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あの日のすべてが空しいものだとそれは誰にも言えない ⎯⎯ 加藤登紀子コンサート「時には昔の話を」配信中!

 7月18日に、渋谷オーチャードホールで行われた加藤登紀子さんのコンサート「時には昔の話を」が、配信中です。視聴期間は、7月31日(土)まで!!!

文●花田勝暁(ラティーナ編集部)
写真●山本倫子

 第一次世界大戦が終わった後の1920年代のヨーロッパを舞台にした宮崎駿監督のアニメーション映画『紅の豚』のラストテーマとして取り上げられた名曲「時には昔の話を」をタイトルに冠したコンサートのテーマは、「100年を語る」。100年前と現代とを結び、歴史の転換点を生き抜いた人々に思いを馳せ、この世に残された素晴らしい歌の数々から祈りと希望のメッセージを受け取ることができる内容でした。今年キャリア56年周年となる加藤登紀子が大事にしてきた曲の中から選び抜いた楽曲に、加藤登紀子の軌跡と魅力が凝縮されたコンサートでした。

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 およそ1年前の2020年の6月に、感染対策を行った上で、55周年記念コンサート「未来への詩(うた)」を、同じく渋谷オーチャードホールで行っていた加藤登紀子。今回も、「収容定員の50%を上限」といった感染防止策を講じた上で、オーチャードホールでのコンサートが行われた。

 演奏
 ギター:告井延隆
 ピアノ:鬼武みゆき
 ベース:早川哲也
 ヴァイオリン:渡辺剛

 白いドレスを纏った加藤登紀子がステージに登場すると「そこには風が吹いていた(作詞作曲:加藤登紀子)」「琵琶湖周航の歌(作詞:小口太郎 作曲:吉田千秋)」「未来への詩(作詞作曲:加藤登紀子)」の3曲をMCを挟まず、続けて歌唱。
 「琵琶湖周航の歌」は、1917年に出来た100年以上前の歌だ。急ぎすぎた時代の中で聞こえる悲しい不協和音に想いを寄せて書いたという「そこには風が吹いていた」と、歌手生活55周年を記念するシングル曲としてリリースされた「未来への詩」は加藤登紀子の作品。

元気ですか? 今日は本当にありがとう。去年に続いて、オーチャードホール・コンサート実現することができました。
すごくお客さんに気合が入っていて。客席から伝わってくる緊張感がすごくて、素晴らしかったですね。
今日も大切に、私の大事な曲を選んで、お送りしたいと思います。
今日は、タイトルを「時には昔の話を」にしたんですね。なんだかわけのわからない時代になってきちゃってね。そんな時はどうすればいい? 振り返ることだって思って、じゃあ、100年を語ってみようかって。
私の母が90才のときだと思うんですけど...
「長く生きても、100才の婆さんになっても、嬉しくはないんだけど、100年も生きた人っていうのは、すごいわよね」って言ったことがあって。
100年を語るって、私その4分の3は、生きてるからそんなに古い時代のことをしゃべるんじゃないんだなあって。ちゃんとしゃべる責任もあるなあって。
今日、2番目に歌った「琵琶湖周航の歌」っていうのは、1917年にできた歌ですから、もう100年以上経ったんですね。
そして、『紅の豚』っていうのは、1920年代中頃の話なので、今から100年くらい昔の話なんですよ。

「これから何が始まるんだろう?」「人間はすごいことがいっぱいできるんじゃないだろうかね」っていうような夢で溢れていたというのが100年前だったっていう気がします。
「琵琶湖周航の歌」の最後に「語れわが友、熱き心」って歌われます。「熱き心」って... 彼が夢見た未来って、何だったんだろうと思って。どんな未来が待っていたんだろうって、ふっと思ったら、「未来って不思議だなあ」と思ってね。

じゃあ今から何年後が未来ですかっていうと何年後が未来っていうのは、決まってないわけ。100年後かもしれない、明日かもしれない。でも見えないものだから、未来って言っているんですよね。

そう考えてみたら、1番確かなのは、今ここで感じている未来が1番確かなんだって思って。そんな思いでいっぱいです。

いつ何時でも、時間は通り過ぎて行くんだけれど、
その度に、新しいページを開くっていうのは、今っていう瞬間なんだから、
そこに満ち満ちているのが未来だよって、
そんなことを思いながら、曲を選びました

 加藤登紀子さんは、e-magazine LATINAに、この7月までに1年間計12回の連載「Tokiko の地球曼荼羅」で、自身と楽曲の関係や、楽曲にまつわる物語について、丁寧に語っていただいた。
 「琵琶湖周航の歌」についても、第6回「100年前の日本〜Peopleの時代の始まり!」で、詳しく言及している。

 続いて、昨年4月の緊急事態宣言の最中に書き下ろされた「この手に抱きしめたい(作詞作曲:加藤登紀子)」。YouTubeで、様々な人たちにもカバーされた。

...
さよならも言えず 見送るなんて
神様お願い 力をください
窓を開けて 空を見上げて
愛する人を その手に抱く時まで
生きるために 生き抜くために
...
(「この手に抱きしめたい」)

 「この手に抱きしめたい」を万感を込めて歌い終わると、ギターを手にした加藤登紀子。

あの時に作ったんだなって、すごく覚えている歌がいくつかあって。それは、大抵、途方にくれている時なんですよね。もう明日のページが開けないというような時に、佇んで。そして、何にも無くなった時、言葉がなくなった時っていうのかしら、空白の中から降ってくるっていうのが、それがいつも歌のような気がするんです。

「ああ、あの日って」覚えている歌の1つに、「ひとり寝の子守唄(作詞作曲:加藤登紀子)」っていう歌があります。1969年の、3月12日に、東京に無闇に雪が振った日があって、仕事も何もなくなって。もう寒くて寒くて、その寒い日に、1人でぽつねんといた時に、できた歌です。
ひとりで寝る時にゃよぉー
ひざっ小僧が寒かろう
おなごを抱くように
あたためておやりよ
...
「ひとり寝の子守唄」

 続けて、森繁久彌の作品「知床旅情(作詞作曲:森繁久彌)」を、弾き語りベースで。

知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘にのぼれば
遥か国後に 白夜は明ける
...
「知床旅情」
 今も「知床旅情」を歌いながら、あの世に行った人ばっかり思い出されちゃって、泣いちゃうね。100年を語るって言って歴史上のことを話している分にはいいんだけれど、「知床旅情」も、森繁さんが作ってから、60年も経つんですよ。私が歌って、50年。そうして見ると、私と森繁さんの縁もすごい縁だったなあと思う。

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 ギターを持って、座っていると、どうしても弾き語り歌いたくなると言って、予定になかった、河島英五作「生きてりゃいいさ」を歌い出した。

 英五さんは40代で亡くなって、今年で20年なのあっという間に、なんというか、嵐のようにね、去って行った感じでしたね。

 パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事し、アフガニスタンで、武装勢力に銃撃され死去した医師、中村哲と、加藤登紀子は親交が深かった。今年、中村哲の残した著作を読み直し、加藤登紀子の言葉でまとめ直した「哲さんの声が聞こえる 中村哲医師が見たアフガンの光」が上梓されるが、この本に込めた思いが語られた。

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できれば、20才とか学生さんとかのような人も、これは知っておいた方がいい歴史かもしれないよって意味では、読んで欲しいですし、私みたいに、本当に同じ時代を生きてきたというような人も、ぜひ、読んで欲しいと思います。

色々大変な時は、もっと大変な人はどう生きたんだろうっていうのを見るのはすごくいいと思って、私は哲さんの物語から、本当に力をもらいました。哲さんは多分、未来のために、生きる人だと思って、大切に語り継いでいきたいなあと思っているんです。

次女のYaeが生まれた翌年(1976年)に、『回帰船』ってアルバムを作ったんですよね。なんで『回帰船』だったかというと、もう本当に子育てが大変で、自分が見えなくなっちゃってね、もう毎日あたふたしているだけじゃんって、すごく不安になりましたじゃあ、私を振り返りたいなあと、私っていうものを繋ぎとめたいっていう気持ちがあって、作ったアルバムだったんです。まだ76年ですからね、私たちみんなまだ若くて、これからを生きようとしていて、海外に出ていく人もすごく多かったのでこの曲を作ったんですけど、それから遥かに時が経って、今歌ってみると、色んなたくさんの人を、心の中で精一杯送る歌の気がします。

今日は、中村哲さんのために、この曲を歌わせてください。

  こう言って歌い始めたのは、「あなたの行く朝(作詞作曲:加藤登紀子)」。

......

海の色がかわり 肌の色がかわっても
生きていく人の姿にかわりはないと
あなたはいったけれど
あの晩好きなうたを 次から次へとうたいながら
あなたが泣いていたのを 私は知っている
生まれた街を愛し 育った家を愛し
ちっぽけな酒場や ほこりにまみれた部屋を愛し
兄弟たちを愛したあなたを 私は知っている

いつかあなたが見知らぬ国を 愛しはじめて
この街の風のにおいを 忘れていく日が来ても
あなたの行く朝の 別れのあたたかさ
私は忘れないいつまでも

(「あなたの行く朝」)

 次の歌が1部最後の曲。

 ピアフの「谷間に三つの鐘がなる」という曲で、人生に三度鐘が鳴る、と歌っています。1度目は誕生の時、2度目は愛する人と結ばれる時、3度目はこの世を去る時だというのです。
 人が、去っていくっていうのはいくつも歌にしているんですけど、この中で、生まれた時、恋をする時、これはあなたが祝福を受ける時ですよっていう意味を込めて、この歌を作りました。「今があしたと出逢う時(作詞作曲:加藤登紀子)」。
小さな体に宇宙の風を
受けてまぶしい光の中へ

大きな愛に出達うために
奇蹟のこの星に
生まれたあなた

...

愛の日々を重ね
あしたを越えて行けばいい

燃える心のままに
あしたを越えて行けばいい

(「今があしたと出逢う時」)


 配信映像では、ここで、加藤登紀子のコメントが加えられている。

1部が終わりました。1年間の間に感じた何もかもを吐き出したというか、私にとってはとても深い1部だったと思うんですけれども。

さて、後半の2部なんですけど、「時には昔の話を」というタイトルで、私が1番心に思ったのは、ちょうど、『紅の豚』から100年。

100年というのは、人間にとって一体何だったんだろう。私たちは本当に素晴らしい100年を、前に進んできたのか。一体、何を手にするための、この100年があったのだろうか。という思いで、『紅の豚』の「さくらんぼの実る頃」から百数十年の歴史が感じられるような2部です。

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 赤と黒のドレスに着替えた加藤登紀子。2部も、MCを挟まず、加藤登紀子秘蔵のレパートリーから「暗い日曜日(作詞:ヤーヴォル・ラースロー、作曲:シェレシュ・レジェー、日本語詞:加藤登紀子)」「今日は帰れない(作詞作曲:スタニスラフ・マギエレルスキー、日本語詞:加藤登紀子)」「カチューシャの唄(作詞:島村抱月、作曲:中山晋平)」の3曲を続けて聴かせる。

 2部最初に歌った「暗い日曜日」は、1936年にダミアがフランス語で歌い世界的にヒットした歌。30年代、非常に暗い時代を迎えようとしていた時の、世界的なヒットソング。加藤登紀子は、シャンソンを本格的に聴き始める前の中学の頃からダミアの声に惹かれていたという。

ダミアと私は、本当はとても早くからの縁で。というのは、私の中学の頃に、うちでダミアのSP盤をずっと聴いている人がいて。私は子供の頃から声が低かったので、すごくコンプレックスだったんですけど、こんな低い声の人がいると思って、ダミアの歌を大好きになったんですね。で、シャンソンがどうとかっていう前に、私はダミアにぞっこんだったというのが、私の中学時代の思い出です。

 「今日は帰れない」は、ドイツ占領下のポーランドでゲリラ的に抵抗したパルチザンを応援するために作られた歌。

今日は帰れない
森へ行くんだ
窓辺で僕を見送らないで
君のまなざしが闇を追いかけ
涙にぬれるのを見たくないから
涙にぬれるのを見たくないから

...

もしも春まで
帰らなければ
麦の畑に種をまくとき
僕の骨だと思っておくれ
麦の穂になって戻った僕を
胸に抱きしめてむかえておくれ

(「今日は帰れない」(日本語詞:加藤登紀子))

 作詞:島村抱月、作曲:中山晋平の「カチューシャの唄」を巡る物語についても、連載で詳しく書いている。1914年、劇的な大ヒットとなった。

カチューシャ可愛いや 別れのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と 神に願いを (ララ)かけましょか

……

(「カチューシャの唄」)

 続く3曲も続けて歌ったが、このパートでコンサートは最高潮を迎えた。「さくらんぼの実る頃(作詞:ジャン=パティスト・クレマン、作曲:アントワーヌ・ルナール、日本語詞:加藤登紀子)」「ペール・ラシェーズ(作詞作曲:加藤登紀子)」「愛の讃歌(作詞:エディット・ピアフ、作曲:マルグリット・モノー、日本語詞:加藤登紀子)」の3曲だ。

(『紅の豚』の)ジーナがちょうど100年前、第一次世界大戦が終わったどさくさのような、やっと生き抜く人たちが必死めいているような、そういうシーンの中で、「さくらんぼの実る頃」という歌を歌います。

「さくらんぼの実る頃」で作られたのは、第一次世界大戦から、また更に50年も前のフランスです。普仏戦争という悲惨な戦争があった後に、フランス中が荒廃して、生きていくのもやっと大変という時に、パリの市民が立ち上がって、パリ・コミューンっていうものを作ります。人々が愛に満ち溢れるような、そんな華々しい時代を作ろうとしたわけです。でも、72時間で、無惨に惨殺されて終わってしまいます。

今思うのは、美しい、素晴らしかった時代っていうのは、今までもいくつもあったかもしれないけど、必ず、その後に暗闇が来たりするんですね。

でもだから、これが無惨に虚しいものだったかというと、そうではなくて、それが輝かしかったということは、永遠に残る。そのことを、『紅の豚』という映画の中でも、ジーナは、いつもいつも、光に満ちている時代のことを忘れないようにしましょうね、っていう意味で、この「さくらんぼの実る頃」を歌っていたと思います。

 「ペール・ラシェーズ」は、エディット・ピアフが眠る墓地の名前。この墓地にはパリ・コミューンの兵士の記念碑もある。加藤登紀子が愛と自由のために生きた人々へのオマージュとして書き下ろしたのが「ペール・ラシェーズ」という歌だ。

 パリ・コミューンの人たちが、「ペール・ラシェーズ」というお墓に立て篭もって、最後、血の一週間に沢山の人が殺されていくんですけど、その「ペール・ラシェーズ」の中に、今も石碑が立っています。 

そして、素晴らしいのが、「ペール・ラシェーズ」のパリコミューンの石碑のすぐ横に、エディット・ピアフのお墓があるんです。

 ベルヴィル通りで生まれて、そして、ペール・ラシェーズに眠っているピアフ。彼女の歌もお送りしたいと思います。

 加藤登紀子が取り上げてきたパリに関係する曲についても、連載で取り上げているので、そちらもぜひお読みいただきたい。

もしも空が裂けて大地が崩れ落ちても
私はかまわない あなたといるなら
あなたの腕の中で体を震わす時
何も見えないわ あなたの愛だけで

あなたが言うなら世界の果てまで
地の果てまでも
あなたが言うなら栗色にでも
黒髪にでも
あなたが言うなら盗みもするわ
あの月さえも
あなたが言うなら国も捨てるわ
友もいらない

...

(「愛の讃歌」日本語詞:加藤登紀子)

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 エディット・ピアフの「愛の讃歌」を歌い終わって、加藤登紀子は、こう言った。

本当に素晴らしい歌がこの世に残されてきたということは、なんと大きな力をくれるのでしょうか。

すごく多難な人生だったからこそ、エディット・ピアフの溢れる愛への思いは、ものすごくて、吹き飛ばされそうになるほど、歌う度に生まれかわった気がするんです。

 コンサートの本編最後は、コンサートのタイトルでもある「時には昔の話を(作詞作曲:加藤登紀子)」。映画『紅の豚』の中でラストテーマとして、取り上げられて、多くの人の大切な曲となった。かく言う私もその一人だ。
 ちょっとしたアクシデントで、コンサートで、「時には昔の話を」を2回聴くことができた。配信では編集するのかと思っていたが、配信でも2回演奏している。どんなアクシデントだったかは、観て確認していただければ!

私たちは短い自分の一生を一生懸命生きていますけれど、そこで果たせることは、本当に少なくて。だけど、みんなそれぞれ、自分の生きた時間の中で、精一杯生きたことが積み重なって、色んなものとなって、私たちの地面を作ってくれているんだと思います。

プログラムの最後に「時には昔の話を」を。

『紅の豚』の中でラストテーマとして、これはジーナが歌っているというか、加藤登紀子が歌っているというか、両方の意味もあると思いますけれど...
宮崎さんがこの歌を聴いて、歌の中にある「あの日のすべてが空しいものだとそれは誰にも言えない」、この1言がぼくには、とても嬉しい一言でしたと言って下さって。

人間はもっと素晴らしいはずだけど、なかなかそうはいかなくて...
本当に頑張った結果が、大変なことになったりしてしまう。

というような歴史の中で、それでもみんな、自分の小さな命を必死になって生きて、そのどれもが、それは空しい人生だったとは、誰にも言わせない。
みんなそれぞれの中で生きた時間は、全て空しくはなかった。誰にもそんなことは言わせないぞという。

そんなようなことを、宮崎さんはこの歌に託して、ラストで、映画にしてくださっていると思います。

今日のラストに聴いてください。「時には昔の話を」。
......

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよねどこかで

(「時には昔の話を」)

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生きてることは 愛することだと
ほんとはわかっているのに
自由なはずの 誰もかれもが
がんじがらめの とらわれ人なのか

La Revolution
今ー人きりで心にきめた
La Revolution
体中で感じるために

(「Revolution」)

 拍手のみによる盛大なアンコールには「百万本のバラ(作詞:ボズネセンスキー、作曲:ライモンズ・パウルス、日本語詞:加藤登紀子)」と「Revolution(作詞作曲:加藤登紀子)」で応えた。

もうほんと、ずうっとここにいたいよ、そうはいかないのね、色々現実は待っていますから。乾杯は年末にしましょうね、絶対ね。

去年はエアー・ハイタッチしたんだけど、今日はエアーハグしようか。ありがとう。くれぐれも元気でね。また会いましょう。

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 登紀子さん、素敵なライブでしたが、大変な時代のこの物語の続きを聴かせて下さい。

セットリスト

1部
1-1. そこには風が吹いていた(作詞作曲:加藤登紀子)
1-2. 琵琶湖周航の歌(作詞:小口太郎 作曲:吉田千秋)
1-3. 未来への詩(作詞作曲:加藤登紀子)
1-4. この手に抱きしめたい(作詞作曲:加藤登紀子)
1-5. ひとり寝の子守唄(作詞作曲:加藤登紀子)
1-6. 知床旅情(作詞作曲:森繁久彌)
1-7. 生きてりゃいいさ(作詞作曲:河島英五)
1-8. あなたの行く朝(作詞作曲:加藤登紀子)
1-9. 今があしたと出逢う時(作詞作曲:加藤登紀子)

2部
2-1. 暗い日曜日(作詞:ヤーヴォル・ラースロー、作曲:シェレシュ・レジェー、日本語詞:加藤登紀子)
2-2. 今日は帰れない(作詞作曲:スタニスラフ・マギエレルスキー、日本語詞:加藤登紀子)
2-3. カチューシャの唄(作詞:島村抱月、作曲:中山晋平)
朗読 ひとつの謎
2-4. さくらんぼの実る頃(作詞:ジャン=パティスト・クレマン、作曲:アントワーヌ・ルナール、日本語詞:加藤登紀子)
2-5. ペール・ラシェーズ(作詞作曲:加藤登紀子)
2-6. 愛の讃歌(作詞:エディット・ピアフ、作曲:マルグリット・モノー、日本語詞:加藤登紀子)
2-7. 時には昔の話を(作詞作曲:加藤登紀子)

アンコール
3-1. 百万本のバラ(作詞:ボズネセンスキー、作曲:ライモンズ・パウルス、日本語詞:加藤登紀子)
3-2. Revolution(作詞作曲:加藤登紀子)

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(ラティーナ2021年7月)



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