ・アルベアールで「ブエノスアイレスは世界に歌うBueos Aires canta al mundo」に出演していたが、その劇場の隣のバー「メトロポリス」でエルサ・マリアと出会った。彼女は同じ劇場で、パリのリドに行くために、アルフレド・アラリアのカンパニーとリハーサルを行っていた。二人はすぐに意気投合、生粋のタンゲーロとクラシック・ダンサーという当時としては魅力的なカップルが実現することになったそう。
このカップルはすぐに大評判となり、1ヶ月後、「タンゴの帝王」マリアーノ・モーレスがウルグアイの首都モンテビデオのパラシオ・ペニャロールで開いたショーでデビューすることになった。
彼らの勢いは止まることが無かった。マジョラルとエルサ・マリアはTVの世界でも、チャンネル13の最高視聴率番組「グラン・ホテル・カルーセル」で、いつも世界的有名人たちと共演し、当時最も魅力的なカップルとしてスタートしたのである。また、そのチャンネル13の支援で「インストルメンタル・バレエ」というショーを発表。7カップルが時計の精度で踊る作品を発表。このショーには、アルマンド・ポンティエ楽団、エクトル・バレラ、マリオ・カナロ、アティリオ・スタンポーニ、アルフレド・デ・アンジェリス、歌手は、アルベルト・エチャグエ、オラシオ・デバル等々。一流のアーティストに囲まれた中でも、マジョラルとエルサ・マリアは最も輝いたダンス・カップルと言われた。このショーは、1969年にサンティアーゴ・デ・チリで開かれた第1回タンゴ・フェスティバルで大評判となり、南米、中米、ヨーロッパをツアーで回ることになった。パラグアイでは、このダンスが評価されてこのバレエ団全員に名誉市民の称号が贈られたとか。
↑夫のマジョラルとともに世界のタンゴダンス・ファン指標となり、
ドス・ポル・クアトロの大使となったダンサー、エルサ・マリア・ボルケが
亡くなって、急遽アルゼンチン中で流された追悼番組
そして、1983年、アルゼンチンが民政復帰した年、クラウディオ・セゴビアとエクトル・オレソリが創作・演出した「タンゴ・アルヘンティーノ」で、33人のアーティストと共にパリの「シャトレ劇場」の秋のフェスティバルでデビューを飾った。これは、フランス政府がアルゼンチンの「民政復帰」を祝い、用意してくれたフェスティバルで、これがきっかけで、世界中にタンゴへの情熱の波が押し寄せてきたのは日本でも知られているとおりだ。このショーは間違いなく、アルゼンチン史上最も成功したショーであるが、ここにマジョラルとエルサ・マリアは、コーペス&ニエベス、エドゥアルド&グローリアらとオリジナル・キャストとして選出されている。そして、このショーは、この秋のフェスに来ていたブロードウェイのプロデューサーの目にとまり、何年にも続く世界大ロングラン・ツアーが始まったのである。トニー賞にも3度ノミネートされ、続く「フォーエバー・タンゴ」にも重要なカップルとして選出されている。
エルサ・マリアはは最期まで、普及、指導、協力の精神を持ち続けた。2000年代に入ると、マジョラルとエルサ・マリアは、彼女の名を冠した自分たちのアカデミーをオープンさせ、2001年にはAsociación de Maestros, Bailarines y Coreógrafos de Tango Argentino(アルゼンチンタンゴの教師、舞踏家、振付家協会)の設立者の一人であり、2014年にはAsociación Tanguera de Buenos Aires(ブエノスアイレスタンゲーラ協会)の会長にも選出されている。
彼女の発信する精神は、ダンスフロアだけにとどまらなかった。Paso por paso, el Tango, Tango saludable(ステップ・バイ・ステップ、タンゴ、ヘルシー・タンゴの意)という本で、「タンゴを踊ることは、自分を受け入れ、解放することであり、大きな満足感を与えてくれる。世界の多くの人々が、タンゴが健康に良いこと、タンゴが魔法であることをすでに知っている」と、知識や経験を表現しているし、映像分野では、パブロ・ピントールとセルヒオ・アイゼンシュタインが監督し、彼の永遠のパートナー、マジョラルの人生を描いたドキュメンタリー『El hombre que baila』で足跡を残している。また、ビデオやDVDを出版し、数え切れないほどのテレビ番組にも出演し、世界中に多くのファンを持ち、いつもソーシャル・ネトワークで繋がって、タンゴの普及に努めてきていた。エルサ・マリアの人柄に惹かれたファンたちによって「ドス・ポル・クアトロ(=4分の2拍子=タンゴ)の大使」と呼ばれ、2003年にはブエノスアイレス市の名誉市民に認定されている。マジョラルとエルザ・マリアのFacebookページを見れば、フランク・シナトラ、ビル・クリントン、ディエゴ・マラドーナ、イリネオ・レギサモ、フリオ・イグレシアス、ベロニカ・カストロ、ライザ・ミネリ、オスバルド・プグリエーゼなどなど、カリスマ性と才能に溢れた人たちがいることがわかる。タンゴの魅力に取り憑かれ、エルサ・マリアの中に一流の大使を見出した人物たちだ。
エルサ・マリアは、昨年12月に脳梗塞で倒れ、回復の見込みがないまま闘病生活を続けていた。享年77(歳)。………合掌。
(ラティーナ2022年1月)
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