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世界の音楽情報誌「ラティーナ」

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#宮沢和史

[2024.12]『唄方プロジェクト』 ジャマイカへ行く♪(前編)

文●宮沢和史  日本のフォークソング、和製ロック、流行歌、演歌、ムード歌謡。自分の音楽性の基盤にあるのはそれらの音楽であることは間違いないと断言できる。物心ついた時から、いやそれ以前から耳に入ってくる音楽の量は圧倒的に日本産だったわけだし、自分が生まれ育つ環境において無意識に共感できたり、逆に未知なる異郷に思いを馳せたりと、日本製音楽はまさに自分の血肉が形成される過程においての滋養に他ならなかった。ただ同時に言えるのはそういった音楽を創造してきた作曲家、作詞家、編曲者、演奏

[2008.11]《今年はジルに抱擁を!》ジルベルト・ジル再考 第8回 ジルベルト・ジル × 宮沢和史 —この9月、日本とブラジルは音楽でつながった—

文●船津亮平 写真●本田大典  宮沢和史氏がホスト役を務め、ジルベルト・ジルを迎えて行われた日本人ブラジル移民100周年イベントは、9月15日の横浜赤レンガパークでの「10,000 SAMBA! 〜日伯移民100周年記念音楽フェスタ〜」で幕を閉じた。大阪・東京でのジルベルト・ジル&ブロードバンド・バンド単独公演と、愛知県・久屋大通公園特設会場での「愛知ブラジル交流フェスタ」、そしてザ・ブームに加えガンガ・ズンバ、

[2024.5]宮沢和史 音楽生活35周年記念 企画 第2弾 〜35の質問に答えます〜

編集部 アンケートで寄せられた皆さんからの質問、35周年にちなみ「35個」について宮沢さんに答えていただきました。 ──── Q1.  これまでの音楽生活35年の中で20代、30代、40代、50代など大切ないくつかの時期に分け、印象的だった出来事とその時の想いや感情を教えて下さい。 宮沢 ひとつに絞るのは難しいですね、がんばります。 20代 沖縄民謡との出会いですね。人生の大きな窓が開いた印象でした。それまでは小さい世界で生きていました。 30代 20代終わりから30

[2024.5]宮沢和史 音楽生活35周年記念 企画 第1弾 アンケート結果「好きなアルバム」「好きな曲」

●編集部 1989年にTHE BOOMでデビューした宮沢和史、今年2024年は音楽生活35周年を迎えます。ラティーナとの付き合いは1994年頃から始まり、月刊ラティーナで連載「音の棲むところ」が1994年5月にスタート、30年を越える関係となります。 今回35周年を迎えるにあたり、ファンや関係者の皆様へのアンケート、質問を募りましたところ、多くの方にご協力いただきました。 アンケートでは、今までリリースした作品で一番好きなアルバム、一番好きな曲を選んでいただきました。数多

[2024.5]8月の南米ツアー報告~③最終回サンパウロ編 『パンデミアを経た南米のウチナー社会』

文●宮沢和史 写真●Val Ferrer  2023年8月初頭にサンパウロで行われたブラジルフェスティバルに2日間出演し、その後アルゼンチンのブエノスアイレス、ペルーのリマを周り、コンサート活動や学校での講演活動、記念式典への参加などを経て、再びサンパウロに戻ってきた。というのも、月初めにヴィラ・カロン沖縄県人会サンパウロ支部主催の沖縄フェスティバルに出演した際、3週間後にまたサンパウロに戻ってくる予定なので、その時に沖縄民謡のコンサートを開催させてもらえないか?と県人会に

[2023.12]8月の南米ツアー報告~②ペルー編 『パンデミアを経た南米のウチナー社会』

文と写真●宮沢和史  それ以前に単独で海外渡航を試みた日本人は存在したが、明治元年に150人の移民団が日本からハワイに渡ったことからアメリカ大陸における日系移民史は幕を開ける。沖縄の社会運動家當山久三と平良新助らが1899年に沖縄から移民団30名を送り出した目的地もやはりハワイだった。日本からの移民団はハワイに加えてアメリカ本土へも上陸していくが、勤勉に働き、農業において成功する者が台頭するにつれ、アメリカ社会から日系移民への差別意識が高まることとなり、日本人排斥運動へと発

[2023.11]8月の南米ツアー報告~①サンパウロ編 『パンデミアを経た南米のウチナー社会』

文●宮沢和史 写真●Val Ferrer、宮沢和史  新型コロナウイルスが世界を占拠した間、海外渡航はおろか、緊急事態宣言や、蔓延防止法などというものが発出されると、都内からも出られず、公園や河川敷などを散歩して運動不足の解消をしたりしていたものだ。都内はそういった場所ほど混雑していたことがが思い出される。考える事はみな同じなのだ。  当時、世界の感染者数をチェックしてみたら、自分がよく行く国、もしくは行ったことがある国がワーストランキングの上位の多くを占めていて、自分が

[2023.5]【島々百景 第83回】 第二節 あとがきにかえて

●文と写真:宮沢和史  以前、この『島々百景』をまとめて書籍化したのだが、あれから時が流れ、一定数のページが貯まり、このたび “第二節” として発表することになった。まずはこの場を借りてe-magazine LATINAの編集部の皆さん、文中に登場してくださった方々、そして、何よりもこの連載を応援し購読してくださった方々に心からお礼を申し上げたい。  宮沢がこれまで出会ってきたislandとしての “島” を紹介するところから始まった連載ではあるが、「自分たちのテリトリー

[2023.4]【島々百景 第82回】 船浮 西表島 沖縄県

●文と写真:宮沢和史  コロナで丸々4年間も開催することができなかった沖縄県西表島船浮集落の “船浮音祭り” に4月15日に出演した。実は昨年2022年の音祭りの発案者であり、主催者であり、プロデューサーでもある船浮出身のシンガーソングライター池田卓君に声をかけてもらっていたのだが、新型コロナ感染者数が急激に増加した波に飲まれ、残念ながら開催は叶わなかった…。文字通り満を持して行われた4月15日当日は朝からシトシトと雨が降り始め、最後まで上がることはなかったが公称600人集

[2023.4]追悼 : 坂本龍一が去った世界

文●宮沢 和史 texto por Kazufumi Miyazawa  何から書き始めていいか分からない。坂本さんの音楽への思いや、坂本さんとのいくつかの思い出を語れば、与えられた文字数でこの原稿を埋めることはできるだろう。だが、そんなものはどうでもいい気がしてきた。世界中の音楽家、音楽ファンの心に流れていた大きなひとつの水系を我々は失くしてしまったのだ。今はまだその水脈の素晴らしさや、そこからいただいた恵み、そこでの思い出を語る気にはなれない。  世界中の音楽家、音楽

[2023.3] 【島々百景 第81回】 端島 長崎県

文と写真:宮沢和史  江戸時代後期に長崎県沖で見つかった大規模な炭鉱を明治20年代に民間が買い取り、埋め立て工事をして人工島とした “端島(はしま)” をご存知だろうか? 島全体を護岸堤防で固め、採掘するための巨大な施設、そこで働く人達が家族単位で暮らすための団地や公共施設、映画館などの娯楽施設や神社なども完備された天空の城ならぬ、まさに海上の城...。その姿が軍艦土佐を連想させることから“軍艦島”という愛称で長い間親しまれてきた。人口の増加に伴い、島自体が拡張され、ピーク

[2023.2] 【島々百景 第80回】 ブエノスアイレス② アルゼンチン

文と写真:宮沢和史  南米の国土の広い国々の地図を見ていると、長年培った日本的な “縮尺感覚” が当てはまらずに自分自身のサイズを見失うような感覚によく落ち入る。例えば、川沿いにいくつか集落があったとして、経験値から川幅を参考に集落間の距離を推測してみようとするものの、実際はその何倍もの距離だったなんてことがよくある。  アルゼンチンのブエノスアイレス市は海に面しているように見えるがそうではなくてラ・プラタ川の河口に位置している。そこから海水浴をするために有名なビーチであ

[2023.2] 【書評】 大石 始 『南洋のソングライン―幻の屋久島古謡を追って』

文●今福龍太(文化人類学者)  屋久島に伝わる古謡の幽かな響き。その、南の海の島々を結ぶか細い音の糸の謎めいた曲がりくねりを丹念にたどりながら、人々よって守られてきた伝承の、無数のささやき声に静かに聞き耳をたてる旅人。そんな著者の「旅人」としての真摯さと謙虚さにまず印象づけられる。  旅はたしかに現代人にとってはかけがえなき自己探求の手段だ。だがその探求は、自分が何者であるかを知るだけでなく、何者でないのかを知り、さらには自分のなかに潜む得体の知れない他者を見出すことでも

[2023.1] 【島々百景 第79回】 ブエノスアイレス① アルゼンチン

文:宮沢和史  この3年間は南米からすっかり足が遠のいた。南米に限らず自分は一度も国外へは出ていない。「2023年こそは南米で歌が歌える」と意気込んでいたものの、もはや、第何波なのか知らないが、去年の11月から1日の感染者数が増加に転じ、クリスマスと正月休みをきっかけに感染者数を示すグラフが再度高波状態に推移している。ゼロコロナ政策をあっさり放棄した中国では春節を前に人口の半分弱、メディアによってはもっとずっと多くの人が感染したと伝えている。かたや、サッカーワールドカップ