[2021.12] ウルグアイの新星、ナイール・ ミラブラット。その頭脳、 マルティン・イバラの音楽キャリアを知るための特別インタビュー
文●宇戸裕紀
2021年、衝撃のルベン・ラダの初来日で大いに盛り上がったウルグアイ音楽シーン。その新世代を代表する存在に2021年、一躍躍り出たのがMartin Ibarra(マルティン・イバラ)率いるNAIR MIRABRAT(ナイール・ミラブラット)。ピッポ・スペラ、ウーゴ・ファトルーソ、ハイメ・ロス、エドゥアルド・マテオといったマエストロたちの足跡を現代的な視点から見事に昇華したカンドンベ・ジャズのマスターピース『JUNTOS AHORA』は多くのリスナーたちを虜にした。謎に包まれていたNAIR MIRABRATの核心的人物、マルティン・イバラのバックグラウンドについて、より詳細に聞いてみた。
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── 何歳で楽器を演奏し始めて、小さい頃はどんな音楽を聴いていましたか。どんな音楽環境でしたか。
MARTIN IBARRA 8歳のときに近所の公立学校でギターを習い始めたのが正式な音楽との出会いで、それ以前から家で演奏していました。両親も演奏したり歌ったりしていて、友人たちとバンドを組んで、ビートルズやクリーデンス、60年代や70年代のヒット曲を歌っていました。だから、僕ら兄弟はリハを見たり、演奏したりして、そのすべてに魅了されました。エレキギターやドラム、すべてがスイングしていて…。ギターを手にして歌うようになったのはごく自然なことで、実際には最初がいつだったかさえ覚えていません。家では、母はビートルズやローリング・ストーンズなどのイギリス音楽、父はエドゥアルド・マテオ、ハイメ・ロス、レオン・ヒエコ、タンゴなどのスペイン語圏の音楽を好んでいました。ちょっとしたサウンドユニバースでしたね。
── ギターの他に、ステージ内外でどのような楽器を演奏していますか?
MARTIN IBARRA ピアノとベースは録音したこともあって、とても思い入れのある楽器です。好きな楽器であり、ピアノとベースを思い浮かべながら作曲したり音楽を聴いたりしています。ドラムも好きですが、腰を据えて練習したことはありません。
── もともとエレキギターを弾いていたのですか?この楽器の魅力とは?
MARTIN IBARRA 11歳の頃から演奏していますが、一つの楽器だけを演奏し続けてきたということはないんです。例えば、ギタリストだけを聴いたり、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンのことを全部知っていたり、そういうことにはあまり興味がありません。むしろ、音楽を言葉として理解することに興味があります。言語とは、話し言葉とは全く異なるもので、別の振動を伝えることができ、別の記号が使われ、別の可能性を秘めています。ジョーゼフ・キャンベルが言ったように、僕は「スペシャリストではなく、ジェネラリスト」なんです。
── NAIR MIRABRATの前には、誰と一緒に演奏していたましたか。バンドを組んでいたのか、どんな音楽を演奏していましたか。
MARTIN IBARRA いつもバンドを作っていました。最初は兄弟と一緒に、当時のロックバンドのカバーをしていて楽しんでいました。ギターソロをできるだけオリジナルに似せて演奏していってステップアップしていくことができました。
多くのバンドを経て、友人のベーシストと止まることなく作曲に打ち込むようになりました。その頃に結成したバンドがMelchakaで、自分たちの内なる世界で起こっていることを曲として表現しました。僕らは当時17歳で、ファンクやジャズを聴いていて、インプットしていたものを取り出して明確に可視化できるような作曲を心がけました。こうしてクリエイティブなプロセスをもう少し理解することができました。僕らがやりたかったことは、ウルグアイ音楽の進化に貢献すること。つまり、世界の音楽とこの場所(モンテビデオ)のカンドンベ、ムルガ、ミロンガといった伝統音楽との対話に貢献することでした。このような意味での進化に貢献したいと思えば、どこから全てが始まったのか、誰がどのやってこのサウンドスケープを構築してきたのかを知る必要があった。そして、すべてのマエストロたちのことは忘れて、ただ自分自身であり、誰の真似もせず、誰かを喜ばせたいとも思わないこと。自分自身であるために必要な努力をして人生に感謝することも忘れることなく。
── お兄さんのフアン・イバラもミュージシャンで、一緒に演奏していますが、彼の存在はあなたにとってどんな意味がありますか?
MARTIN IBARRA フアンはとてつもないミュージシャンです。完成度が高く、ドラムに加えてピアノやギターも上手に演奏し、洗練された音楽を作曲しています。2017年にレコーディングした『Naumay』というアルバムがありますが、最近また別のアルバムをレコーディングしていてまもなくリリースとなります。彼のグループとは、キューバのジャズフェスティバルやアルゼンチンで共演してきました。
最初のバンドで兄と一緒にグループで演奏して、曲をメッセージとして伝えることの素晴らしさをミュージシャンとして共に学びました。その後、自分の考えを深めるために勉強することの重要性を意識するようになってからは、自分の中のプロセスをお互いに共有し、影響しあったり、モチベーションを上げたりしていました。僕らは常にジャズの影響を受けていました。ジャズは何年もかけて新しい世代に合わせて変化していき、音楽はその瞬間に世界で起こっていることと対峙しています。どの文化でも起こることですが、ウルグアイ音楽ではより明確に見られ、時の経過とともにどのように発展していったのか、そしてその発展の中で現在の僕らはどのような役割を担っているのかといったことがわかりました。
── 日本でのアルバム発売から少し時間が経ちましたが、改めてこのアルバムに満足していますか?
MARTIN IBARRA とても満足しています。チームワークをベースにして成し遂げたことなのでとても嬉しいですね。作曲とプロジェクトの全体的な構想も僕のものではありますが非常にしっかりとしたチームに囲まれていると感じています。このチームのおかげで、曲が置き去りにならず、イメージや音色の個性、そして人に届けるための器を持つことができていると感じています。
── 2018年に一度、「Festival Música de la Tierra」というフェスをモンテビデオで見て、ラ・プラタ川の両岸から音楽が合流する様子を目の当たりにすることができました。 隣国アルゼンチンやブラジルのミュージシャンとはどのように交流しているのでしょうか。
MARTIN IBARRA 2007年からメルセデスで開催されている “Jazz a la calle” というフェスティバルでは、アルゼンチンやブラジルのミュージシャンとの出会いがありました。中でもリオ出身の素晴らしいクラリネット奏者、ジョアナ・ケイロスとの出会いは、大きな刺激を与えてくれました。歴史的に見ても、ウルグアイの音楽はブラジル文化から多くの恩恵を受けてきました。ボサノヴァの時代は、ビートルズのような強力なムーヴメントで、この国を揺るがし、多くの音楽や創作に影響を与え、その世代のミュージシャンが自分の色を発見する助けにもなりました。
アルゼンチンとの接触はより直接的で、言葉の問題だけではなく、我々のありかたの類似性もあり、お互いをすぐに理解することができます。音楽の面では、フォルクローレの強い影響もありました。アタウアルパ・ユパンキは、50年代、60年代にウルグアイの作曲家たちに強い影響を与えましたし、独自のレパートリーを構築するモチベーションにもなりました。
また、“Jazz a la calle” のおかげで、友人のアルゼンチン人ベーシストに会うことができ、その友人に勧めでギジェルモ・クラインの作曲クラスを受講することになり、人生が変わりました。彼と1年間ブエノスアイレスで学び、多くのことを学びました。
── 最近発表された「Despertar」は、マテオの未発表曲でした。未発表曲があったということはかなりの衝撃だったのですが、この曲を再発見の過程を教えてください。
MARTIN IBARRA エドゥアルド・マテオ、ウルバノ・モラエス、ルベン・ラダ、ウーゴ・ファットルーソといった世代の音楽家であるピッポ・スペラから託された使命でした。ピッポがその時の様子を語っているこのリンクをどうぞ。
未発表曲が見つかって、ナイール・ミラブラットが録音するに至ったストーリーを紹介↓
── 私たちがまだ知らないようなラ・プラタ川周辺のミュージシャンを紹介してください。
MARTIN IBARRA Hernan Peyrou(エルナン・ペイロウ)ですね。彼の音楽「Dulzura」や「Ronda en el aire」を聴いてください。
── 多くのウルグアイ人ミュージシャンのおかげで、日本でもマテオの作品が知られるようになってきました。 あなたの音楽の中で、マテオはどのように生きていますか?
MARTIN IBARRA 僕はマテオが亡くなった年に生まれたので、彼の死を目撃したわけではありません。彼についての話を数多く聞きましたが、それよりも彼の音楽からマテオの人となりを知るようになったような気がします。彼の音楽はよく聴いていましたし、今でも聴いています。彼の音楽には、モンテビデオらしいユニークなものがあると思います。何と言ってもマテオの詩やリズムから決定的な影響を受けました。
── 今後、どのようなプロジェクトを考えていますか?
MARTIN IBARRA 来年(2022年)は、マテオの最初のソロアルバム『Mateo solo bien se lame』の50周年にあたります。それを記念して、ビッグバンドでアルバム全曲を演奏するつもりです。この他、ナイールのセカンドアルバムを録音できるだけの曲もすでにできています。
(ラティーナ2021年12月)
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