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【追悼】[2016.04]ジュリエット・グレコ 「アディユー」に代えて「メルシー」を

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文●大野修平(シャンソン評論家) text by SHUHEI ONO

※ジュリエット・グレコが亡くなりました。93歳でした。家族がフランスのAFP通信に明らかにしたところによると、グレコは23日、フランス南東部の自宅で家族に囲まれて亡くなったということです。
[本記事は、月刊ラティーナ2016年4月号からの転載です]

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©JMLUBRANO

■アルバムとリサイタルにこめられたグレコの想い

 ジュリエット・グレコのニュー・アルバムには感謝があふれている。
 アルバム・タイトルは『メルシー』(ありがとう)。「私は私」(1951)から、「行かないで」(2013)までのシャンソンが全部で38曲。グレコ自身が選曲したという、2枚組で聴き応えのあるコンピレーション・アルバムだ。
 彼女はノスタルジックな歌手ではない。常に時代と自分を連携させて現在まで歌い続けている。
 CD-2のラストに収められたのが最新曲「メルシー」。歌詞を書いたのは歌手のクリストフ・ミオセックで、曲をつけたのはグレコの夫君ジェラール・ジュアネスト。
 このシャンソンをグレコは低い声で、歌うというよりは詩を朗唱するように表現する。次の歌詞で始まる。「詩に、風に、人生にありがとう」。続いて喜びやステージ、怒りの日々、みずから足を運んだ距離、ホテルの部屋、エモーションや涙などに対して感謝の気持ちを述べている。
 伴奏はジュアネストによるピアノと、ジャン=ルイ・マティニエのアコーディオンのみで、実にシンプルそのもの。彼女が発する言葉のひとつひとつが、リスナーの耳から心へと確実に届く。
 この楽器編成はグレコが回想録で書いているように、自分のバンドを持たなくなった2007年以来の選択だ。
〔注1: Juliette Gréco «Je suis faite comme ça», Flammarion, 201, p.238 仮題を示せば『私はこんな風に出来ている』。〕

 「メルシー」は、グレコが2015年4月24日に開催されたフェスティヴァル「ブールジュの春」を皮切りに行なっているリサイタルのタイトルでもある。歌詞には明示されていないけれど、このタイトルには世界中の観客やリスナーへの謝意もこめられていよう。これまでにドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、イスラエル、カナダなどで公演している。
 今年2月7日でジュリエット・グレコは89歳になった。彼女は誕生日に〈テアトル・ド・ラ・ヴィル〉でリサイタルを開いた。その心意気にブラヴォーを贈りたい。
 ショービジネス情報を発信しているレ・トロワ・クー(電子版)に2016年2月8日に掲載された、イザベル・ジューヴ記者の記述を引用させていただこう。
〔注2: Les Trois Coups, Isabelle Jouve, http://lestroiscoups.fr/merci-de-juliette-greco-theatre-de-la-ville-a-paris/

 上記のミュージシャンたちの伴奏で「ノン・ムッシュ、私は二十歳じゃない」から歌い出したという。アンリ・グーゴーが作詞し、ジェラール・ジュアネストが作曲した1977年発表のシャンソン。会場にいた誰もが彼女の年齢を知っているのだから、楽しいユーモアで幕を開けたと言えよう。
 グレコが長いキャリアのなかで出会った、才能あるアーティストたちのレパートリーが20曲余り歌われた。
 セルジュ・ゲンズブールの「アコルデオン」「ラ・ジャヴァネーズ」、ジャック・ブレルの「懐かしき恋人たちの歌」「行かないで」「アムステルダム」「孤独への道」、レオ・フェレの「時の流れに」など。リサイタルでいつも歌う「小さな魚と小さな小鳥」もあった。「脱がせてちょうだい」は1960年代にセンセーショナルな内容が話題になったけれど、いまもファンが多い。グレコが歌い始めると観客は足踏みして喜んだという。

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■ステージを去るという決断

 誕生日リサイタルのラストを飾ったのはもちろん、新曲の「メルシー」。観客への感謝の言葉が語られたそうだ。グレコが歌い終わると観客は立ち上がり、「ハッピーバースデー、ジュリエット」を合唱。長いスタンディング・オヴェーションがあり、グレコは「幸せで、心打たれていた」とジューヴ記者は記事を結んでいる。まだこれだけの力がありながら、なぜグレコはステージを去るという決断をしたのだろうか。91歳という年齢を感じさせることなく、昨年9月15日から27日にかけて〈パレ・デ・スポール〉でリサイタルを行なったシャルル・アズナヴールの例もあるというのに。
 彼女の考えをうかがい知ることができそうなテレラマ(電子版)の記事がある。ヴァレリー・ルウー記者によるインタヴューで、2015年12月7日に公開されたもの。〔注3:Télérama, Valérie Lehou, http://www.telerama.fr/musique/juliette-greco-il-faut-savoir-s-arreter-par-politesse-par-courtoisie-par-raison,125495.php

 同記者は尋ねる。「アズナヴールは91歳ですが、引退していませんね」。グレコは答える。「男性は違うんですよ。女性が老いることを人々は許さないのです。数年前からのことですが、私が歌う時、最初のシャンソンを彼らは聴いていません。私を観察しているのです。『見てごらん。彼女は年取ったね、太ったね、痩せたね』…。ああ、容姿! 奇妙なことに、男性は同じような反応を惹き起こすことはありませんね」

 そういえば、レイモン・クノーが歌詞を書き、ジョゼフ・コスマが曲をつけた「そのつもりでも」にもこんな一節があった。「若さと美貌がいつまでも続くと思っていたら勘違い」という、若い娘への忠告だ。素晴らしい日々は飛び去って行く。そしてやって来るものは、「すばやく近づくシワ/重たい脂肪/三重の顎/たるんだ筋肉」。もっともこれらのものは、男性にも無縁ではないけれども……。このシャンソンはそんな意地悪いことだけを言っているわけではない。青春はいつの間にか過ぎ去るから「人生のバラを摘みなさい」と、若い日々を楽しむように、というアドバイスも忘れていない。この曲も2枚組CDに入っている。

 それはともかく、グレコは同じインタビューの続きでみずからの決意を語る。
「礼節によって、礼儀正しさによって、理性によって中断することを学ばなくてはなりません。こっそりとではなく、自分のやり方を持って立ち去ること。私のプロデューサーは、このさよなら公演ツアーを何と呼ぼうか、と問いかけてきました。私が言いたかったことはただひとつ。それは、メルシーです」

 また、昨年の「ブールジュの春」に出演したグレコを扱ったフランスTVアンフォ掲載の記事(4月25日付)では、AFP通信に語った次のような言葉も紹介されている。「私は立ったまま立ち去りたいです。できる限りのエレガンスを持って」
〔注4:francetvinfo, http://culturebox.francetvinfo.fr/musique/chanson-francaise/a-bourges-juliette-greco-entame-une-nfo〕

 デビューしてまもなく、〝サン=ジェルマン=デ=プレの女神〟と呼ばれたジュリエット・グレコ。彼女にふさわしいステージの去り方があるはずだ、ということだろう。毅然としたその姿勢が好ましい。

 パリ・マッチ(電子版 2015年12月19日付)に、プリシラ・ペヨ記者による興味深い記事が載っている。「私は偉大なる主君たちに仕える女(servante)です。主君とは作家たち、ミュージシャンたち、詩人たちです。私が愛と憧れを抱く人たちのことです」。〔注5:PARIS MATCH http://www.parismatch.com/People/Musique/Juliette-Greco-J-aurais-100-ans-je-serais-encore-insolente-Tournee-Merci-Europe-1-bientot-89-ans-884471〕

 先に挙げた回想録の末尾に、グレコが好む語彙を集めた章がある。そのなかの「メルシー」の項にはこうある。

 「メルシーはアムール(愛)とともに、フランス語で最も美しい単語」。「メルシー」は観客たちにはもちろん、主君たちにも向けられているようだ。「アディユー(さよなら)」に代えて。

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ジュリエット・グレコ『メルシー』
2CD:RES-274〜275(リスペクトレコード)


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ジュリエット・グレコ『コンプリート・ベスト! 1951~2013』(13枚組)
13CD:RES-276(リスペクトレコード)

(月刊ラティーナ2016年4月号掲載)

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