[2023.10]ショーロクラブ インタビュー 〜6年ぶりの最新作『Caleidoscópio』リリース!
文●中原 仁
結成34年を迎えた、笹子重治(ギター)、秋岡欧(バンドリン)、沢田穣治(コントラバス)の弦楽トリオ、ショーロクラブ。一時期、3人のうちの2人の健康上の問題で活動がストップしていたが、病が癒えて2022年晩秋からライヴ活動を再開。2023年9月27日、6年半ぶりとなるオリジナル・アルバム『Caleidoscópio(カレイドスコーピオ)』を発表した。オリジナル・アルバムとしては12作目、企画アルバムを加えれば26作目となる。
全14曲、すべて3人がそれぞれ作曲した新曲で、再出発に際しゲストを入れず、全て3人で録音。3人が制作費を分担した、初の完全自主制作盤で、沢田穣治が主宰するレーベル、Unknown Silenceからの発売だ。
昔から “初老クラブ” などと言われていたことがあったが、今や立派な前期高齢者となった3人に話を聞いた。聞き手が旧知であるだけでなく過去に何度かショーロクラブのアルバム制作に関わった立場でもあり、インタビューというよりも座談会というよりも雑談会、そんなノリだが、最初に自慢しておくと話はとても深い。
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中原 今年の1月の復活ライヴ、まさに見事な復活でしたが、その時点でレコーディングの企画はあったんですか?
秋岡 その話は出てたよね。
沢田 元気になったら録音しようと。
笹子 とにかく、この人たち(秋岡、沢田)が死にかけてたから、もう次のアルバムはないだろうとずっと思ってたんだけど、そしたら生き返ってきたから、だったら出来るなと。
秋岡 とりあえずリハーサルやったら、ああ行けるんじゃないって話になって、その場でいろんなライヴハウスに電話かけてライヴを組んじゃった。で、その勢いでアルバムも作っちゃおうかという話になって、あとはバアッと。
笹子 まだ秋岡君が体調が悪かった時期に話したのは、まずレコーディングから始めるのがいいんじゃないかと。レコーディングなら自分たちのペースで出来るから。ただ 事の他、復活ぐあいが良かったので、ならライヴからと。
中原 「晴れ豆」での復活ライヴ(2023年1月11日開催)は本当に素晴らしかったですね。しかも、お二人ともすっかり元気になられて。
秋岡 年寄りの冷や水とか、風前の灯とか。
沢田 でも今は笑って言うてるけど、沖縄に行ってる時に京都の医者から電話かかってきていきなり余命宣告、やないけど検査した結果が悪性のリンパ腫だったので、帰ってその足ですぐ府立医大に行くようにと言われて。でもそれは、電話で脅されてたんですよ。行ったら「治るから」って言われた(笑)。
笹子 人生は有限であるので、もっと音楽をやんなきゃ、って思ったんだよね。
沢田 そうそう。
中原 ニューアルバム『カレイドスコーピオ』の話に行きましょう。どこを切っても、どこを聴いてもショーロクラブ。3人それぞれ演奏家、作曲家としてのキャラクターが明確に出ていて、言い方は悪いけど、これぞ模範解答というか、この人がこの曲を作る、うーん、深く納得という印象です。
笹子 なかなかの模範解答だったと思うんですよね。楽曲の平均点は高かった。
秋岡 前回(注:『música bonita』2017年)はスタジオ・ライヴ的な一発録りというテーマがあったけれど、それまでは3人がオリジナル曲を作って、最終的にその曲を良くするためにゲストを入れたこともあって。
笹子 今回も岡部洋一(パーカッション)が空いてる日があったんで、岡部を入れたい曲があったんだけど、、、
秋岡 2人で却下した、思いっきり。
沢田 今回は3人でやりたかったんですよ。
中原 3人に徹したのが何よりも良かったと思います。沢田さんのピアノ、秋岡さんの12弦ギター、笹子さんの口笛と「水」(笑)は入ってますが、ダビングも最小限で。
秋岡 地味になっちゃう危険性はあったんだけど、作ってみたら意外とそうでもなくて、14曲のヴァリエーション、強弱や緩急は、思った以上についたという気はしてます。
中原 アップテンポと言える曲は「Giro Luminoso」ぐらいで、昔のアルバムと比べるとミディアム以下のユッタリしたテンポの曲が圧倒的に多い。これは年齢から来るものですか?
沢田 年齢、年齢。
笹子 年齢もあるけど、タラタラした曲の表現に関して、他の誰もこの真似は出来んだろう、そこが僕らのいちばん優れてるとことだと思ってます。
沢田 阿吽の呼吸というか、間の感覚がキッチリ縦じゃない。伸びて、縮んで、で着地点はみんなで、ああ、、、ここや、という感じ。
秋岡 グルーヴを出すための演奏は、テンポが速ければいいってもんじゃない。自分たちの昔の演奏を聴くと、思ってるよりずっと速いんですよ、全部ことごとく。なんで俺、こんなに速く弾いてんだろう、不自然な速さだって思っちゃう。今、聴くとね。ていうことは、今の自分はあの速さを求めていない。逆にもっとテンポを落としたところじゃないとグルーヴは絶対、出ないよね、ということを、グルーヴ系の曲をやってて思った。これは今回、気がついたところかもしれない。
沢田 音量も、僕、大きい音がダメになってきた。
秋岡 鎌田さん(注:エンジニア)も言ってたよね。沢田さんのベースの音がビビらなくなったねって。昔はバチーン!ドワーン!という音が売りだったけど。
沢田 ピアニッシモで綺麗な音を出すことを心がけてる、というか自分がその音を好きになってきた。楽器と戦うんやなしに、楽器を愛でるってなったかなと。僕が長年、他のところでやってもピアニッシモを大切にできるようになったのは、この2人とやってる、弱音のすごい綺麗な音をピアニッシモで出すことを何十年、心がけてきたからやと思う。
笹子 どんどんその度合いは深まってると思う。俺自身も、もっと弱音に向かうヴァリエーションが増えたかなと。これが出来るのは、言っちゃ悪いけど俺らだけやね。
中原 ショーロクラブの楽器編成から来る特徴として、音の余韻、減衰が短い。つまり間があって、それは聴き手にとっては緊張を強いられる場面でもありましたが、今やむしろ、間が心地よい。それは演奏者が、間を完璧にコントロールできる段階に到達したからじゃないかと、今年のライヴを聴いた時にも実感しました。
沢田 そう、間を楽しむ。間を奏でてる感じですよ。
笹子 本当にそうですね。
秋岡 その部分をいちばん最初に教えてもらったのは、実は話が昔に飛ぶんだけど、ジョエル・ナシメント(バンドリン奏者)なんですよ。僕がペーペーの頃、演奏を聴いてもらった時に「おまえ、手を離すのが早すぎる」って彼に言われたんです。「まだ音が鳴ってるんだから、最後まで指を離すな。それがいちばん大事だから気をつけておけ」と。そのことを言ってくれたブラジル人は彼だけだった。
沢田 これも昔の話やけど、ペドロ・アモリン(バンドリン奏者)と一緒に演奏したときに、ペドロは当時の若手の中で一番テクニカルで、もうペキペキ弾いてたやん。でも秋岡が弾いた音にはスゴい、艶というか湿気があるんですよ。やっぱ秋岡の音には日本人にしか出せんものがある。それやと思うんですよ。
秋岡 でもそのヒントをくれたのがジョエルだったんでね。で、ショーロクラブはブラジル音楽から始まって、オリジナルを作ろうとなった時に、ヘンに和のテイストにこだわるのは嫌だった。ブラジルはブラジルでいいじゃん、影響受けてるんだから、僕らの音楽がショーロだって言われればそれでいいし、ブラジル人に「こんなのショーロじゃない」って言われたら、全然いいですよ、日本の音楽だからって。そのへんのいい加減なスタンスをキープするっていうのはわりと、自分にとっていちばん大事なところだったんですよ。だからそういう意味では、和だからこうしなきゃいけないとか、ブラジル音楽の影響を受けてるんだからここはこうじゃないと本物じゃない、とかの原理主義的なことは絶対に言いたくなくて。
笹子 自分はこうだっていうことから始まるところが、3人の共通の認識だと思う。
中原 今、間の話を聞いてて思い出したのはショーロクラブの初期に、たしかマウリシオ・カヒーリョ(ギタリスト)に言われたことがありました。「ヴィブラソンイス(Vibrações)」や「フロホー(Floraux)」といったスローなショーロのスタンダート曲を、ショーロクラブのようにユッタリと間を生かして演奏できるブラジル人はいない、と。
笹子 あれが、ブラジル人ではない人の感性を突き詰めていったショーロの形だと思うんです。あんなに湿った「フロホー」はブラジル人には演奏できない。ショーロクラブの最初の頃からそういう要素はあったと思います。
沢田 そっから始まって、今は再出発って言うか、原点に戻った感じがするんですよ。シン・ショーロクラブみたいな。まだ気持ちは若いから、次は出来ることをいろいろやりたい。
秋岡 その時その時、それぞれに影響を受けてるものが違うし、自分の "推し" みたいなものもその時々あるじゃないですか。そういうのが曲作りに出てくるので毎回毎回、新鮮というか、30何年やってても飽きが来ないですね。
沢田 同じ人たちと30何年も、ひとつのユニットでやり続けてるなんて、自分の人生でこういうふうになるなんて思ってなかったからね。
秋岡 今回ひとつ自分が変わったのは、ショーロクラブのサウンドを考えながら曲を作っていく中で、どうしてもバンドリンで美味しいフレーズを探したりとかしがちだったんだけど、今回は一切しなかったんですよ。曲が出来るまで、頭に浮かんだアイディアをキーボードでさらって譜面に起こす。それが全部出来たところで楽器で試してみて、間違ったところは直すけれど、基本的な曲作りに一切、弦楽器を使わなかった。
沢田 それぞれ作り方が違うんやな。僕もピアノで作曲するけど、ショーロクラブの場合は、弦楽器を想定して最初から作る。ササジイがギターでどう弾くか、秋岡がどう弾くか分かってるから、自分がやりたい和声やメロディーを作って、あーこの2人ならこうやるわって。で、大体、まちがったことないんですよ。
笹子 お互いのようには曲は作れないけど、何らかの影響は受けてる。だから他の人のために曲を書いた時に、どっかに沢田さんのようなものがポロっと出てきたりする。
秋岡 ササジイが他でアレンジしてギター弾いてるのを聴くと、これショーロクラブじゃん、みたいなのが時々あるよね(笑)。
笹子 ショーロクラブの音楽は、自分にとってのひとつの武器でもあるしね。
秋岡 ショーロクラブのアルバムに入っている曲を、3人の作曲家別に分けて編集したのを聴くと、全然、印象変わるよね。
中原 このバンドを長年やってて、ほとんど曲の共作をしてないですよね。
笹子 最初の頃だけでしたね。
秋岡 曲の半分までしか出来ずにいて、あとを委ねたことはあった。
笹子 それは今後もありだとは思うけど、なんとなく曲の起承転結を自分でつけちゃってますよね。
中原 3人の作曲家、演奏家としてのキャラが際立っている一方で、笹子さん秋岡さんにはブラジル音楽、サンバやショーロから北東部の音楽までという共通のルーツがある。秋岡さんと沢田さんには、ジャズやコンテンポラリー・ミュージック、例えるならECM的な音楽の要素がある。沢田さんと笹子さんには、和のメロディー感覚という共通点がある。そういった部分で共作していくと、また面白い音楽ができるんじゃないか、なんてことも考えながら新作を聴いてました。
笹子 今後、1曲ずつそういう曲を入れるのもありかもしれない。途中まで出来てるけど曲として完成してないものもあるし。半分、人が作った曲だと思うと少し無責任になれるんで、その分だけ自由になれるかも。
沢田 最近のアルバムってずっとセルフ・プロデュースやから。初期の頃はプロデューサーがいて、こういう感じのやりませんかみたいに言われて、3人それぞれ部分的に作って大作になったり、ということはありましたね。プロデューサーが僕らを仕切るアルバムっていうのもあってもいいかも。
笹子 こんなに我儘な人たちをプロデュース出来る人なんていないでしょう。
沢田 ま、仁さんぐらい、ちゃう?(笑)
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(ラティーナ2023年10月)
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