【琉球音楽周遊 ~沖縄本島の島うた①~ 】 近代沖縄民謡を築いた男たち|宮沢和史
新連載【琉球音楽周遊~ 沖縄本島の島うた①~ 】 近代沖縄民謡を築いた男たち(※好評連載中の「島々百景」もまだまだ続きます!)
文●宮沢和史
*以下敬称略
「沖縄の民謡は言葉がわからないからみんな同じに聞こえる」という風に言われると、悲しいとか悔しいという感情よりも “残念・勿体無い” という思いが先に立つ。考えてみてほしい、北は奄美大島から南西の与那国島までの琉球弧の言葉は、例えば、ボサノヴァのポルトガル語やフォルクローレやタンゴのスペイン語よりも当然日本の共通語に近い。古い青森弁や鹿児島弁と共通語との距離感とそう変わらないだろう。したがって、外国語を勉強している人でなければ、ボサノヴァやフォルクローレよりも何十倍も理解しやすいはずだ。ただし、聴感上どうしても聞き取りづらい。初めて聞いた人が外国語ではないのか?と思ってしまわれても仕方ない。沖縄本島で見てみると、かつては基本3母音で発音していたから、「E」は「I」に、「O」は「U」に近づき、母音は「あ・い・う」の3つの発音になる。例外として「E」「O」は「えー」「おー」と伸ばしてに発音する場合もある。この法則を頭に入れながら、歌詞(琉歌)を追いながら聴けばびっくりするくらい歌の意味が理解できるはずだ。琉球古典音楽も沖縄の民謡(島うた)も基本的には8・8・8・6の30音からなる “琉歌” で歌われているので、例えば「めんそーれー・あきさみよー」といったような馴染みある話し言葉というよりは洗練された美しく香り高い言葉で詠まれている。それは、短歌や俳句にも言えることである。例えば、琉歌でよく使われる言葉として、「うむかじ」というのがある。何のことかお分かりだろうか? 3母音の法則に当てはめてみると、う→お、む→も、か=か、じ→ぜ、要するに「おもかぜ」となる。ただし、最後の「じ」は「ぜ」ではなく、「ぎ」が口蓋化を起こし「じ」に変化したと推測できることから「おもかげ」が正しい。歌詞を読めばそこには「面影(うむかじ)」と書かれているはずだから歌詞を見ながら聴くことにより以前より理解度がぐっと増すはずだ。『遊びションカネー(あしびしょんかねー)』という名曲がある。(注:「遊び」は3母音の法則で「あすび」にはならず「あしび」という)その2番の歌詞は「あしびうむかじや まりまりどぅたちゅる さとぅがうむかじや あさんゆさん」という琉歌である。聴感上は理解が難しいが、歌詞には「遊び面影や まりまりどぅ立ちゅる 里が面影や 朝ん夕さん」と書かれている。「里」は琉歌において女性が愛しい男性を呼ぶ時にいう言葉、なので、この歌の意味は「遊び相手の方の面影は稀にしか立たないけれど 愛しいあなたの面影は朝から晩まで一日中浮かぶのです」ということになる。どうだろう? 読み解こうとこちら側が琉歌に歩み寄っていけば、島の唄はそれ以上にこちらに近づいてきてくれるのだ。
前置きが長くなったが、この『琉球音楽周遊』という特集を今後定期的に書き進めていくつもりだ。芸能豊かな琉球弧に星の数ほど存在する歌の中から、民謡〜新民謡・古典音楽・ポップスまで、幅広く紹介していけたらと考えている。あまり専門的に偏りすぎず、これまで沖縄の音楽に距離を感じていたいた方々に近づいていただけるような紙面にしたいと思う。冒頭で “勿体無い・残念” と書いたが、文学的で美しい言葉で表現され、芸術的に洗練された琉球弧の芸能の魅力が少しでも伝えられたらと願っている。琉球弧、南西諸島はどこよりも身近にある音楽・芸能の宝島なのだ。
地域(シマ)に伝わる古謡に三線の伴奏がついて節歌となったり、歌を生み出す能力のある人物が歌い始めたものが広く伝わり流行歌になって発展していったり、逆に民衆の交流から他所シマの流行歌が伝えられ思い思いの歌詞を乗せて自分たちの歌として定着させていったり、と、民衆が三線を手にし方々で歌い始めることによって琉球弧に基本弾き語りスタイルの民の歌、文字通り民謡が普及していく。それらは琉球國が中国や大和からの使節団を歓待するための公の芸能として構築された”琉球古典音楽”と区別されることが一般的だが、琉球國が大和へ吸収されていく過程で民衆の地平に降りて行った古典芸能のスタイルが庶民の生活・風俗と交わり、リアリティーある活き活きとした舞踊演目曲として生まれた場合もある。反対に、ある地域の古い歌が時間と距離を超えて琉球古典音楽に影響を与え生まれた歌もある。
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