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[2015.02]Roda de Capoeira カポエイラのホーダ

文●脇 さやか

texto por Sayaka Waki (UniLibre)

 2014年11月、バイーア・ジ・ヘコンカヴォのサンバ・ヂ・ホーダ、ヘシフェのフレーヴォ等に続きブラジルの「カポエイラのホーダ」がユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。カポエイラがどんなものかは、ラティーナ読者のみなさんはすでにご覧になったことがあるのではないでしょうか。カエターノ・ヴェローゾは「トリスチ・バイーア」でカポエイラの偉大なる師・パスチーニャのことを歌っていますし、エリス・レジーナが歌って大ヒットした「ラピーニャ」には、伝説のカポエイリスタ、ビゾウロがレジスタンスの象徴として登場します。

 ビリンバウとコーラスにのせて、ジンガというゆらゆらしたステップから回転蹴りや逆立ちを繰り出す、奇妙なひとたち。踊っているような、戦っているような、なんともユニークな姿をしています。円の中で2人のカポエイリスタは攻撃と防御、回避の動きを織りなし、その動きは即興で、感覚をフルに使った、表情豊かな身体での会話のようです。

 カポエイラがブラジル文化に与えたインスピレーションは大きなものですが、ではいったいカポエイラの何に、人はこんなにも心を奪われるのでしょうか。

 カポエイラは、16世紀からの植民国ポルトガルによる奴隷貿易で、アフリカの各地で購入された奴隷たちによってはぐくまれました。サルヴァドールの港に降ろされた奴隷は、競りにかけられて、サントアマーロ、カショエラなどのサトウキビ農園のある奴隷小屋に送られました。当時奴隷の耐久年数は7年、平均寿命は40歳といわれ、奴隷たちは理不尽で耐えがたい屈辱と苦役労働の日常を生きていました。

 郷愁の鬱病「バンゾ」で死んでしまう奴隷や、耐え切れず森へと逃亡し、独自のコミュニティを作って死闘の抵抗を続けた「キロンボ・ドス・パウマーレス」も実在しました。奴隷たちは集い、輪になって(ホーダを作って)カポイエラをすることで囚われの日常を忘れて、祖先や故郷を想い、救いを探しました。カポエイラに身をおくことで民族への誇りを取り戻し、人間として生きていることに喜びを感じようとしたのではないでしょうか。自由と解放を求めるそのエネルギー、その時だけは人間として存在できる歓びは魂がむきだしになったような純粋さとパワフルさで、カポエイラは観る人の心を大きく揺り動かします。

 カポエイラは「奴隷は練習が見つかると死刑だったので踊りにみせかけた格闘技」とか「奴隷は手かせをはめられていたので足技が発達した」などというわかりやすいイメージで世界に発信されてしまいましたが、実は幾重にも重ねられた複雑なやりとりの上に成っており、とても一言では表すことができません。

 ホーダの中にも、カポエイラの動きの中にも、カモフラージュの要素が幾重にも重ねられており、歌にできなかった、抑圧され声にならなかった人々の声は多くカポエイラの音楽の歌詞の中に隠されて歌い継がれています。その想いが音となってループするたび、強く魂が喚起されるような力がホーダの中に渦巻いていきます。

 カポエイラのホーダとは、奴隷たちにとってのアイデンティティであり、抑圧の歴史のあらわれであり、歓喜の表現であり、血と涙の悲痛な叫びであり、自由と解放への闘いであり、対話であり、祖先とのきずなであり、記憶と現在をわかちあう場であり、そのすべてを飲み込んでいく現象なのです。

 カポエイラの歴史は実に変容の歴史で、パラグアイ戦争(1864 -70)で駆り出された奴隷たちは肉体戦で活躍し、カポエイラ使いたちも一躍英雄となったかと思えば、1888年の奴隷解放後すぐ、1890年から1940年までの間、カポエイラは法律で禁止され弾圧されました。リオのカポエイラ使いたちは政治家の用心棒として暗躍し、世に害を及ぼす存在と考えられていたからです。

 その状況に現れたのが時のカリスマ、メストレ・ビンバとメストレ・パスチーニャでした。おりしも「ブラジルらしさ」が求められたポピュリズム政権で、真正ブラジル生まれのカポエイラは注目を集めました。ビンバは、それまで道で行われていたカポエイラの教授法と規律を整え、価値ある実践格闘技 “カポエイラ・ヘジォナウ” を創生し、カポエイラのイメージアップを図りました。一方パスチーニャはカポエイラの儀式的な要素や遊戯的な要素を重視し、ミステリアスな側面や、アフリカ宗教との繋がりを護るカポエイラ・アンゴラを推進しました。1953年にビンバがヴァルガス大統領の前でカポエイラを披露したことでカポエイラは社会的地位を一気に認めさせ、70年代にはアメリカ、ヨーロッパへ進出していき、2008年にはIPHAN(国立歴史遺産研究所)によってブラジルの無形文化財に登録され、ブラジルが誇る文化として、現在世界150か国で愛され楽しまれています。かつて闇に隠れてホーダを囲んでいたカポエイリスタたちは、こんにち誇らしい顔で世界の舞台で遊んでいるのです。

 カポエイラが歩んだ歴史からもわかるように、カポエイラは善と悪、光と闇、栄光と退廃を繰り返してその姿を変え、表れては消え、属性すら変え、ヨロヨロと行ったり来たりして生き延びてきました。その二極を行き来する術とはなんだったのかを考えるときに、ジンガというステップは非常にカポエイラを良く表していることがわかります。揺れ動きながら、相手の隙をついて、急に姿を消し、現れ、バランスを崩したかと思えば、不意に攻撃を繰り出すその足取りにこそ、カポエイラの生き様そのものがあらわれてはいないでしょうか。

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写真:Agência Brasil

「カポエイラに勝敗はあるの?」とよく聞かれます。カポエイラのホーダでは「勝った・負けた」「白・黒」「正しい・正しくない」などの二分法的な概念では測れない世界が展開されます。女性が男性に勝ったり、転ばせたと思うともう反撃されていたり、非常にたくさんの転換が起こります。

 2つの対極した異なる性質のものを同時に存在させることができるのが、カポエイラのホーダがもつ力で、価値観はひとつではなく、様々な感じ方、考え方を飲み込んで場をつくりあげていきます。そこで起こっていること、表現されていることをホーダを囲んでいる皆の目で見ることで、私たちは時間と感覚を共有していきます。

 ホーダにはいろんな人がやってきます。最初から意地悪な人、やる気満々の人、輪に入るのが恥ずかしくて怖いと感じているひと、苦手なあのひとも。こども、障害のある人、近所の人、いろんな人が輪を囲みます。……ついには酔っ払いが乱入してきたりします。そのすべてからカポエィリスタは学びます。どんなジンガで向かうのか、どんなマンジンガを使うのか……ホーダは学びの場であり、転ばない者は学びません。カポエイリスタは全ての物事との距離を即興で測って、呼吸とリズムに呼応させて次の手を選びます。その瞬間の判断能力、創造力としなやかな身のこなし、巧みさとマリーシアこそがカポエイリスタの技量を示すのです。かのパスチーニャは「カポエイラはマンジンガ、マーニャ、マリーシア。口が食べる全てのものだ。」という名言を残しました。この言葉は見事にカポエイラを表現しています。

 ホーダは思いを込めた “ラダイーニャ/クアドラ” という、その場で一番重要な人物の独唱で始まり、コール・レスポンスでずっと歌い繋がれます。そのコーラスと心地よいうねりの中で二人のカポエリスタが戯れると、その姿は「自己と他者」「この世とあの世」という境界すら越えていくようにも見えます。地の地獄に触れながら天を仰ぎ、この世の重力の中でカポエイラをしながらあの世の声を聞いているのです。それは純粋に、先人がこの素晴らしい芸/術 をこの世に残してくれたことへの讃歌であり、多くの血と涙を流し、傷を負った人々への癒しとして昇華する力であり、それゆえにカポエイリスタは頭を養い、身体という寺院に魂が集うことができるよう、研鑽するのです。

 現代に生きる私たちは、肌で感じることのできるいろんな繋がりを失いました。自然の中に神を観ることも、自然と繋がることも、自分の魂と繋がることもなくなりました。カポエイラのホーダはこの現代に改めて、これらを取り戻す術を教えてくれはしないでしょうか。カポエイラとは身体を通じて世界と繋がる方法だからです。

 ホーダで起こっていること、それは多様性の受容、二極性の混沌と共存、あらゆるいのちへの讃歌です。カポエイラが「真正のブラジル生まれの、ブラジルらしさをもった文化表現」といわれるゆえんは、そのありさまがさながら、ブラジル社会の縮図ともいえるからなのです。

(ラティーナ2015年2月)

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