[2022.5]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り22】 歌の変遷 古謡から節歌、新民謡へ−《安里屋ユンタ》を例に−
文:久万田晋(沖縄県立芸術大学・教授)
沖縄の歌として全国的にもっともよく知られているのは《安里屋ユンタ》であろう。しかしこれは昔から地域で伝えられてきた民謡ではなく、沖縄県南端の八重山諸島に伝わる古謡を元に昭和初期に創作された新民謡なのである。「新民謡」とは、大正期から昭和初期に創作された民謡調の歌謡のことで、当時勃興し始めた流行歌の一大潮流ともなった。新民謡《安里屋ユンタ》は古謡《安里屋ユンタ》をもとに昭和9 (1934)年に創作され、日本コロムビアからレコードが発売された。その歌詞の一部を紹介してみよう。
この全国的にもよく知られた標準語による歌詞は、録音にあたって八重山の詩人星迷鳥により作詞された。旋律と伴奏の編曲は沖縄師範学校の音楽教諭であった宮良長包が手がけた。宮良は沖縄各地の民謡を元に多くの歌曲を創作した戦前沖縄を代表する音楽家であった。戦前期の日本を代表する作曲家山田耕筰との交流もあった。
参考動画:夏川りみ(琉球伝統歌舞集団チーム琉神)《安里屋ユンタ》
では新民謡《安里屋ユンタ》の元となった古謡《安里屋ユンタ》とはどのような歌なのであろうか。ユンタとは、八重山諸島において庶民が農作業や共同作業(ユイマールという)の際に、主に男女の交互唱によって歌われる労働歌である。地域によってジラバと呼ぶことも多くユンタ・ジラバと称されることが多い。竹富島を舞台として歌われた古謡《安里屋ユンタ》の歌詞を少し紹介しよう。
このように長歌形式の物語が男女の交互唱によって連綿と歌われていく。内容は、八重山諸島の竹富島にある安里屋(屋号名)の美しい娘クヤマが島の役人に求婚された。しかし後々のことを考えると、島の男を夫にした方がよいといって断った。クヤマに断られた役人はその腹いせに、帰宅途中に出会った別の娘と所帯を持った、という話が続いていく。こうした役人が村娘を求める話は八重山に限らず沖縄各地に伝わっていることから、琉球国時代には実際によくあった話だと思われる。横暴に権限を振りかざす役人に対して庶民側の抵抗、反骨の精神を表現した歌とも解釈できるだろう。
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