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[2021.12] 来日記念! ルベン・ラダの軌跡を辿る・拡大版 Part 3

文●斎藤充正 texto por MITSUMASA SAITO

[著者プロフィール] 1958年鎌倉生まれ。第9回出光音楽賞(学術研究)受賞。アメリカン・ポップスから歌謡曲までフィールドは幅広い。世界のピアソラ・ファンがピアソラのバイブル本として認めている『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』の著者であり、ピアソラに関する数々の執筆や翻訳、未発表ライヴ原盤の発掘、紹介などまさにピアソラ研究の世界的第一人者。ピアソラやタンゴに留まらず、アルゼンチンやウルグアイのロックに関しても早い時期から注目し、ラティーナ誌上などで紹介してきた。

 日本・ウルグアイ外交関係樹立100周年を記念して、何とも喜ばしいことにルベン・ラダの初来日! このウルグアイの至宝の歩みについては、本誌2015年12月号の特集「小さな音楽大国:ウルグアイ」の中で「黒い魔術師 ルベン・ラダ ―変幻自在の軌跡を辿る―」という一文を設けて一通り紹介したが、あまりにも多彩な活動歴を限られた誌面にギュっと詰め込まなくてはならず、駆け足だったり言葉足らずだったりもした。またその後に入手できた音源、判明した事実もあるので、音源へのリンクも含めながら、改めて拡大版として数回に分けて紹介していきたい。(今回が最終回)

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 11月25日のカルッツかわさきホールから、ルベン・ラダの全国公演が幕を開けた。私はひとまず24日夜の川崎でのゲネプロ、25日の初日、そして26日の鎌倉芸術館公演を観た。とにかく78歳のマエストロが元気なことにまず感動を覚えた。本当によく声が出ているし、サービス精神も実に旺盛。スペイン公演を終えてきたバンドのアンサンブルもタイトにまとまっていて、中でもドラムスのネルソン・セドレスの好演ぶりが光っていた。
 今回はプログラムの曲目解説も担当したが、当初貰っていたセットリストと実際の演奏曲目は、かなり異なっていた。2日目以降時間の関係でカットされた曲もある。実際の演奏内容に沿った改訂版も準備中で、恐らく12月5日の名古屋公演分から差し替えになるはずだ。

 それでは前回からの続き。ラダが起死回生となる”Montevideo”を仕上げて帰国したのは1995年7月のことだが、翌8月にはストックホルムに飛び、S.O.S.時代の仲間であるテナーサックス奏者、エクトル・ビンヘルトのアルバムに参加した。



Héctor Bingert featuring Rubén Rada “Candombe” (Arietta Discs ADCD 7)

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 残念ながら、SpotifyにもYouTubeにもアルバムの音源はなかったが、ドラムスのオスバルド・ファトルーソらも参加しての濃厚なセッションが展開されている。

 さて、モンテビデオへ戻ってきたラダを待っていたのは、若き音楽家たちの台頭だった。ラダをゲストに迎えた”Candombe beat” (Ayuí)でラダやエドゥアルド・マテオ、ハイメ・ロスなどにオマージュを捧げたヴォーカルのホルヘ・シェレンベルグもそのひとりで、彼のラ・バンダ・エン・フーガには、後にラダをサポートすることになるフェデリコ・リギというベーシストがいた。ラダがバックアップした次のバンドも、そんな音楽集団のひとつ。

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