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[2021.01]フランスが共有する最大の国境はブラジル...?! そして、アマパーの歌い手たち

[無料記事]

文●南 悠己

 昨年の暮れに、ブラジルの古い友人が面白い記事を送ってくれた。その友人の知り合いが書いた記事。「フランスが共有する最大の国境はブラジル…」と突拍子もないタイトルなので目を通して読み進むと、かなり過激になる。トランプの真似をして新型コロナに感染したボルソナーロ大統領の友人かも、とも見えるが、そうではないらしい…。音楽が後ろになってしまったけれど、最高!!!です。 是非聴いてください!!!

●アマゾン、考えるべき事件
 フランスが共有している最大の国境はブラジルだと知っていましたか?
フランス領ギアナではアマパとの国境が730km、ヨーロッパではベルギーとの国境が652kmです。
 ブラジルは、ブラジル人の承認、ビザ、パスポートを必要とし、まだ南米のフランスに到着するために手数料を支払いますが、フランスの完全な特権と無料アクセスの 2 つの国を接続する 378 メートルの橋を介してヨーロッパに接続されています。今話題のアマパは、アマゾンでは常に世界各地の外国人たちの門戸が広く開かれています。じつは彼らは100年以上も前から出入りして好きなことをしていたそうです。彼らは地域を支配し、何百もの秘密の上陸路を作り、金鉱山を搾取し、木材や宝石を盗み、動物を密輸し、植物の特許を薬に登録しているのに、外国の政府からは、アマゾンから手を引いているのはブラジル人だという話を聞かざるを得ないのです。地域のマホガニー材は、ヨーロッパやアメリカのほとんどの宮殿やホール、邸宅に使用されています(ちなみにギターのネックもマホガニーが多い)。

アマパ橋

 外国政府は口を開いてブラジル・アマゾンの話をする前に、違法・犯罪・隠れた国民を召喚して自国に帰るべきです。

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 アマゾンには、宣教師、科学者、大学の学者、NGOが「研究・調査」をしているように偽装した外人が一杯います。この地域には、小型機の飛行機で運搬を待つ動物たちの仮設動物園がたくさんあります。これらは事実です。私の父は映画プロデューサーでした。彼は70年代初頭にトランザマゾン・ハイウェイの建設を撮影しました。父は何十機もの飛行機がある秘密の滑走路を見ていました。何百機もの小型機がアマゾン/フロリダ州の航空路を作って、すべてを運んでいました。父は何十人もの外国人があらゆる方法でこの地域を探検しているのを見ていました。アマゾン北部からマイアミまでは3000km(空路)。サンパウロはそれよりも遠くにあります。1935年/1937年にナチスがパラー州に遠征したことを知っていますか?その関心は常に世界的なものになっています。アマパでの領土問題と金の発見により、オイアポーク川を挟んだ対岸のフランス軍は、1895年にアマパのエスピリトサント村で大虐殺を行い、女性や子供を含む約40人の民間人を殺害したことをご存知でしょうか?「アマパの疑問」は、フランスとブラジルの問題を超えています。ブラジルはこの地域の主権を持つ必要があります、この国境にロックをかけてください、そうしないとゲートが永久に開放され、「ブラジル人」がすべてを破壊しているという主張の下で領土を失うことになります。これらは事実です。

 S.O.S.アマパをハッシュタグに! これで私たちは全員アマパです。そうしないと、ブラジル人は自国の歴史を知らずにマスコミに晒されてしまいます。......どうやらこの地域に「落雷」があり、州全体が暗闇の中に放置されていたようです。雷だったのか、それともまたこの過疎の地域を不安定にする放火なのか。彼らは、この地域におけるブラジルの力量を疑問視し、主権を弱めるために極論を展開する外国のデモをもっと起こしたいのでしょうか。私たちはこの地域の主権を肯定し、アマゾンでは外人が酷い事をやっていることを世界に示し、アマゾンの問題が新しいものだという無意味な考えに終止符を打たなければなりません。

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 目を覚ませ!外国政府は駒を大切にするゲームをしながら森の中のキリンやゾウに目をつけています。金、油、貴石が名前を変えました。彼らはラテンアメリカを略奪し、ヨーロッパで自分たちの森を破壊し、石炭で生産されたエネルギーを使い、今は環境問題でここに噛みつきたいと思っています。もちろんブラジルの森林伐採もあります。もちろん汚職はあります。もちろん問題は、何十年も機能していないあらゆる分野の権威や法律の無能さによるものです。特定の地域に経済的・領土的な利害関係が多い場合、奇跡的なことやマキャベリズム的な計画が実行に移されることは、歴史がすでに示しています。
 目を離さないようにしましょう! 理解に苦しむ人がいたら、点と点を繋げてみてください。
                        リナルド・ダマスケノ

 とまぁ、過激な文章…。リナルド氏はもともと中道右派の人でボルソナーロとは関係ないらしい。世界の科学者らは、さらに破壊が続けばアマゾン熱帯雨林は回復不能点に達し、熱帯雨林からサバンナへと変貌する枯死サイクルに入ってしまうのではないか、と懸念しているが、そんな中起きたアマパー州の火災事故(11月3日にアマパーの駅での火災が発端で電気が不足し、大規模な停電が起こり、25日頃まで停電が続いた)に対し、もともと鉱業、林業、農業での利用を目的としたアマゾン開発を主張しているボルソナーロ大統領が、アマゾンは国内問題として開発を進めようとする…。

 世界の自然環境保護団体は世界的規模で反対の声を上げている。

アマゾン.001

 ブラジル国内でも、ブラジル国立宇宙研究所(INPE)は、ブラジル国内の熱帯雨林の破壊が2008年以降で最悪の状態に加速していると発表して、大統領の開発奨励に反対している。スウェーデンの17才の環境活動家グレタさんがボルソナーロが国連演説をする前日に、気候行動サミットで「永遠の経済成長なんておとぎ話ばかりして地球気候の変動に取り組んでいない」と各国首脳を非難したのは誰もが知る通り。
 米国、日本、ドイツ、イタリア、英国、カナダの首脳が、ブラジルを含む森林火災の被災各国に対する「技術的・資金的支援」の合意案について、毎年恒例のG7首脳会談で採択できるよう最終調整に入っているし、英国のジョンソン首相、ドイツのメルケル首相は、アマゾン川熱帯雨林の破壊を懸念して、貿易協定阻止は適切な対応ではないと述べている中、フランスのマクロン氏は「ボルソナーロの嘘」を理由に合意案に反対した。上記のリナルド氏の過激発言は、そのマクロン・フランスを逆恨みしたものらしい。ブラジル政府は、火災の原因を雷と言っているが、証拠はなく、仮に爆発が原因で発電機を損傷したのが雷だったとしても、電力会社は予備の発電機を用意する義務があるのに、発電機が6ヶ月もメンテンス中などと擁護するボルソナーロにはブラジル国内でもさらに非難が集まっている。地球市民としては、あの広いアマゾンの管理をボルソナーロ・ブラジルに負わせいては恐ろしく危険だが、ブラジル政府の無能ぶりを単純に騒ぎ立てるだけでも、逆に多くのブラジル国民の反発を買うということか。マクロンは昨年暮れにコロナに罹った。与党の重鎮10人と食事だと。恐らく、フランス領ギニアまでの航空運賃は,フランス人にとっては国内の安運賃が適用されているはず。フランスからアマパー経由でブラジルに別なウィルスが入っていないとも限らない。恐ろしい。日本の政治家も似たようなことをやって非難されているが、政治家の言うこととやること違うのは世界共通?冗談言ってる場合じゃない。海外からのアーティストたちのライヴをコロナで聴くこともできないこんな日本を何とかしてくれ!

 ところで、アマパーの音楽など日本には余り届かない。アマパー州のSESC(セスキ・ブラジル商業連盟社会サービス連盟=ブラジルにおいて芸術文化、スポーツ、教育分野で最も著しい業績をあげている社団法人)が行っているイベント、SESCANTAは、2019年まで16年間続けて催されていたが、その間かなりの成果を上げてきている。昔、ベレンの音楽を取材した時に、ベレンの仲間がこういった「ベレンは、ブラジルの都会からみればかなりの僻地扱い。だから、リオやサンパウロよりも直接アメリカや、ヨーロッパに目が向く」と。アマパーは橋を渡ればフランスだから、ポルトガルなど他のヨーロッパへの門戸が開いている。とは言え、すでにブラジルの都会にもすでに進出している実力派の歌い手たちもたくさんいる。その中の何人かを紹介。

●Brenda Melo

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 ブレンダ・メロは、アマパーを代表する歌手として、現在もっとも活躍する歌手。2015年に発表した「Tática」でブラジル北部のマーケットを制し、フランス領ギアナの首都カイエンヌ、続いてサン・ジョルジで成功し、ブラジル国内でも天才的アーティストのレパートリーを自身の解釈でうたうショー「ガルを歌う」「ジョビンを歌う」などで好評を博し、その後も、マルセロ・ディアス、アマデウ・カヴァルカンテ、クレバーソン・ビアとの "Quatro Cantos da Floresta"、パトリシア・バストスとの "Vozes do Amapá"、アマデウ・カヴァルカンテとの "Eu sou Daqui"、ナニ・ロドリゲス、ローレン・カヴァルカンテ、マヤラ・ブラガとの "Nossa Tribo"、"Projeto MPA “などのショーを通じて、アマパー州のレベルの高い音楽を次々と発表して、話題を得てきている。2018年には、歌手のヴァル・ミルホメムとミュージシャンのアラン・ゴメスとネナ・シルバと共に、ブラジリアの連邦上院で行われた厳粛なイベントで、マカパの260年に敬意を払うために招待されている。2019年「Oi Noiz Aki」協会のプロジェクト「Curiaúのキロンボの祈り、賛美と太鼓の棒」に参加、新作「Roda dos tambores」を録音し、昨年から今年に賭けて大活躍を期待されている歌手。

●Patrícia Bastos

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 教育者のセナ・バストスと歌手のオニデ・バストスの娘であるパトリシアは、1970年州都マカパー生まれ。アマパーの伝統的な音楽家たちが頻繁に彼女の家を訪れ、豊かな音楽的な環境の中で育った。当初はアマパーの合唱団やワルキリア・リマ音楽院でギターとクラシックを正式に学んでいる。そして,音楽とは別に行政学の学位も持つ。1997年のアマパエンセ・ソング・フェスティバルをはじめ、数々のフェスで優勝、ニコ・ヘゼンジNico Rezende、ロー・ボルジスLô Borges、ビアフラBiafra、ニルソン・シャヴェスNilson Chaves、ボカリヴリBoca Livreらと共演してきた。2017年の「Batom Bacaba」で、第28回ブラジル音楽賞のベストアルバム部門とベストシンガー部門に再びノミネートされ、2017年の「Bacaba Lipstick」は、ラテン・グラミー賞の最優秀ブラジリアン・ルート・アルバム賞にノミネートされた。実力派の歌手。


●Osmar Júnior

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 オズマル・ジュニオール(Osmar Junior Gonçalves de Castro、1963年6月14日、マカパ、1963年6月14日)は、14才で同州の音楽の先駆者の一人であるマエストロ・オスカー・サントスにギターを師事、17才頃からギター、ベース,作曲などで本格的に音楽活動を開始した。1989年にはアマゾンの地域音楽の変革の金字塔の一つであるアマデウ・カヴァルカンテのLP「Sentinela Nortente」のプロデューサーを務めた。1991年に1stアルバム『Revoada』1999年に2nd.「Quando Voltam os Guarás」と自身のアルバムは少ないが、アマパー・ド・ネグロス・ド・アマパー(UNA)でのプロジェクトを発展させ、アフロ=アマパー音楽運動の最重要人物の一人として活躍している。

●Amadeu Cavalcante

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 1958年6月18日、ボサノバが始まった年と同じ年に生まれたアマパーの文化運動家。トロピカリア運動に影響を受け、1982年、パラー州出身の作曲家ジル・バラタとのパートナーシップによる「デモクラシアDemocracia」という曲で、第1回イタイトゥーバ音楽祭で優勝。以来彼の活動は途切れることがなかった。数々のヒット曲を送り出してきたが、同時に2010年と2015年に文化省から「Ponto de Mídia Livre(フリーメディアポイント)」として表彰された「Vanguarda Cultural」誌の制作者でもある。ナベガル・アマゾニア・プロジェクトのコミュニケーション・アドバイザー、文化エージェントを務める。2011年には、文化プロデューサーとして、ブラジルの文化創造プロジェクトを通じて、「ブラジルの文化創造者100人」の統合人に選出されている。ヴァンガルダ文化誌の編集者、ディレクター... VanguardaTrupeとの文芸ミュージカル番組のプロデューサー兼メンバーでもある。

●Sabrina Zahara

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 19年の芸術キャリアを持ち、演劇や音楽を含むキャリアを持つサブリナ・ザハラは、地元のシーンで最も活躍する女優の一人であり、アマパエンセのポピュラー音楽とその文化的要素に常に注意を払いながら、ブラジルの今の音楽の作曲家、演奏家としての可能性を少しずつ示してきた。ミュージカルでの活躍が先行したが、2003年の「煉獄のマルクリノの到来A chegada de marculino ao purgatório」で最優秀助演女優賞、翌年「オス サルティンバンコスOs saltimbancos」で最優秀女優賞、2011年のミュージカル「O cordel do amor sem fim」と「布人形Bonequinha de pano」は人気爆発、彼女の名は最高潮に。を2018年には「オフェレンダ」という曲でセスカンタ・アマパの番組司会に抜擢された。アマパーの音楽運動を率先してリードする存在。歌手としては2017年に「声の才能」フェスティバルで2位を獲得し、2018年には「オフェレンダ」という曲で大人気を博し、セスカンタ・アマパに抜擢された。

●Deize Pinheiro

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 デイゼ・イニェイロはアマパー出身のコミュニコロジスト、歌手、女優、作曲家。セスカンタ・アマパー、ウマドマ、フェスティマップ、アマパー・ジャズ・フェスティバルなど数々のフェスティバルで活躍してきた。彼女は16才まで教会の児童合唱団に所属。数々のフェスティバルで頭角を現し、「エッセンシー」や「ヴァンガルダ・アマゾニア」といったバンドでも歌って人気となった。演劇、ダンス、音楽、詩のグループ「Boca Miúda」に参加し、ミュージカル「これは私の大地Este é Meu Chão」に出演し、リゼロ・ミュージカルグループの一員としても活躍した。最近では、オイアポーク、カイエン、フランス領ギアナ、ピラシカバ(SP)、サンパウロ(SP)、リオデジャネイロ、ポルトアレグレ(RS)とグラマード(RS)で大規模なコンサートを行っている。今後も海外での活躍が期待されている.

●Aroldo Pedrosa

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 1958年6月18日、ボサノバが始まった年と同じ年に生まれたアマパーの文化運動家。トロピカリア運動に影響を受け、1982年、パラー州出身の作曲家ジル・バラタとのパートナーシップによる「デモクラシアDemocracia」という曲で、第1回イタイトゥーバ音楽祭で優勝。以来彼の活動は途切れることがなかった。数々のヒット曲を送り出してきたが、同時に2010年と2015年に文化省から「Ponto de Mídia Livre(フリーメディアポイント)」として表彰された「Vanguarda Cultural」誌の制作者でもある。ナベガル・アマゾニア・プロジェクトのコミュニケーション・アドバイザー、文化エージェントを務める。2011年には、文化プロデューサーとして、ブラジルの文化創造プロジェクトを通じて、「ブラジルの文化創造者100人」の統合人に選出されている。ヴァンガルダ文化誌の編集者、ディレクター... VanguardaTrupeとの文芸ミュージカル番組のプロデューサー兼メンバーでもある。

(ラティーナ2021年1月)



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