[2022.11]大城クラウディア デビュー15周年記念作品リリース・インタビュー
インタビュー・文●東 千都(ラティーナ編集部)
今年でデビュー15周年を迎えるアルゼンチン出身の歌手、大城クラウディアが、15周年記念作品として、10/5に両A面シングル「我島沖縄/新世ぬはじまい」をリリースした。リリースすることになった経緯やその思い、またこれまでの活動についてインタビューを行った。
(インタビュー:10/27 ラティーナにて)
●CDについて
── 10/5に両A面シングル曲「我島沖縄/新世ぬはじまい」をリリースされました。「世界で暮らすウチナーンチュや日系人たちを応援する曲を製作し発表したいという本人の強い希望によりリリースされた」と紹介されていましたが、リリースする経緯や、その辺りのお気持ちについてお聞かせください。
大城クラウディア 世界で暮らすウチナーンチュや日系人たちに何かの形で応援できないかなとずっと思っていました。私は歌うことしかできないから、世界のウチナーンチュからの目線の曲をいつか歌いたいなということを以前から宮沢さんに話していたので、強い訴えというより、その思いが積み重なったという感じでリリースすることになりました。
コロナ禍でオンラインのイベントが多くなり、アルゼンチンのお祭りにしても以前は現地まで行かなかれば参加できなかったのが、全部がオンラインになったことで、遠いところにいる私も普通に参加できるようになりました。頑張っているみんなを見て、それを歌で盛り上げたいという気持ちになりました。
── それぞれの歌についてご紹介していただけますか?
大城クラウディア 「我島沖縄」は、海外のウチナーンチュ目線の曲で、私がアルゼンチンでやってきたことなどがメインとなっています。宮沢さんもアルゼンチンに何回か一緒に行って、私の両親や家族、ライブを手伝ってくれる私の親友たちとかも知っていて、彼らから色々話を聞いたりした内容をもとに作られました。どちらかというと沖縄を離れた海外にいる人たちに共感してもらえるような曲ですが、沖縄に住んでいるウチナーンチュにも、沖縄のことを誇りに思っている人が海外にも多くいるんだよってことも知ってもらえたらなと思いました。もしかしたら外からの目線なので共感はできないかもしれないけど、こういうふうに思っている人が多くいるということを知ってもらえるいい機会かなと思います。
── いい歌詞ですよね。「七回嵐に吹き飛ばされたとしても 七度這い上がる〜」ってところがグッときます。
大城クラウディア それは「ヒヤミカチ節」の歌詞(「七転び 転でぃ〜」)から「七回」というのがキーワードになっています。ヒヤミカチ節もハワイとの繋がりがあるので、そういう意味も込めているのではないかと思います。
── 一方「新世ぬはじまい」については、ロック調でアップテンポな曲となっています。
大城クラウディア これはコロナ禍の後の世界に向けての歌です。沖縄から世界に旅立っていった先人たちと同じような心意気とか勇気、希望を持って、若者たちも未来に向けて前向きに次の世界に船出していこう、そして世界に旅立っていった先人たちの思いも忘れずに、それを受け継いて強く生きていこうという歌です。
── 多くのウチナーンチュと一緒に歌えそうな曲です。今回、リリースにあたり、沖縄をはじめとしたテレビやラジオなど、宣伝活動を精力的に行われていますが、みなさんの反応はいかがでしたでしょうか?
大城クラウディア いい歌ですね、ってみなさん言ってくださいました。宮沢さんが理解してくれてるところが大きくていい歌になりました。私の思いを曲に反映して下さっていて、とてもありがたいです。
── 色んな人に歌ってもらえるといいですね!
大城クラウディア これはカラオケ付きなので、皆さんにも歌ってほしいです!宮沢さんのコーラスで歌えます!贅沢です!(笑)
私のアルバムでは宮沢さんコーラスが多いのですが、カラオケ付きがなかったので、今回いい機会となりました。アルゼンチン向けに制作したアルバムにはカラオケ付きもあったのですが、日本向けには無かったので。
是非楽しく歌ってください!(笑)
●15周年を振り返って
── 本作品はデビュー15周年記念作品ということですが、15年を振り返ってみていかがですか?
大城クラウディア 15年って結構長いんですけど、ほんとにあっという間に過ぎました。でも、やっぱり自分が好きなことをやれているということが一番大きいですね。色んな国で歌えたこと、またペルーやブラジル、ハワイの沖縄まつりに歌いに行くことができ、たくさんの経験をしてきたな、と感じます。日系人が最初に移民した国、ハワイに行くことができたのもよかったなと思っています。今ではハワイは4世、5世の世代となり、普通に英語で話して、日本語も話せない人も多いと聞きます。アルゼンチンでは(ペルーやブラジルに比べて日系人コミュニティが小さいため)大体顔見知りなので、日系人を見かけたらすぐ話しかけます(笑)。ハワイやブラジルでは日系人が社会に溶け込んでいるというのを強く感じますね。色々な場所に歌いに行ってわかりました。
●MVについて
── 気持ちよく海のそばで歌われていますが、場所はいつ頃どこで撮影されたのでしょうか?
大城クラウディア これは沖縄で撮影しました。結構暑かったけど真夏じゃなくて、9月くらいに撮りました。
── クラウディアさんが歌っている映像の他にも、首里城の幕の前で踊っていらっしゃる方も映っています。Youtubeのクレジットには、振付、舞踊が Erica Yonamine (Ryuseihonryu Ryuseikai Perú) さんと表記されていますが、Ericaさんはペルー在住の方なんですか?
大城クラウディア 彼女は元々アルゼンチン在住で、私と一緒にバンドをやっていました。私の若い頃からの友人です!今はペルー在住で、沖縄舞踊を教えています。
── この曲のために作られた舞踊なのですか?
大城クラウディア この曲のために彼女にお願いして、舞踊を作ってもらいました。首里城の幕の前で踊っているのは、ペルーの沖縄県人会の舞台で踊っています。アルゼンチンの沖縄県人会の舞台にもこの首里城の幕があるんですよ。
── MVの途中で差し込まれている写真や、向こうでの公演の映像については、現地の県人会からのものなのですか?
大城クラウディア 映像については、そうです。写真は、最初の方の琉球國祭り太鼓の集合写真には私が写っています(笑)エリカはこれ(笑)(是非、探してみてください!)1998年アルゼンチンでの移民90周年の時の写真です。日本から琉球國祭り太鼓のメンバーも20名ほど応援に来てくれたので、一緒に写真を撮ったものです。
その他関連ある写真については、私の母や、祖母たちの写真です。その後に三線を持っていらっしゃるのは、私のアルバム『C』に収録されている「女の夢」を作曲した榮口朝行さんで、ブエノスアイレスでは有名な野村流の方です。数年前に亡くなられたのですけど、この写真は私のライヴの時に出演された時のものです。
映像については、屋内のものはサンパウロのヴィラ・カラオゥンの沖縄まつり(2019年8月)で歌っているのもの、屋外はブエノスアイレス郊外の日本まつりの際の映像です。盆踊りに参加できるので、アルゼンチンの人たちもかなり集まります。最後の写真はアルゼンチンの沖縄まつり(2016年)で歌った時のものですね。
── (クレジットから)ペルー沖縄県人会と、ブラジルのビラ・カラオゥン沖縄県人会の協力を得ていますが、こちらは公演に行った際に繋がったご縁ということでしょうか?
大城クラウディア そうです。とてもありがたいです。
本当は昔ペルーのお祭りに行った映像も入れたかったのですが、まだスマホじゃなかった時代で、映像がちゃんと残っていなくて入れられませんでした。ハワイで歌った時の映像もなかったので、残念でした。
── 今までの活動の模様も盛り込んで、15周年を記念する映像となっていますね。
大城クラウディア そうですね。とても懐かしいです。
●ライブについて
── 大城クラウディア デビュー15周年コンサート『我島沖縄〜わしまうちなー〜』が予定されています。普段ソロでライヴする時のサポートメンバーも参加されるのでしょうか?
大城クラウディア 東京は、いつものメンバーの来嶋けんじさんとヘンザン・タカヒロさんにサポートしていただきます。宮古島は宮古島のバンドに、大阪は来嶋けんじさん、鶴来正基さん、マリオ竹口さんのサポートです。
大阪会場が追加になったのですが、当初予定されていたのは泉南市というところで大阪市内からちょっと距離があったので、行きやすい場所として追加になりました。
●最近の活動について
── 昨年は「沖縄からの風」コンサートを行い、お客さんの前で歌える環境が徐々に整ってきました。最近だと、10/10沖縄でのくるちの杜音楽祭、10/23大阪大正区の沖縄フェスティバル、とお客さんとやや近い距離での野外コンサートがありましたが、どうでしたか?
大城クラウディア 昨年のホールツアーはお客さんも恐る恐る参加した感じだったと思います。先日の大阪大正区でのライヴは、野外ということもあってか、お客さんの「待ってました!」という感じがひしひしとこちらに伝わってきました。まだ声は出せない状況ではありますが、客席からすごく伝わるものがあって、とても盛り上がりました!野外で古典を聴く、舞踊を見るという機会がなかなかない体験でしたが、皆さん静かに座ってご覧になってましたね。とてもいい機会でした。
●いよいよウチナーンチュ大会開催!
── 昨年予定されていた第七回世界のウチナーンチュ大会は延期となってしまい、今年ようやく6年ぶりに開催されます。久しぶりに世界中から多くの方が沖縄に集結しますね!出演される予定ですか?
大城クラウディア 今年は歌での出演はしませんが、関連イベントのシンポジウムにパネリストとして参加する予定です。あとは自分で申し込んで開会式を観に行く感じです(笑)。アルゼンチンの衣装を着て行こうと思ってます!たぶんアルゼンチンから友人や親戚、知り合いも来ます。MVで新作舞踊を披露してくれたエリカさんも、今回民間大使に任命されペルーから参加するので、久しぶりに会えます!みんなに会えるのを楽しみにしています。
── ウチナーンチュ大会に最初に参加されたのは?
大城クラウディア 私は、1995年の第二回の時にアルゼンチンから参加しました。当時は高校生でした。「ジュニアスタディ」という制度で、他のウチナーンチュたちとの交流をしたり、移民した当時を体験するということで船での生活体験にも参加しました。
── 中高生の時から沖縄で体験できるというのがすごいですね。
大城クラウディア あとは、他の国、特に南米の国々のウチナーンチュの横の繋がりを強めるという意味合いもあるでしょうね。
私は、当時の閉会式で初めて「琉球國祭り太鼓」を見たんです。
── その時にやりたいと思ったのですか?
大城クラウディア やりたいというよりは「この人たちは何なんだ?」っていう衝撃的な思いの方が強かったですね(笑)
閉会式の後に国際通りで、踊っていたCDを探して買ってアルゼンチンに帰ったのを覚えています。
── そこでアルゼンチンに戻ってから、琉球國祭り太鼓のアルゼンチン支部を立ち上げたのですか?
大城クラウディア すぐではなく、しばらくは北中城の和太鼓のグループがあったので、そこに入りました。さらに後になって、アルゼンチンの西原町人会の周年祭があり、当時習っていた舞踊の先生が周年祭の出し物としてエイサーをみんなでやろうと言われ、舞踊をやっていた友人と和太鼓の友人たちを巻き込んで、うるま市の平敷屋のエイサー(パーランクーを持って静かに踊る)みたいなのを演りました。
周年祭が終わってから祭り太鼓の曲で見よう見まねで踊っていたところ、琉球國祭り太鼓をやっている人がたまたまブエノスアイレスに来ていて、私たちの下手くそな踊り(笑)を見て「僕が教える!」ってことになり、まずその方が本物の衣装を着て、本物の踊りを見せてもらいました。そこからアルゼンチン支部を立ちあげることになったのです。南米で初めてできた支部がアルゼンチンで、ほぼ同じくしてブラジルにも支部ができ、その後ペルー、メキシコなどにも広がっていきました。
── 琉球國祭り太鼓のブエノスアイレスの支部立ち上げに携わっていたというのがお伺いしていたのですが、ウチナーンチュ大会がきっかけとなったというのがとても興味深いですね。まさに「我島沖縄」の歌詞「僕らが仲間と始めたエイサーで〜」というところがぴったり!
大城クラウディア 私はウチナーンチュ大会で見たことしかなかったのですが、色んな人がやりたいと言って集まってくれて……。アルゼンチンから沖縄に留学した人が祭り太鼓を体験したという人も参加してくれて、どんどん輪が広がりました。あの時は何もわからず、やりたい一心でやっていましたね。
── 今、その祭り太鼓の人たちと一緒に歌っているというのがとても感慨深いですね。
大城クラウディア 本当にそうなんです!
◆
自身のルーツであるウチナーンチュ、日系人ということを強く自覚しながら15年各地で歌い続けてきた。今まで彼女が辿ってきた道や思いがそのまま「我島沖縄」の歌詞になっていることがよくわかったインタビューであった。同志とも言える世界のウチナーンチュのための歌を歌いたい、という思いが熱く伝わり、思い続けることが大事だと改めて考えさせられた。
世界中のウチナーンチュたちに彼女の思いが届くことを祈っている。そして、声を出してみんなで歌える日が早く戻って来ますように。
(ラティーナ2022年11月号)
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