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[2020.08]【連載 アルゼンチンの沖縄移民史①】音楽・国境・移動する人々

文●月野楓子

「日系人」

 「日系人」と聞いて浮かぶのはどのような人々だろうか、あるいはどのようなイメージを持っているだろうか。南米最大の日系人人口を抱えるブラジルを思い浮かべる人もいるかもしれないし、バブル期の日本が働き手を必要とした1980年代後半から仕事を求めて来日したいわゆる「デカセギ」の人々を思い浮かべる人もいるかもしれない。あるいは、昨今であれば、日本で働く彼らが新型コロナウィルスの流行によって直面している、仕事と住まいを同時に失い感染只中の南米への帰国を検討せざるを得ないというニュースを目にした人もいるだろう。

 日本人のブラジルへの移民・移住は1908年を皮切りに、戦争による中断を経て1970年代まで継続した。いわゆる「一世」である彼らと、「二世」以降の子孫たちが彼の地で生活を営み、現在ブラジルに暮らす日系人の数は約190万人とも言われる。ハワイを含むアメリカ合衆国にも150万人の日系人が暮らし、議員、ミュージシャン、映画監督など日本で知られる人物も少なくないため、「日系人」と聞いた時に浮かぶ国はブラジルかアメリカである場合が多いのではないだろうか。

 しかし、この連載で取り上げるのはいずれの国でもないアルゼンチンの日系社会である。また、アルゼンチンの日系社会の中でも、とりわけ沖縄移民と「沖縄系社会」にフォーカスしたい。先に書いたように最大の日系社会を抱えるのはブラジルで、南米では次に多いのがペルーで約10万人、アルゼンチンには約6万5千人がいるとされる。「日系人」があらわすのは日本という「国」を上位の概念として持っているが、一人一人にはそれまで暮らしてきた地域があり、広島、和歌山、熊本、山口、福岡など移民を多く輩出してきた県がある。沖縄も「移民県」と呼ばれるほど多くの人が国内外に渡航し、アルゼンチンでは日系人全体の約7割〜8割が沖縄出身、あるいは沖縄に「ルーツ」をもつ「沖縄系」の人々である。

「島唄」と「SHIMA UTA」

 アルゼンチンに沖縄の人々が暮らしている歴史は次回以降でみるとして、なぜこの連載で取り上げるのがブラジルやアメリカではなくアルゼンチンなのか。アルゼンチンと沖縄という一見繋がりの無さそうな両者が、読む人の関心や過去の記憶に繋がることを期待して2002年の出来事を振り返ることから始めてみたい。

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