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[2024.7] 【映画評】2024年夏に観るべき傑作3本〜『メイ・ディセンバー ゆれる真実』『めくらやなぎと眠る女』『墓泥棒と失われた女神』

2024年夏に観るべき傑作3本
『メイ・ディセンバー ゆれる真実』
『めくらやなぎと眠る女』
『墓泥棒と失われた女神』

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文●あくつ 滋夫しげお(映画・音楽ライター)

 去年ハリウッドで長期に渡って行われた脚本家組合と俳優組合によるストライキの影響で、多くの大作映画の撮影が延期された。そのせいか今年の夏は誰もが話題にするような注目作は見当たらないが、それでも小、中規模の質の高い作品が数多く公開を控えている。そんな中から3本を選んで紹介しよう。

『メイ・ディセンバー ゆれる真実』
2024年7月12日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved. 
配給:ハピネットファントム・スタジオ

 『メイ・ディセンバー ゆれる真実』は、ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアというオスカー女優二人の競演や、アカデミー賞をはじめ多くの映画賞でノミネートと受賞を果たした脚本が絶賛されている、『キャロル』(15)のトッド・ヘインズ監督の最新作だ。1996年に実際に起こり、全米が騒然となった36歳の女性教師と13歳の生徒の不倫=“メイ・ディセンバー事件”は、実刑判決を受けた教師が獄中で生徒の子供を出産して離婚。そして彼女は出所後に生徒と結婚し、新たな家庭を築いて幸せな日々を送っていた。

 本作はこの事件を下敷きにしているが、事件の詳細をスキャンダラスに描くのではなく、長い時を経て映画化が決まったという設定のフィクションで、主演女優が本人を訪ねるところから物語が始まる。女優は役作りのために本人と夫はもちろん、二人の間に生まれた子供たちや彼女が捨てた元夫とその子供、近所の友人たち、裁判の時の弁護士にまで話を聞きに行き、彼女が胸の奥にしまった当時と今の想いを探ろうと一線を超えてゆく。それでも一筋縄では行かない彼女の心を読み取ることは難しく、一方で大人になった夫は女優の行動に困惑し、過去の自分の判断とこれからの未来について心が揺れ始める。そして彼女は時折、夫の前で心の闇を覗かせる。

©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved. 
©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved. 

 演じるために相手の気持ちを少しずつ逆撫でするような女優の行動と、演じられる本人のまるで演じているかのような捉えどころのなさが水面下でぶつかり合う。特に二人が鏡の前に並んで対峙するシーンの、心を重ねながらも虚実が入り交じるヒリヒリするような会話の緊張感にゾクゾクする。しかしより胸を打つのは、若くして事件の当事者となり数奇な人生を送りながらも、平穏な生活を保ってきた夫だろう。そんな彼が女優の存在によって心を掻き乱され、強い女性二人に押しつぶされそうになる姿を、微妙な表情で繊細に演じたチャールズ・メルトンは、数多くの映画祭で助演男優賞を受賞している。

 やがて3人の中に疑心暗鬼が芽生えてくる。そもそも本作は登場人物の名前や職業などの状況設定が、実際の事件から改変されていて、女優も新たに加えられた架空の人物だ。そうなると観ている観客も何が真実で何が虚構や憶測かが分からなくなってくるだろう。そして陰影に富み逆光までもが美しい叙情的な映像と、下世話の一歩手前に留まり完璧に鳴り響く扇情的なピアノの響きとの違和感が、心がざわつくような不穏さを通奏低音のように作品全体に醸し出す。本作は幾つものレイヤーが重なった複雑な感情を描写しながら、観る者を迷宮へと陥れる極上の心理サスペンスなのだ。


『めくらやなぎと眠る女』
2024年7月26日(金)より ユーロスペース他全国ロードショー
配給:ユーロスペース、インターフィルム、ニューディアー、レプロエンタテインメント
© 2022 Cinéma Defacto – Miyu Productions - Doghouse Films – 9402-9238 Québec inc. (micro_scope – Productions l’unité centrale) – An Original Pictures – Studio Ma – Arte France Cinéma – Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma

 『めくらやなぎと眠る女』は、村上春樹の短編小説6作品を1本の長編に大胆に再構築した、村上作品初のアニメーションによる映画化だ。ニューヨークで映画やコマーシャルの作曲家としてキャリアを積んだ後に、絵画やアニメーションの世界に入ったピエール・フォルデス監督の長編デビュー作で、アニメ界最大のアヌシー国際アニメーション映画祭で審査員特別賞を、押井守が審査員長を務めた新潟国際アニメーション映画祭ではグランプリを受賞している。

© 2022 Cinéma Defacto – Miyu Productions - Doghouse Films – 9402-9238 Québec inc. (micro_scope – Productions l’unité centrale) – An Original Pictures – Studio Ma – Arte France Cinéma – Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma

 中心となる原作はタイトルにもなった「めくらやなぎと眠る女」(83)と「かえるくん、東京を救う」(99)で、それぞれの主人公小村と片桐が同じ会社に勤務し、早期退社を持ちかけられているという設定だ。そんな二つの物語を並行して描きながら、その合間で「バースデイ・ガール」(02)「かいつぶり」(81)「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(86)「UFOが釧路に降りる」(99)の4遍が、断片的に挿入されている。全体の印象としては起承転結のある大きな物語というよりもエピソード集という感じだが、継ぎはぎ感は無く6つの物語を上手く融合させて見事に一つの作品としてまとめている。何より各エピソードの面白さが秀逸で、どんどん話に引き込まれてしまうのだ。

 地震災害という厳然たる現実を土台にしながら、その上で都市生活者の孤独や悲哀を炙り出し、現実と夢や妄想の世界をシームレスに行き来するという、いかにも村上春樹的な世界観が展開する。とぼけた笑いやエロスも盛り込まれ、名言風のセリフも随所に登場する。そしてこのシュールでファンタジックな異世界を表現するには、イメージを簡単に飛翔させられるアニメーションという手法が最も相応しいだろう。実際にフォルデス監督のアニメ表現は、原作に対するリスペクトを十分に感じさせつつも自由そのもので、観る者の想像力を大いに刺激する豊かなものだ。オーガニックで映像を喚起するスコアも監督自身が手掛けているだけに、美しいアニメーションと完璧にマッチして聴く者の内面にまでスッと入り込んで来る。その音楽はレザルク・ヨーロッパ映画祭で作曲賞を受賞している。

© 2022 Cinéma Defacto – Miyu Productions - Doghouse Films – 9402-9238 Québec inc. (micro_scope – Productions l’unité centrale) – An Original Pictures – Studio Ma – Arte France Cinéma – Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma

 本作にはオリジナルの英語版(日本語字幕付)と、監督が切望し全工程に立ち合い綿密な演出を施した日本語版がある。両バージョンを観たが、舞台が日本で登場人物も日本人なので、細かいニュアンスまで伝わる日本語版をお勧めしたい。いずれにしてもこの暑い夏に、めくるめくイマジネーションの世界に翻弄されるのも最高の一興だろう。


『墓泥棒と失われた女神』
7月19日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
© 2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Ciném
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 『墓泥棒と失われた女神』は、独特な語り口と衝撃的な展開が熱狂を生んだ『幸福なラザロ』(18)以来のアリーチェ・ロルヴァケル監督による長編劇映画の新作で、自身の故郷トスカーナ地方を舞台とした三部作の3作目だ(1作目は『夏をゆく人々』)。生と死、聖と俗が背中合わせで存在し、現実と幻想、過去と現在を地続きで行き来する寓話的なスタイルは健在で、本作では古代の墓を発見できる特殊な能力を持つアーサーと墓泥棒の仲間たちの物語が描かれる。さらにそこにロマンティックな恋愛要素や、女性のエンパワーメントやシスターフッド的な表現も加わり、ロルヴァケル作品の新たな境地と言えるだろう。

 それでも監督の登場人物に向ける眼差しは変わらず温かく、一言で「墓泥棒の仲間」と言ってもそれぞれ個性豊かに描いて、登場人物全員に生き生きとした人間的な魅力が溢れ出す。そして墓を荒らして埋葬品を売り捌く行為も「罪を憎んで人を憎まず」というよりも、罪を犯すしかない状況にした国(=政治)が悪い、という社会的な視座が見えてくる。墓泥棒たちが盗品を売って小金を稼ぐ美術界のブラック・マーケットは、行き過ぎた資本主義がもたらす、富める者が貧しい者をさらに搾取するという構図そのものだ。この問題はまさに今の日本でも見られる状況であり、アーサーが清濁にまみれながら悩む姿は、様々な問いを我々に投げかけてくる。

© 2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinéma

 本作で何度も印象的に登場するのが鳥だ。群を成して実際に飛ぶ姿や、絵画や彫刻の作品としても映し出されるだけでなく、エンドロールに流れるフランコ・バッティアートの曲も「鳥」だ。アーサーたちが暴く墓はエトルリア文明のもので、そこでは鳥が運命の象徴だが、大空を飛翔する姿は自由の象徴にも見えるだろう。また高い所からアーサーを見下ろす姿には、神の視線が感じられないだろうか。そして物語の縦糸(文字通りの赤い糸が象徴的)として同じように何度も登場するのが、アーサーの婚約者だ。その映像だけの幻想的なシーンはギリシャ神話のオルフェウスの伝説を想起させ、セリフが無いからこそ余計に人間の深いところにある繊細な感情に触れ、誰もが胸を揺さぶられるだろう。

© 2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinéma

 本作は知的でファンタジック、そして祝祭的な音楽と笑いもまぶされた、人生の探究の物語であり、切なく儚い愛の物語なのだ。





(ラティーナ2024年7月)


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