[2021.05]【太平洋諸島のグルーヴィーなサウンドスケープ⑩】暗闇のなかのサウンドスケープ ―パプアニューギニア in 1993 その2―
文●小西 潤子(沖縄県立芸術大学教授)
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ポートモレスビー1泊目のリゾートホテルで、オーストラリア人のヴィヴィアン、ドイツ人のブリギッテとディーターの4人で夕食を共にし、1杯のグラスワインに酔って寝入った私は、夜明け前、これまで聞いたことのない不思議な鳥の声で目覚めました。
その日は、国立博物館見学の後、空路1時間でニューギニア島パプアニューギニア領中央部のマウント・ハーゲンに到着予定でした。ポートモレスビーからは、直線距離にして470km少々。途中で道がなくなるので、空路しかありません。搭乗定刻を20分ほど過ぎた時、いきなり欠航の表示。「こういう時、誰に何を言ったらよいのか」と、ブリギッテが旅程表もないツアーへの不満を初めて口にしました。これを聞いて、彼らも私と同感だったことに安堵。私にとって、このツアーは、パプアニューギニアを介して西洋人の身の処し方を見る体験ともなったのです。
翌朝、「別の便が出る」とのことで空港に行ったら、ニュージーランドからの参加者・マーガレットも来ていました。やっと5人が揃い、無事マウント・ハーゲンに到着。1時間半ほどマーケットを見学し(写真1)、ブッシュパイロットが操縦する小型機に乗り継ぎ、直線距離にして200kmくらいのフライト。みんなは、「山の高低に沿って、小型機が上がったり下りたりして素晴らしい」とか言いながらバナナを食べていましたが、私はひたすら乗り物酔いしないようにと祈っていました。
写真1 マウント・ハーゲンのマーケット
(於:マウント・ハーゲン、パプアニューギニア 1993年4月21日
撮影:小西潤子)
ようやく、セピック川らしき蛇行する川(写真2)が見えてきたと思ったら、小型機は下降し始め、私たちは小雨の降る草むらに置いて行かれました。私は、ブーツで足元まで保護していましたが、マーガレットは素足にビーチサンダル。みんなあわてて虫よけクリームを塗り始めました。パプアニューギニアには800もの言語があります。幸い、ディーターが共通語のピジンを話せたので、牧師さんに交渉してトイレを案内してもらいました。
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