[2019.12]ジョアン・ジルベルトの財産問題 ~法的係争とファミリーの内紛~
文●岸和田 仁
text by HITOSHI KISHIWADA
ジョアン・ジルベルトのファミリー関係
ジョアンの結婚(&離婚)は3回(見方によっては4回)なので、まずはジョアンの家族関係をおさえておこう。
最初の夫人は、言うまでもなく、『イパネマの娘』の歌姫となったアストラッド・ジルベルト。ボサノヴァの米国における大ヒットを共同演出したテナー・サキソフォン奏者スタン・ゲッツと〝秘められた恋〟を交わすことになって、彼女との結婚生活は1959年から1964年までの5年間で終止符を打たれる。この時生まれたのが長男ジョアン・マルセロ(1960年生まれ)で、彼は現在米国ニュージャージーに居住する音楽プロデューサーだ。
左から、ミウシャ、ジョアン、シコ・ブアルキ ©Chico Buarque
二度目の夫人がミウシャ(シコ・ブアルキの姉)で彼女との結婚期間は1965年から1971年まで。この時の愛の結晶が、ベベウ・ジルベルト(1966年生まれ)だ。
ミウシャの次に登場するのが、モザンビーク出身のマリア・ド・セウ・ハリス。1984年、当時20歳だったマリアは、リスボン公演の場でジョアンと知り合い、たちまち恋に陥り、本人の証言によれば、「ジョアンに呼ばれ、リオに住むようにいわれたので、1984年以来彼のパートナーである」とのことだが、同居ではなく、レブロンの賃貸アパート(ジョアンが保証人)に住んでいた。いわば「通い婚」だったため、メディアは「元恋人」と称している。
最後に登場する「三番目の夫人」(見方によっては四番目だが)が、クラウディア・ファイソル。ジャーナリストの彼女が21世紀に入ってから、ジョアンと同居するようになり、家計のやりくりから銀行との交渉も彼女が担当していた。末娘のルイーザ・カロリーナ(2004年生まれ)の母親だ。
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