[2022.7] 【島々百景 第73回】 読谷村(沖縄県)
文と写真:宮沢和史
今年2022年は沖縄にとってとても大切な一年である。言うまでもなく1972年5月15日に沖縄がアメリカから日本に返還されてから今年でちょうど50年。沖縄の人達の知る由のないところでの水面下の日米の合意による返還では米軍施設は残留したままとなり、沖縄の人々が望む完全なる形での本土復帰ではなかったことから、この50年の間、節目の年にはたくさんの意見が交わされてきた。その後、アメリカの軍事施設の一部が返還され開発されたりしたりと、それなりの進展はあったものの、普天間基地の辺野古移設計画とその実施により、沖縄の日本とアメリカに対する不信感が高まってしまっている。そんな状況の中、沖縄県の宜野湾海浜公園展示棟で5月15日に開催された本土復帰50周年記念式典は一応滞りなく行われたものの、会場の外ではシュプレヒコールが響き渡っていた。
自分は沖縄県からこの式典に招待していただき、式典後のレセプションで歌唱する依頼も受けていた。反対デモが懸念される式典で歌うことに多少迷いはあったが、この30年間沖縄と大和との架け橋になればと音楽活動をしてきた自分が担当するのが良いだろうなと判断した。沖縄出身者の歌手ではなく、かと言って沖縄に所縁のない本土の歌手が来るんでもなく、自分でちょうど良かったんだろうなと思った。当日待機中の楽屋でも聞こえていたシュプレヒコールを聞いてさらにそう確信した。しかし、残念だったのは沖縄県と日本国の共同開催であったにもかかわらず岸田内閣総理大臣が式典後のレセプションの途中で退席してしまったこと……。レセプションとは “歓迎会” を意味するが、沖縄が歓迎する会を途中退席する選択が自分には信じられなかった。アナウンスによると「総理は飛行機の時間があるため退席されます」とのことだったが、この日この式典よりも重大なことが果たしてこの国にあっただろうか? 深読みすれば、この式典の開催を反対する声に気を使い、フェードアウトすることを選択したのかもしれないが、レセプションの最後に玉城デニー沖縄県知事と一緒に笑顔でカチャーシーでも踊る姿が報道されれば、長い間こり凝り固まってしまっていた双方のわだかまりが少しは解けたかもしれないと想像すると、とてももったいなく残念な終わり方だったように自分は思う。ほんのちょっとした気配りと行動で人の心は解けるものだ。総理大臣に、その側近に、ほんの少しの想像力があれば……。
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