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[2008.8]《今年はジルに抱擁を!》ジルベルト・ジル再考 第6回 インターネット時代、新たなミュージシャン像を提示し続けるジル

 本記事は、2008年の来日ツアーの際に半年にわたり特集した中の、月刊ラティーナ2008年8月号に掲載された記事となります。
 今年16年ぶりに来日することを記念し、筆者の高橋さんにご協力いただき本記事を再掲いたします。

文●高橋道彦

 もう一昨年ぐらいのことになるだろうか、買ってきたCDや聴かなきゃいけない音源が目の前に山積みになっているというのに、延々とYouTubeを観ていた時期があった。それくらい面白かった。たとえば、現地でもカセットさえ出していないアフリカのグループのライヴ映像が簡単に観られるなんて、それまでは考えられなかったことだ。しかも、芋づる式に出てくるし、映像はどんどん増えていく。もちろん増えていく映像における音楽性は玉石混淆ながら、とにかくもう、石ころさえもが面白い。完成されたライヴDVDの映像とは受ける印象がまったく違う。現地の音楽情報をリアルタイムに、なんの飾りもなく、熱気をもって教えてくれる。YouTubeに関しては、やれ著作権侵害だなんだと大メディアはうるさいが、そんな議論とは無関係なところで、自分たちの存在を世の中に知らしめたいと考える無数のアーティストやレーベルが、世界中から現われてきていた。

 文化大臣の職にあるジルベルト・ジルが、本格的に音楽活動に戻りつつあるという意志を表わしたのは、そんなYouTube を通じてだった。07年6月には出来上がったばかりの曲、「バンダ・ラルガ・コルデル」を弾き語りで歌う映像を YouTube にアップ、その歌詞には YouTube の名も歌い込まれていた。さらに今年1月にはジルのチャンネル(http://br.youtube.com/gilbertogil) がYouTube 上に登場、ファンが勝手に投稿した過去の映像を含め、膨大な量の動画が集められている。

YouTube上のジルのチャンネル(2008年当時)

 たとえば今年、YouTube の新企画〝リヴィング・レジェンド〟の第1弾としてローリング・ストーンズが登場し、大きな話題となったが、単純に新たなプロモーション手段といった印象に終始したそこでのストーンズに対し、ジルのほうは彼のオフィシャル・サイトやバンダ・ラルガ・コルデルの特設サイト(注:2024年現在クローズ)と連動する形で、柔軟な姿勢をみせて
いる。Twitter(短いつぶやきを投稿し合うゆるゆるコミュニケーション・ツール)なども使っていて、プロモーションというよりは双方向性のコミュニケーションを目指そうとするジルの立ち位置が表われている。インターネット時代の音楽家とはどんなものなのか、それを彼は模索している。
 たとえば97年、ジルは「ペラ・インテルネッチ」において、自分のホームページを開設し、世界のサイトあちこちに出入りしてディベートしたり、電子メールを世界中に届けるのだと歌っていた。この曲は、ブラジル音楽では
初めてインターネット上で完全試聴が出来るものだった(アルバム『クアンタ』に収録)。

 そんなジルの行動が呼び水となり、98年の終わりごろのブラジル音楽のサイトは、たとえば日本の状況よりも進んでいたという印象をぼくは持っている。特にインディ・レーベルで活動する人たち、たとえばハシオナイス・MCズなどのヒップホップ系グループさえもオフィシャルのサイトを持ちはじめ、情報を発信するようになった。試聴に関しては、イントロから30秒〜1分程度ではなく、音質こそ悪くてもフルに聴けることが多かったのもブラジル・サイトの特徴で、これがCDを買う際にとても役に立った。さらにジョルジ・ベンジョールら大ヴェテランの歌詞つき完全ディスコグラフィーなども早い段階で整備されていて、ぼくも大いに参考にしたものだ。これらはすべて、ジルが先鞭をつけたものといえるかもしれない。
 ジルに話を戻すと、「ペラ・インテルネッチ」以前にも、「パラボリック」(92年)では〝以前はこの世界も小さかった/地球が広かったからだ/だが今は 世界はあまりにも大きい/地球が狭くなったからだ/パラボラ・アンテナの大きさだ〟(国安真奈さんの対訳から)と歌っていた。これは衛星回線・衛星放送という新たな通信手段とテクノロジーをテーマにした曲だ。根本的に新しモノ好きなんですね。
 もっと遡れば、69年の『1969〜セレブロ・エレトローニコ』というアルバムがすでにテクノロジーをひとつのテーマに据えた作品だった。電子頭脳について歌う「セレブロ・エレトローニコ」や宇宙飛行士を取り上げる「2001」、ヒューマノイドに関する「フトゥリーヴィル」と、いくぶんの懐疑を持ちながらも新たなテクノロジーとどう折り合いをつけていくか、そこに彼は興味を寄せている。さらに『1974〜ライヴ』のリイシューCDには弾き語りによる「シベルネーチカ」が収録されていて、70年代前半にしてサイバネティクスだなんてタイトルをつけるとは、なんともかっこいいセンスだ。
 こうしてみてくると、具体的に曲のなかでテクノロジーをテーマにしていた過去の作品と比べるなら、今回の新作『バンダ・ラルガ・コルデル』は、テクノロジーに触れた曲は少ないといえるかもしれない。曲のなかで自分の哲学を表明するというより、このアルバムとネットを使って自分の考えを実践に移している感じがするのだ。
 今回、ジルはアルバム・リリースから3週間ほど先駆けて、全曲をネット上で試聴できるようにし、CDリリースと同時にダウンロードでの購入も出来るようにしている。もちろん試聴できるのは曲の一部ではなく完全な形だ。加えて、実現するかどうかはまだわからないが、ダウンロード販売ではリスナーが勝手にアルバムを構成できるように、ヴァージョン違いを用意したいとも語っていた。それらを使って、ある人は4曲入りのアルバムを、また別の人は8曲入りのアルバムを作ってくれればよいのだ、と。「ある曲では、2バージョンとか、3バージョン入手できる状態にしたい。違ったアレンジのバージョンでね。インターネットでの通信販売でのバージョンとか、ダウンロード販売ではこのバージョンとか、フリー・ダウンロードだとこのバージョン、っていう風に違わせたりもできるよね」。さらに、サイト上ではリミックスも募集していた。それは自分にフィードバックしてくれるなら、曲を勝手に使ってもいいですよと言っているようなものだ。
 リスナーを信頼し、聴き手の感性を最大限に尊重しようとする考えは、『クアンタ』発売時にすでに表われていたともいえる。ブラジルではCD2枚組で発売された『クアンタ』だが、日本を含む海外では1CDで発売されることになった。そこでジルはすべてを自分で選曲せず、まず各国のレコード会社担当者に曲を選んでもらい、あとから数曲を加えるというやり方を取っていたのだ。
 それでは、『バンダ・ラルガ・コルデル』というCD自体の内容はどうなのか。コルデルとはブラジル北東部の吟遊詩人たちの語る詩に挿絵がされた大衆絵本/小冊子のことだそうで、全体では〝ブロード・バンドのパンフレット〟といった意味になる。ジル自身は〝コンピュータ・テクノロジーの恩恵をもっとも受けた作品で、これらの新しい楽器、つまりコンピュータや電子楽器は、今作で強い存在感がある〟と語っているけれど、だからといってこれ見よがしに新たなテクノロジーを使っているわけではない。さすがにリミーニャのプロデュースだから、よく聴くと特にイントロなど凝っている曲も多いし、アルバムの最後に置かれた「オ・オコ・ド・ムンド」はシコ・サイエンス&ナサォン・ズンビを思わせるヘヴィさがある。それでも、電子楽器の恩恵というよりは、バンドの音を大事にしている印象を受けるのだ。バンダ・ラルガの〝バンダ〟に、演奏をする〝バンド〟という意味を引っ掛け
ているのは重要だろう。
 ちなみにリミーニャは元ムタンチスのベーシストで、90年代後半にはシコ・サイエンス&ナサォン・ズンビやフェルナンダ・アブレウらを手掛け、ブラジル新世代のトンガった音楽性を先導してきたひとりだが、プロデューサーとして頭角を現わすことになったのはジルの作品『ルアール』(81年)から。84年にはジルと共同でスタジオを設立し、ふたりはずっと良きパートナーとしてやってきた。今回の録音に関しては、文化大臣の職をこなすジルは土曜・日曜にバンドとともにスタジオに入り、平日はリミーニャやジルの息子でジル・バンドのギタリストであるベン・ジルが作業を進めていったという。スタジオ技術に頼った、ガチガチに決め込んだ録音でもなく、かといって完全にジル主導といったわけでもないといったところだろうか。それがツボにハマった。
 曲はどれも本当に素晴らしい。なかにはポップ・アップが開くように、パッと閃いた曲もあるそうだ。どのナンバーにおいても、大臣になって曲を書くヒマがないと嘆いていたジルのなかで堰を切るように溢れ出したのであろうメロディが、際立って瑞々しい。フォホーとレゲエが混ざり合った冒頭の「デスペチーダ・ヂ・ソルテイラ」ではドブロやマンドリンも使われ、オルガンの音も印象的だ。「ナゥン・グルーヂ・ナゥン」も速いビートのフォホー
で、フルートっぽい音が効いている。「フォルモーザ」はバーデン・パウエルとヴィニシウス・ヂ・モライスをカヴァーしたサンバ、柔らかな「サンバ・ヂ・ロス・アンジェレス」は『ナイチンゲール』収録曲のセルフ・カヴァーだ。フランス語で歌う「ラ・ルネサンス・アフリケーヌ」は09年のアフリカン・アート・フェスティヴァルのための曲で、プログラミングも目立つが、ファンク色の強いナンバー。
 うって変わって「ナゥン・テーニョ・メド・ダ・モルチ」はジャキス・モレレンバウムがストリングス・アレンジを施した曲で、歌謡曲指数がかなり高い。ジルならではのロマンティシズムを感じさせる美しい曲だ。「ゲイシャ・ノ・タタミ」ではお馴染みの日本趣味を発揮、ジョルジ・マウチネルとの共作2曲のうち「オウトロス・ヴィーラン」は完全にジルの弾き語りによるナンバー、さりげなくアフロ色の濃い「カノー」も特に素晴らしい1曲に仕上がっている。
 そしてアルバム・タイトル・ナンバーの「バンダ・ラルガ・コルデル」は、パーカッシヴかつスライ&ロビーのロビー・シェイクスピアのベース・パタンも連想させるヘヴィなアレンジがなされている。当初、 YouTube 上で披露された弾き語りとはガラッと違う仕上がりだ。携帯電話のカメラについて歌った「オーリョ・マジコ」やリズム・ボックスに関する「マキナ・ヂ・ヒッチモ」といった曲もあるにはあるが、やっぱりテクノロジー自体についての言及は控えめといえるだろうか。
 そこで YouTube のジル・チャンネルにある今回のツアーの動画を観てみると、このバンドはかなり良い。ガッチリとまとまりながら個々のプレイヤーの主張もあり、アルバム同様に瑞々しさを感じさせる演奏を繰り広げ
ている。昨年12月の演奏ですでに十分な見応えがあり、時が経つにつれさらにパワーアップしてきている。このバンドを得て、ジルの歌声も若々しい。9月の来日公演が本当に楽しみだ。
 人と交わり、わいわいがやがやしているのが好きな性格だから。ジルベルト・ジルはことあるごとにそう言ってきた。ロンドン亡命中も、鬱屈した日々を過ごすカエターノと違い、彼は英米のミュージシャンと交わった。ジルにとってインターネットや YouTube とは、世界規模でいろんな人たちとわいわいがやがや騒いでいられる広場のようなものなのかもしれない。
 囲いなんてヤボなものはいらない。誰もがふらっと立ち寄っておしゃべりをしていける、そんな広場なのだ。

(月刊ラティーナ2008年8月号掲載)


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