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【追悼:大城美佐子】[2011.10]師匠から弟子へ ── 歌に込められた激励と願い 大城美佐子&堀内加奈子『歌ぬ縁』 “先人たちから私が習い憶えた歌を一所懸命受け取りなさい”

 沖縄民謡界の女王、大城美佐子さんが2021年1月17日、他界されました。84歳でした。
 以下の記事は、月刊ラティーナ2011年10月号に掲載されたものです。筆者の松村 洋さんとリスペクトレコードのご協力で、追悼の意を込め、ここに再掲致します。ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

文●松村 洋

 堀内加奈子は北海道の江差生まれ、道南育ちだ。レゲエなどを聴いていた彼女は、偶然出会った歌三線に魅せられ、11年前、沖縄に移住した。その後、故・嘉手苅林昌との名コンビで知られた大城美佐子に師事し、沖縄民謡を学んだ。その10年余りの成果が、師弟の共演アルバム『歌ぬ縁』に結実した。しっとりした愛の歌や、おおらかな遊び歌が並んでいるが、聴きどころは師弟関係を歌った2曲の新歌だ。

── アルバム制作の始まりは?

堀内 ポップスのCDを作ったり、海外に出て考えたりしているうちに、もっときっちり民謡をやらなきゃ、という思いが高まってきたんです。で、先生に話したら、ちょっと考えさせて、みたいな返事でした。本気で民謡をやるのか、確認してからというか。

大城 やるなら、きちんとやってほしいからね。で、加奈子は民謡に力を入れるだろうと思えたのと、新しい曲も、もらったもんだから。ふたりのつながりの歌で、これがとても良かった。

── 名護の辺野古で育った大城さんは、どんな少女だったのでしょう?

大城 周りの人が三味線弾くのを見ていて、自分もやりたいと思ったんです。でも、祖父や伯父が古典を演奏していたのに、家には三味線を置いてなかった。だから隣の家の三味線で、人がいないときに「白地に赤く」とか弾いてました(笑)。それと、お芝居は絶対に見逃さない。歌を聴きに行くんです。村遊びにもね。親にしかられても、歌を憶えるまで隠れて聴いてました。

── その後、知名定繁さんに弟子入りしたわけですね。

大城 ええ。でも、昔の人は教えません。自分で盗んで学べみたいな感じで。向き合って教わったこと、なかったですね。私は、弟子が全然知らん曲は一緒に弾いてあげたりもします。その後は遠くから聴いていて、直すだけ。三味線がおかしいよ、私の耳、ごまかさんでね、とか(笑)。

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大城美佐子(手前)と堀内加奈子

── 厳しく指摘されますか?

堀内 やっぱり歌詞の発音とか、ちょっとした節回しとか。

大城 たとえば「恋ぬ花」っていう歌にある軽い「ん」という音と、きつい「んん」という音の違い。そういうのも何回か言ったら、直りますよ。

── 今回のアルバムで、気に入っている曲は何ですか?

堀内 初めて挑戦した「ムチちちゃー小(ぐわー)」ですね。この歌には、美佐子先生の教訓も入っているような気がして。

大城 努力する、っていう歌ですね。

── 苦労した歌は?

堀内 やっぱり「片思い」です。

── 大城さんのデビュー曲ですね。

大城 失恋すればもっとうまくなるよって、いつも言うんですけど(笑)。知名定繁の作った歌はどれも難しい。この歌も、すごく力を入れたり緩めたりするので、私でも歌うのがつらいんですよ。そういうときは誰かを思い出しながら歌わないと、歌えない。

── 片思いだから勝手に思えばいい。

堀内 毎回違う人をね(笑)。

大城 聴いてる人は、誰を思ってるか、わからんからね(笑)。

── 先ほどの海外に出てという話ですが、南米などにも行ったんですか?

堀内 はい。ブラジルでは、沖縄出身の107歳のおばあちゃんに会ったんですよ。三線を弾いて歌ったら、喜んで一緒に歌い始めて。でも「てぃんさぐぬ花」を歌ったら「これ、わーがちゅくたんどー(私が作ったんだよ)」って言うわけ(笑)。ぜったいユクシ(嘘)なんだけど、こっちも「とってもいい歌ですね」とか言って(笑)。周りの人、爆笑してました。

── でも、本人はそう信じきっているのかもしれない。

大城 昔の人、そういう例が多いよ。自分の人生に重ね合わせて、自分の歌だって言うの、多いですよ。

── そういう人に会うのも、歌の勉強でしょう。でも、やはりヤマトンチュには沖縄民謡は歌えないって、言われてきたと思うんですが。

堀内 ええ。でも、それは沖縄の文化を大切にしているからで、生半可な気持ちでやるんじゃないよ、ということだと受けとめました。でも、最近は、それほど言われなくなりましたね。

大城 加奈子が歌うのは、おまえらがやらんからだって、私は言ってますよ。自分らはやりもせんくせに、ヤマトの歌だからって、バカにするなって。

堀内 最近は、けっこう沖縄の歌に詳しい沖縄好きのヤマトンチュが増えて、そういう人たちの方が、むしろ言うようになりましたね。内地の人にできるはずがない、みたいな感じで。

── でも今、本土で沖縄の歌三線を習っている人はすごく多いです。

大城 沖縄の三味線を聴いたときに、引きずり込まれそうになったみたいなことを言う人もいました。それは、私なんかと同じかなと思いますね。大阪で三味線の音を聴いて、動けなくなったことがありますから。あの思いなのかな。まあ、歌の勉強は、そこまで好きにならんと、できないですよ。

 歌が好き! それが、いちばん大切なことなのだ。北海道生まれだが、大好きな沖縄の歌を歌いたい。そういう弟子の強い気持ちを受けとめて、新曲「歌ぬ縁ぶし」で先生は〝先人たちから私が習い憶えた歌を一所懸命受け取りなさい〟と歌う。その声には、これからも頑張って沖縄民謡の奥深さを汲みとってほしい、という美佐子先生の願いと激励が込められている。


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大城美佐子&堀内加奈子
『歌ぬ縁』(RES-194)

(月刊ラティーナ2011年10月号掲載)


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