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[2020.1]タンゴダンスの魅力を世界に紹介し続けた巨匠、フアン・カルロス・コーペスの死に...

文●本田 健治 texto por Kenji Honda

 既報の通り、フアン・カルロス・コーペスが亡くなった。タンゴダンスの歴史において、長くカップルを組んだマリア・ニエベスとともに、最も重要な軌跡を描いてきたダンサーの死。それも、今世界を不安に陥れているコロナ・ウィルスによってもたらされたものだった。新聞、ネットなどで、ブエノスアイレスの友人たちからもたくさんの情報が寄せられた。タンゴダンス界の巨匠の死を、それらの情報で再構成してみたい。

 「父はあっという間になくなってしまった」と娘のジョアナはいう。「彼の輝きは星の中に、そしてタンゴ・ダンスの歴史の中に永遠に残るだろう」と、彼女は個人のFBのアカウントを通じて、このニュースを公開した。ジョアナは、コーぺスが生まれ育ったブエノスアイレスのタンゴ揺籃の地、マタデーロで生まれ、そこで父からタンゴの最初のステップを教わった。タンゴ界最高のカップルと謳われたマリア・ニエベスとコンビを解消してから、コーペスは娘のジョアナといつも一緒に活動していた。

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▲娘ジョアナとコーペス

 2016年、ミラノのアルキンボルディ劇場で彼を讃えるショーが開催されるために訪れたイタリア旅行の際、彼は重度の風邪で体調を崩してしまった。イタリアで娘と踊った後、ブエノスアイレスに戻り、肺炎と診断され、集中治療室で1ヶ月以上を過ごした。その際、腸閉塞という不手際に見舞われたものの、手術を受けて回復したが、結局は筋肉が弱ってしまったため、50メートルも歩けない身体になっていた。その後、結局彼は舞台に復帰することができなかった。コーペスは "最後のダンスを踊り損ねた "と繰り返していたらしい。

 コーペスは1931年5月31日マタデーロで生まれ、彼の家系では祖父のフアン・ベルティがピアノの先生としてタンゴを弾いていたそうで、相当若い頃からどこのミロンガでも誰もがうらやむ寵児だったという。彼が17才、ニエベスが14才の時にカップルを組み、70年代から「タンゴ・ダンスのルネッサンス」と呼ばれる輝かしい道を歩き始めた。ニエベスは「ちょっと歩道に降りて。良いステップが浮かんだんだ…」とコーペスに何度も誘われて新しいステップを考え、ふたりで育てていったという。1951年、ブエノスアイレスのルナパークで行われた大規模なダンスコンテストで300人ほどの参加者の中で1位を獲得したのが、彼らの成功の始まりだった。最初にプロとしての仕事をしたのは1955年、カルロス・A・プティと初めて契約、エル・ナシオナルとテアトロ・タバリスで開催した「タンゴ王」フランシスコ・カナロとのステージだった。

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▲マリア・ニエベスとコーペス

 1964年、コーペスとマリアはラス・ベガスで結婚。62年から64年にかけてブロードウェイの大人気番組「エド・サリバン・ショー」に出演、ジュリアード音楽院、スタンフォード大学、シカゴ大学、ソルボンヌ大学で踊り、講習も行っている。スタンフォード大学で "タンゴダンスの哲学者 "として認められ、表彰もされている。もちろん、当時のブロードウェイで「アルゼンチン・タンゴ」のダンスを知るものはいなかったから、ロバート・デュバル、ライザ・ミネリ、フリオ・ボッカといった世界的トップ・スターたちにタンゴ・ダンスのレッスンもしてきた。"The Arthur Murray Party"(CBSの名門番組)に雇われ、週に一度、ダンスに特化した放送もした。
 また、コーペスは恐らく最初のタンゴ・ショーの演出家・振付師でもあった。振付師としてクレジットされている一番古いものが、ピアソラの「ブエノスアレスのマリア」(1968年)だが、ピアソラとはその前にラテンアメリカ・ツアーを経験しているなど、そのずっと前からタンゴ・ショーの演出、振付は手がけてきていた。73年にコーペスとマリア・ニエベスは離婚したが、カップルとしてはその後も長く続けることになった。

 コーペスはタンゴ映画の金字塔とまで言われるカルロス・サウラ監督の「タンゴ」など、世界的に評価の高いな映画に何本も出演してきた。しかし、それは彼らのダンスが名監督たちにインスピレーションを与えたから、とまで言われた。しかし、彼はいつもアルゼンチンに戻ることを選んだ。

 私は、70年代の半ば頃に、ブエオスアイレスの「カバレ−」で初めてコーペス=ニエベスのショーを観た。当時のタンゴは、どこのタンゴ・ハウスでもまだまだ演奏の方ばかりがもてはやされていた時代。演奏の間にダンスが現れたと思えば、パンパ風のフォルクローレの踊りばかり。さほど、期待もせずにいたが、あの時代ですでにカンパニーを従え、優雅なコーペスに支えられて魅せるニエベスの足裁きは、圧巻だった。さすが世界を驚かせたダンス、と初めてタンゴダンスの素晴らしさを知った。コーペス=ニエベスのコンビは、もう二度と現れないと思えるほどのダンスを披露し続けてくれた。

 ニエベスは「100万ドルの足をもつダンサー」といわれ、早いステップで有名、一方コーペスはタンゴの流麗さを踊り、1983年、クラウディオ・セゴビア=エクトル・オレソーリがパリでオープンした「タンゴ・アルヘンティーノ」のダンス振付をエドゥアルド・アルキンバウとともに引き受けて、タンゴ・ダンスの世界的ブームに大きく貢献した。1987年「タンゴ・アルヘンティーノ」はブロードウェイで大成功した後、じつは「ミュージシャンに問題があったり、ダンサーに問題があったり、いろいろなことが重なって」彼らも大物ダンサーたちも参加していなかったが、すぐにクラウディオとエクトルから電話があり、クライマックスを迎えた2度目のブロードウェイでキャストに復帰することに。そのおかげで再び大成功。セゴビアとエクトルは、そのショーをブロードウェイに30万ドルで売っていたが、それは大金でも何でもなかったという。最初の週でソールド・アウトで、その金額はすでに埋められていた」そうだ。

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▲左からコーペス、トロイロ、アルバ・ソリス、エドムンド・リベロ

 エピソードはたくさんあるが、タンゴ界の一番人気だったアニバル・トロイロとの思い出話を。「彼との最初の出会いはひどかった。ルナパークのカーニバル・パーティーのために2つの楽団がいて、そのうちの1つはトロイロ楽団だった。その日のためにプロデューサーはあらゆるジャンルのダンサーを100人ほど雇ったそうだ。ステージで踊ってくれと言われたので、マリア・ニエベスと「バンドネオンの嘆き」をやることにした。デビューの日にトロイロが現れて、『誰だ、この野郎は!?俺の演奏の前に勝手に踊っている!」と怒ったのだそう。トロイロと言えば当時のブエノスアイレス一番の大スターだ。コーペスは本気で「死にたい!」と思ったそう。だが、後日、マイプー劇場で、ゴジェネチェとトロイロが新しいショーの打ち合わせをしている時に、私たちが劇場に入るとすぐトロイロに呼ばれた。またか…、と恐れていたら、「君たちのダンスは素晴らしい!」と抱きしめてくれた上に、前回怒ったことを謝ってくれた。それ以来、トロイロ楽団で、私たちはお気に入りのダンサーとしてステージに立つことになった」という。

 これだけの軌跡を残してきたにもかかわらず、タンゴダンスを取り巻くアルゼンチンの事情は決して芳しいものではなく,ダンスはいつも楽団や歌手の後塵を拝していた。コーペスは「世界ではタンゴの親善大使のように活動してきたのに、この国でもそれなりの評価があると良いんだが」といつも悔やんでいたともいう。2016年、イタリアの旅まで、彼はブエノスアイレスの大きなシアター・レストランで踊っていたが、大きな不払いがあって、実はコーペスはかなり苦しんで、今でも裁判で係争中だったという。

 2020年の12月にフロリダ通りのラ・トーレ病院に入院した。コロナ・ウィルスへの感染が原因だった。しかし、今年になって、なんとか回復傾向で一度は退院したにもかかわらず、以前からの病気(腸閉塞)との合併症からさらに体調が悪化し、1月15日金曜日の午後11時30分に同病院で亡くなった。あまり知られていなかった彼の妻、ミリアム・アルベルネスはインタビューに次のように語っている。「残念ながら、このニュースは事実です。フアン・カルロスは昨夜新型コロナ感染症で亡くなった。私もコロナウイルスに感染していましたし、彼もそうでしたが、すでに退院していました。実際、帰省していた私は元気にしていました。しかし、木曜日に私たちは彼の死を認めなければなりませんでした。ブエノスアイレス・タンゴの最も象徴的な人物の一人であるにもかかわらず、コペスの明白な意志のために、何も公共の通夜を行う予定はありません。彼はそれを望んでいませんでした、火葬されることを望んでいたので、私たちはそうするつもりです…」。合掌。

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