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[2021.09]【連載 アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い⑥】美しきリオの風景そのもの - 《ジェット機のサンバ Samba do avião》

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

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お知らせ●中村安志氏の執筆による好評連載「シコ・ブアルキの作品との出会い」についても、今後素晴らしい記事が続きますが、今回もまた一旦、この連載「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」の方を掲載しています。今後も、何回かずつ交互に掲載して行きます。両連載とも、まだまだ凄い話が続きます。乞うご期待!!!(編集部)

 広く知られるレパートリーの1つ、「ジェット機のサンバ(Samba do avião)」。この曲は、当初、イタリア・フランス・ブラジル共同制作の映画で、ジョアン・ジルベルトやジョビン自身が歌う場面も収録された『コパカバーナ・パレス』(1962年)の主題歌として、作詞作曲ともジョビンに委嘱されたものでした。
 映画は、風光明媚なリオの街で、ボサノバなどを歌う人物の姿も織り交ぜながら、喜劇俳優も配置し、南部バッハ・ダ・チジュッカに長く伸びる海岸、キリスト像の立つコルコヴァードの山、旧市街のリオ・ブランコ通りなどを撮影。老舗コパカバーナ・パレス・ホテルでのサロン・カーニバルの映像なども絡め、リオの魅力をアピールしています。
 この歌は、映画公開後、「イパネマの娘」初演の舞台ともなった62年8月、コパカバーナのナイトクラブ「ボン・グルメ」で披露され、その後65年に、2枚目となるジョビンのアメリカ制作LPに収録。同年、トニー・ベネットが英語でレコーディングするに至りました。。

 歌詞は、美しきリオの風景や人々に向けられた賛歌となっており、空の旅からリオに到着するときの映像を鮮明に思い浮かべさせる描写で、親しまれています。かつて日本との間の直行便を運行していたヴァリグ航空のコマーシャルでも、ふんだんに用いられ、私も、1987年7月に初めてブラジルに渡ったリオ行きジャンボジェットのガレオン空港着陸時、早朝の空港を取り囲む海の水面の輝きを見て、この曲を思い浮かべずにいられませんでした。

 歌の口火を切る、冒頭の「エーパーヘー」というかけ声は、バイーア地方で信仰の厚い黒人宗教において魂を守ってくれるという、空に結びつけられる守護神イアンサンに向かって唱える挨拶です。あちこちに生えているアロエの木にまで言及し、故郷リオへの愛着が見えてきます。
 そこから続く最初の5行では、「神よ、聖サンティアゴよ、(原住民が崇める黒い岩を指し、小鳥の一種の名前にもなっている)ウマイタよ」と、神仏に呼びかけお祈りをしているような言葉が続いていきます。

Samba do avião歌詞

 ジョビンは、ボサノヴァが大ヒットしたアメリカに、何度も渡ることとなりましたが、乗り慣れたはずの飛行機の旅に、毎回少なからぬ怖れを抱いていたとも言われます。もし、飛行機恐怖症が本当だとすれば、ジョビンは、この歌の中で、リオ行きのフライトのご加護を祈る儀式として、この序奏を挿入したのでは、という説明がぴったり当てはまります。
 一方で、こんな話もあります。自然を強く愛するジョビンは、季節の夜空の星座の方角・位置を克明に頭に刻み込んでおり、あるとき、ローマから離陸したフライトで窓の外を見て、「星の配置がおかしい、順調に目的地に向かっているのか」と乗務員に質問。指摘は的中しており、乗務員から「機材に少々異常があり、いったんローマに引き返そうとしています」と小声で返答されたのだとか。フライト中に落ち着いてそんなことまで指摘できたジョビンが、果たして飛行機恐怖症なのか。中には、飛行機が怖かったのは60年代の若い頃だけ、という説もあったりします。
 62年に作曲された当初は、この序奏部分は存在しておらず、15年ほど後、ミウシャらと一緒にこの曲を改めて録音した頃に、加えられたようです。ジョビンと懇意で、ここに出てくるシャンゴーなどの神を崇めるバイーア地方の名歌手、ドリヴァル・カイミ(ジョビンと一緒にアルバムも残しました)から提供されたフレーズであるとも伝えられています。

 さて、お祈りが終わると、「私の魂は歌う(Minha alma canta)」という一言とともに、軽快なリズムで、歌の本編が始まります。「我が魂(Minha alma)」とは、ブラジルの詩の世界で、実に多く用いられてきた言葉。「3月の水」で、ジョビン自身が、ここから着想したと漏らしているオラーヴォ・ビラッキの「世界の眼差しを」という作品には、Ando tão cheio / Deste amor, que minh’alma se consome(この愛にかくも満ち、この愛に我が魂は費やされる)というフレーズがあり、ジョビンが子供時代よく読んでいたとされるマヌエル・バンデイラの詩にも、Minh’alma sofre e sonha e goza/ À cantilena dos beirais(我が魂は苦しみ、夢を見、また楽しむ、雨よけの歌声に)といった箇所があります。
 その後、地上の風景が目に入り、リオに戻ってきたことを実感した主人公が、懐かしくてたまらないと告白する言葉が続きます。何度か口ずさまれるRioという言葉については、地名としてのリオを指すと同時に、笑う(または笑みを浮かべる)という意味の動詞(rir)の一人称単数形rioにも聞こえます。例えば「リオよ、君が好きだから」という部分は、「リオよ(と私は笑顔でこう言う)、君が好きだから」と述べているかのように聞こえる仕掛けになっています。こうして言葉を読み解いていくと、ジョビンが実に素晴らしい作詞家でもあることを、改めて実感せずにはいられません。

 リオ国際空港は、ジョビン逝去から5年を経た1999年、この偉人を讃え、トン・ジョビン国際空港と改名されました。

ジョビン空港

   ↑ジョビン空港がジョビンの名前を冠することになったことを   ジェット機のサンバの歌詞を引用しながら示しているプレート。

 決して大きな空港ではありませんでしたが、2016年のオリンピックに備えて大幅拡張され、いちばん奥の到着ロビーから制限区域外側に出るまで1km近く歩くほど巨大なターミナルに変貌しました。しかし、外でタクシーに乗り継ぐエリアに出ると、懐かしい熱気に包まれ、この後まもなく再び目に飛び込んでくるであろう風景が、脳裏を横切り始めます。今夜は、この歌を聴きながら、美しいリオに改めて乾杯することにしましょうか。

コルヴァード

↑ 筆者のリオ五輪下見での訪問時、キリスト像が見えた瞬間

著者プロフィール●音楽大好き。自らもスペインの名工ベルナベ作10弦ギターを奏でる外交官。通算7年半駐在したブラジルで1992年国連地球サミット、2016年リオ五輪などに従事。その他ベルギーに2年余、昨年まで米国ボストンに3年半駐在。Bで始まる場所ばかりなのは、ただの偶然とのこと。ちなみに、中村氏は、あのブラジル音楽、ジャズフルート奏者、城戸夕果さんの夫君でもありますよ。

(ラティーナ2021年9月)

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