[2024.3]【連載タンゴ界隈そぞろ歩き ⑫】タンゴからタンゴを取ったらどうなる?
文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura
タンゴがタンゴであるために最も重要なものは何だろうか。大半の人は「リズムだ」と答えるのではないかと思う。歯切れの良いスタッカートで刻まれるリズム、一小節の中で伸縮しながらも一定のテンポを保って進行する粘りのあるリズム、低音部の動きのグルーヴ感を伴うリズム、3-3-2のリズム、など色々なスタイルはありつつも、このリズムがタンゴの要と言って差し支えないだろう。では、タンゴからそのようなタンゴのリズムを取り去ってしまったらどうなるか、というのが今回のテーマだ。
先にお断りしておくと、特に深い考察があるわけではなく、どちらかといえば気楽な楽曲紹介である。いくつかは文中に動画を貼り付けてあり、また末尾にはプレイリストも置いたので、適宜聴きながら楽しんででいただけると嬉しい。
ガルデルの音楽の持つ普遍性
今回のテーマを設定するきっかけとなったアルバムがある。アルゼンチンのキーボード奏者、シンガーソングライターのマルセロ・エスキアーガが2016年に発表したカルロス・ガルデルの作品集 “Morocho - Homenaje a Carlos Gardel”(モローチョ − カルロス・ガルデルへのオマージュ)だ。
曲毎に異なるゲストを迎えてガルデルの作品を歌ったこのアルバムで、エスキアーガは完全にタンゴのリズムから離れ、現代のポップスの感覚で全ての曲を仕上げている。驚くことにこれが何の違和感もなく、とてもエモーショナルなメロディを持ったポップソングに聞こえるのだ。元のメロディを既によく知っている耳が聴いて感じたことなので多少なりともバイアスはかかっているかもしれないが、それを差し引いてもガルデルの作ったメロディの普遍的な魅力を再認識できる。
もう一人、2022年にアルゼンチンのオーディション番組 “La voz argentina” に出演したミカ・ソテラは、その最初の段階であるブラインド審査でガルデルの “Por una cabeza”(首の差で、曲:カルロス・ガルデル、詞:アルフレド・レ・ペラ)を歌っている。その時の動画がこちら。
ギター弾き語りによる歌唱はやはり全くタンゴのリズムの要素が見られないが、なかなか魅力的な「首の差で」だと思う。ちなみにこの後も彼女は勝ち進んだようで、2023年にはアルバムをリリースしており、もちろん「首の差で」も収められている。
ガルデルはタンゴ界にとどまらない汎スペイン語圏的大スターでもあったので、その楽曲も広く中南米やスペインで愛された。特に “El día que me quieras”(想いの届く日、曲:カルロス・ガルデル、詞:アルフレド・レ・ペラ)は多くのカバーバージョンがある。ただこの曲の形式は元々タンゴではなくcanciónとされており、オリジナルの時点でタンゴのリズムに強く結びついてはいないので、あえてここでは取り上げない。タンゴでは “Volver” (ボルベール、曲:カルロス・ガルデル、詞:アルフレド・レ・ペラ)が広く歌われている曲のひとつ。特にスペインでは、フラメンコ歌手のチャノ・ロバートがブレリアスのリズムで歌ったのがきっかけで親しまれている。メロディだけではなく歌詞への共感も大きかったに違いない。
2006年のスペイン映画『ボルベール』では主題歌にもなった。主演ペネロペ・クルスの歌唱シーンで実際に歌っていたのはエストレージャ・モレンテ。映画を観た人の中でもこの曲をアルゼンチン・タンゴだと認識していない人は多いのではないか。フラメンコ特有の音階とは異なるので、フラメンコを知る人には外来の曲には聞こえるかもしれないが、タンゴとは言われなければわからないだろう。
ガルデル以外の楽曲も
ガルデル作品以外ではどうだろう。上記の続きでスペインの例から見てみよう。歌手マルティリオが “En esta tarde gris”「灰色の午後に」(曲:マリアーノ・モーレス、詞:ホセ・マリア・コントゥルシ)を巨匠チャノ・ドミンゲス(ピアノ)等と共にフラメンコ・ジャズのスタイルで歌っている。これが何ともかっこいい。
近く来日するブラジルの歌姫マリーザ・モンチは、2011年のアルバム “O Que Você Quer Saber De Verdade”(あなたが本当に知りたいこと)で “El pañuelito”(白いスカーフ、曲:フアン・デ・ディオス・フィリベルト、詞:ガビーノ・コリア・ペニャローサ)を “Lencinho querido”(お気に入りのハンカチ)の題名で歌っている。ブラジルでは1950年代にダルヴァ・ヂ・オリヴェイラがフランシスコ・カナロ楽団の伴奏で完全にタンゴの形式でこの曲を歌っているが、マリーザの解釈はより自由なもの。バンドネオンの音でほのかにタンゴの薫りを残しつつも、リズムにタンゴは感じられない。そして美しい。
アルゼンチンに戻って、デルフィーナ・チェブというアーティストが要注目。ブエノスアイレス生まれの彼女は18歳の時に奨学金を得て米国バークリー音楽院で学位を取得、さらにニューイングランド音楽院でも学んだという才女。教育者としてボストン近辺で様々なワークショップを主宰する一方、表現者としてもスペインのハビエル・リモンのプロデュースのもとアルゼンチンで2枚のアルバムを録音している。2020年の最初のアルバム “Doce milongas de amor y un tango desesperado”(12の愛のミロンガとひとつの絶望のタンゴ)では自作やハビエル・リモンの作品と共にスタンダードのタンゴ、ミロンガも歌っており、中でもアルバムのオープニングを飾る “Milonga sentimental”(ミロンガ・センチメンタル、曲:セバスティアン・ピアナ、詞:オメロ・マンシ)はなかなかに衝撃的。YouTubeにはPVが上がっている(埋め込みプレーヤーには対応していないので、リンクをクリックして別タブで開くYouTubeの画面で観てほしい)。
エディット・シェールはブエノスアイレスでマテムルガという劇場の監督を務め、コミュニティに根差した表現活動を行っている人物。彼女の2022年のアルバムのタイトル “Flor de una ilusión” は “Remembranzas”(追憶、曲:マリオ・メルフィ、詞:マリオ・バティステーラ)の詞の一節から取ったもので、もちろん同曲も含まれる(ただしタンゴはこの1曲のみ)。朗々と歌い上げられるイメージが強いこの曲を爽やかに軽やかに歌っているのは非常に新鮮。ちなみにコーラスにはリディア・ボルダが参加している。
で、結局どうなった?
タイトルの問いに答えると、月並みな答えになってしまうが、美しいメロディが残ったというのが実感。普遍性を持ったガルデルのメロディはもとより、それ以外の作曲家の作品も、タンゴのリズムを取り去って別のリズムに乗せても十分に楽曲として魅力的である。
もちろん、タンゴのリズムと不可分な曲も多く存在する。例えば “La yumba”(ラ・ジュンバ、曲:オスバルド・プグリエーセ)はジュンバのリズムそのものでできている曲で、ここからリズムを取り去ったら何の面白みもないだろう。そういう意味ではここに取り上げた曲は、メロディそのものが単体でも魅力的なものばかりだ、ということだと思う。
アルゼンチン以外のアーティストの例もいくつか挙げたが、アルゼンチンのアーティストたちがこのような試みを行っていることは興味深い。彼の地の若い世代にとって既にタンゴは心惹かれる音楽の筆頭ではないと言われるが、自分たちの身近にある美しいメロディの宝庫として彼らがタンゴを捉え始めているのかもしれない。今後を見守りたい。
最後に、文中触れた楽曲をいつものようにSpotifyのプレイリストにまとめた。
せっかくなので元のタンゴとしての演奏もまとめておく。曲数が一つ少ないが、上では “Volver” が2トラックあるがこちらは1トラックであるため。特に上の原曲を知らない方は、上下行ったり来たりしながら聴き比べていただけると楽しめるかと思う。
もう一つおまけで、Spotifyには上がっていないダルヴァ・ヂ・オリヴェイラの “Lencinho querido” をYouTubeから貼っておく。マリーザ・モンチはこれからインスピレーションを得たのだろうか。
(ラティーナ2024年3月)
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