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[2023.12]【連載タンゴ界隈そぞろ歩き ⑨】2023年を振り返って~二人の巨匠との別れ

文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura

いよいよ2023年も残すところ数日。今年もいろいろなことがあった。個人的には何よりこの連載「タンゴ界隈そぞろ歩き」をスタートしたことが大きい。本業の都合で10月が欠けてしまったのは残念だが、ひとまず何とか続けられたことは嬉しい。他にも素晴らしいタンゴを数多く聴くことができたし、多くの素晴らしい出会いもあった。充実した一年であったと思う。

一方、タンゴ界にとっては悲しい別れもあった。時の流れには逆らえないものの、タンゴの世界を創ってきた巨匠たちが世を去るのはやはり寂しい。そこで今回は、その中でも二人の巨匠、ロベルト・アルバレスとオラシオ・マルビチーノを取り上げ、その生前を偲びつつ彼らが残した音楽を振り返りたいと思う。年末の締めくくりにしては少々湿っぽいかもしれないと思いつつも、彼らの素晴らしい音楽の数々はむしろ我々に元気を与えてくれるはずだと信じている。

ロベルト・アルバレス

バンドネオン奏者、作編曲家、楽団指揮者のロベルト・アルバレスが亡くなったのは3月5日のこと。本誌では3月8日にいち早く追悼記事が出されている。

1940年5月7日生まれの彼は、83歳になる少し手前だった。ロドルフォ・メデーロスと同い年、ネストル・マルコーニやダニエル・ビネリ、フアン・ホセ・モサリーニよりも年長ということになる。1978年にプグリエーセ楽団に参加した彼は、1984年から同楽団のバンドネオンセクションのトップになる。1989年の「最終公演」と銘打たれた来日公演にも帯同、実際はその後も楽団の活動は継続するが、彼は脱退して《コロール・タンゴ》を立ち上げ、以後一貫してプグリエーセ・スタイルを継承した演奏活動をしてきた。まさに追悼記事のタイトル通り「プグリエーセ・サウンドの守護神」だった。

彼の代表作に "Chacabuqeando"(チャカブケアンド)という曲がある。彼の生まれ故郷であるブエノスアイレス州チャカブーコに捧げた曲だ。この曲に限らず、彼の作品には愛するものに捧げた曲が多い。両親に捧げた "Maypa"(マイパ、ママ&パパのこと)、尊敬するオスバルド・プグリエーセに捧げた "Tango a Pugliese"(タンゴ・ア・プグリエーセ)、3人の孫に捧げた "Pa'los tres"(パ・ロス・トレス)、妻に捧げた "Pilo"(ピロ、妻の名)など。いずれも美しい曲で、彼の人柄が現れている。

2020年に演奏活動からは引退したものの、彼は≪コロール・タンゴ≫の音楽監督を続けてきた。2023年にストリーミングサービスのみでリリースされた最新アルバム "Sentido único" でもプロデュース、録音を担当し、またトラック6, 7では演奏にも参加している (公式サイトのディスコグラフィにあるこのアルバムのページにはアルバムアートとクレジットへのリンクも貼られているので参照)。これを聴けば、メンバーたちもしっかりとアルバレスの音楽、プグリエーセの音楽を受け継いでいることがわかる。ここまでの楽団に育て上げたアルバレスの偉大さを称えつつ、愛する者への想いに溢れた優しい人柄を偲び、その冥福を祈りたい。

オラシオ・マルビチーノ

実は迂闊にも最近までその訃報を見落としていた。ギタリスト、作編曲家、楽団指揮者のオラシオ・マルビチーノが11月20日に亡くなった。

多くの人にとって、マルビチーノの名前は何といってもアストル・ピアソラと密接に結びついていることだろう。ピアソラが1955年に≪ブエノスアイレス八重奏団≫でタンゴに初めてエレキギターを導入した際のギタリストが彼であった。そのあたりについては本連載でも一度取り上げている。

1960年にはピアソラが新たに立ち上げた五重奏団に参加。時期によってオスカル・ロペス・ルイスやカチョ・ティラオとも入れ替わりながら、五重奏団や1970年代半ばの≪コンフント・エレクトロニコ≫、1989年の六重奏団と、長きにわたってピアソラと活動を共にしてきた。

1929年10月20日 エントレ・リオス州コンコルディア生まれのオラシオ・マルビチーノは、6歳からクラシックギターを学び始め、やがて友人を通じてジャズに触れる。1947年には薬学を学ぶためブエノスアイレスに上京、そこでピアソラのオルケスタ・ティピカ(いわゆる1946年のオルケスタ)の演奏にも触れている。やがてアルゼンチン・モダンジャズ黎明期のミュージシャンの一員として当時のジャズクラブ "Bop Club Argentino" で演奏。その後ピアソラにスカウトされて≪ブエノスアイレス八重奏団≫への参加となったわけである。

実は彼は、ピアソラとの演奏以外でも様々な活動をしている。クラリネット奏者パンチート・カオと結成した復古調タンゴグループ≪ロス・ムチャーチョス・デ・アンテス≫、自身のジャズグループ、さらにはアラン・ドブレー等の変名で編曲・指揮を担当した楽団によるイージーリスニング寄りのアルバムの制作など…。内外のミュージシャンとの共演も多く、日本でピアソラの名前が広く一般に知れ渡るきっかけとなったヨーヨー・マのピアソラ作品集でギター(あまり目立たないが)を弾いていたのも彼なら、小松亮太のデビューアルバムでギターを弾いていたのも彼である。とても幅広く柔軟かつ器用な人なのだろう。

個人的には1995年にレオポルド・フェデリコ(バンドネオン)、アダルベルト・セバスコ(ベース)と共に録音したピアソラの『バンドネオン協奏曲』が非常に印象に残っている。フルオーケストラをギターとベースにアダプトした編曲は曲の骨格・本質を見事にとらえていて素晴らしい。その編曲を行ったのもマルビチーノなのだ。単に器用なだけではない、この人の底知れぬ才能を感じた(なお2003年にはエンリケ・ロイスネルのドラムスを重ねたバージョンがリリースされており、下のプレイリストにはそちらを収録している)。

素晴らしい音楽の数々を残してくれた巨匠の冥福をお祈りする。

以上をもって今年のそぞろ歩きは終了。来年も気ままにふらふらとあちこち歩き回れる年でありますように。皆様良いお年を!

(ラティーナ2023年12月)


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