見出し画像

【追悼】[2003.8] 坂本龍一が語る ——バンドとして確立したM2Sと、その未来

 音楽家の坂本龍一さんが2023年3月28日、他界されました(公表されたのは、4月2日の夜でした)。享年、71歳。 YMOや映画音楽で知られる坂本龍一さんは、NY出身で少年期の15年間をブラジル北東部で過ごしたアート・リンゼイを通じ、ブラジル音楽に接近し、00年代前半にはボサノヴァの再解釈に真正面から取り組みました。その時の共作パートナーでもあったブラジル・リオデジャネイロ出身のチェロ奏者、ジャキス・モレレンバウムは、以降、坂本龍一の最高の音楽的パートナーの1人となりました。ジャキスとのストーリーは、以下の記事に詳しいです。
 この記事は、月刊ラティーナ2003年8月号に掲載されたものです。筆者の中原 仁さんにご協力いただき、追悼の意を込めここに再掲致します。ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

文●中原 仁 text por JIN NAKAHARA

 史上最多の得票を集め「2001年ブラジル・ディスク大賞」の1位にランクされた『カーザ』から2年。アントニオ・カルロス・ジョビンに対する愛と敬意の絆で結ばれた坂本龍一とジャキス&パウラ・モレレンバウム夫妻のユニット、モレレンバウム2/坂本(以下M2S)が、新作『ア・デイ・イン・ニューヨーク』を携えて帰ってきた。
 帰ってきた……、いや、この言い方は正しくない。というのもM2Sは『カーザ』を発表し2001年夏に日本公演を行った後も、2002年9月から10月にかけてアメリカ合衆国とヨーロッパ8ヶ国をめぐるツアーを行い、継続的なユニットとして活動を続けてきたからだ。日本公演ではルイス・ブラジル(ギター)を加えた4人編成だったが、昨年のツアーからマルセロ・コスタ(パーカッション)も加えた5人のバンド・フォーマットが完成。ツアーが終わり11月にニューヨークで再会した5人は、あのグラウンド・ゼロに隣接したウィンター・ガーデンでコンサートを行い、その翌日にスタジオ入り。たった1日で、ライヴと同じ一発録りスタイルでレコーディングしたのが『ア・デイ・イン・ニューヨーク』である。

「レパートリーは『カーザ』とかなり重複してますけど、内容面でずいぶん変わって音楽的に深化しているので、その成果を録っておきたいと思ってたんですね、ツアーの途中から。お互いに刺激しあってるってことがあるし、音を埋め尽くさなくても音楽として成立する。いいミュージシャンと2ヶ月も一緒にやっていれば、バンドっぽくなりますよね。それで、ツアーは終わったけど11月にもう一度ニューヨークに集まるから、その時に録りましょうということにして」(坂本)。

 たしかに、新作の収録曲のほとんどは『カーザ』 そして 『ライヴ・イン・トーキョー2001』を通じて発表済みだ。しかし聞こえかたはずいぶん異なる。ジョビンへの愛情や、ジョビン宅のサロンでレコーディングしたことに起因するエモーショナルな感動に裏づけられた前作に対し、いい意味での音楽との距離感が保たれ、坂本=ジャキス=ルイス=マルセロによる “バンドの表現” が確立されたことがハッキリと聴きとれるのだ。
『カーザ』に続いて新作で再録音したジョビン作品のラインナップを見ていて、興味深い事実に気がついた。そのほとんどが『カーザ』では、リオのスタジオではなくジョビン宅で、鳥や虫の声などの自然音に包まれてレコーディングしたものだったことに。バンドの深化を経て、それらを今一度きちんとしたスタジオ環境で録って残しておきたい、そんな意図も反映されているのだろうか?

「ジョビンの家で録ったトラックってことは全然考えてなかったんですけど、ツアーやってる中で主に僕のほうで、あ、これは深化してるな、レベルが変わったなと思えるような曲を入れてみたっていうかね。いちばんハッキ
リしてるのは「サビアー」とかね。同じようなアレンジ、構成でやってるんだけど、ずいぶん音楽的に変わってるから」(坂本)

『ア・デイ・イン・ニューヨーク』にはジョビン作品の他、カエターノ・ヴェローゾの「コラサゥン・ヴァガブンド」、坂本龍一の作品にパウラがボルトガル語の歌詞をつけた「タンゴ」、さらにジョアン・ジルベルトの数少ない自作曲「ビン・ボン」が収録されている。ちなみに日本盤は海外盤より5曲多く、「ハウ・インセンシティヴ」のアンビエント風リミックス・ヴァージョンもある。ジャキスの歌も聴ける「ビン・ボン」は日本公演のレパート
リーには入っていなかった曲だ。

「ジョアン・ジルベルトは、もう “大ーーっ好き!” ですね。やっぱりシンガーとしての良さ。たとえばマリア・カラスに対する憧れと似てるかもしれないですね。僕にとってマリア・カラスとジョアン・ジルベルトは、ほとんど同じぐらいの感じ(笑)」(坂本)

「私とジャキスがトム(ジョビン)のバンドにいた時代、コンサートで時々「ビン・ボン」をやっていたけれど、レコーディングされることはなかった。去年の(M2S)のツアーのリハーサル中に、この曲を思い出して龍一
に提案したの。」(パウラ)

「カエターノの「コラサン・ヴァガブンド」も「ビン・ボン」と同じくトム(ジョビン)が愛した曲で、トムのバンドで演奏したこともある。その後、私はカエターノと10年間、この曲をずっと演奏してきたし、龍一のフェイヴァリットでもある。龍一の「タンゴ」も、彼のトムに対する敬意、トムから受けた影響が感じられる曲だ。つまり私たちのレパートリーは、それがトムの曲でなくてもトムに繋がっているんだ」(ジャキス)

 ここで欧米ツアーの話も聞いてみたい。映画音楽などの自作を通じ、海外での知名度、人気も日本にひけをとらない坂本龍一だが、 “世界のサカモトが一人のピアニストに徹してジョビンを弾く” というプログラムを、海外の聴衆はどう受けとめたのだろうか。

「僕の音楽をやらなかったので、それを期待してきた人の不満の声もいくつか耳に入ってきましたけど、それは現地のプロモーターの宣伝の仕方ですからね。あと毎回、面白いと思うのは、国よりも町によって、たとえばスペインでもマドリッドはどう、バルセロナはどう、イタリアでもミラノはどうだけどペルージャはどうとか、町によってずいぶん違うんです。あまり期待していなかったマドリッドがものすごく熱狂的だったりとか。ポルトガルは言葉が同じですから、どこの町に行っても熱いんですけど、ポルトガル以外の国は、みんな有名な曲しか知らないですね。
 イタリアは、どんな田舎に行っても熱狂的で、やっぱり民度が圧倒的に高いんです。民度っていうとヘンだけど、カルチュラル・リテラシーって言うか。 聴衆の耳がいいんですよ。でね、民度を調べる曲があるわけです、レパートリーの中に。どう反応するかでその町の民度がわかっちゃう、リトマス試験紙のような曲が、僕の曲の中にもジョビンの曲の中にもあって。たとえば「サビアー」のような静かで密やかな美しさに対して熱狂的な反応が来るんですよ、イタリアは。もう “ウォー” みたいになっちゃう。やっててこんな
に楽しい国はないですね」(坂本)

 M2Sは今年も、『ア・デイ・イン・ニューヨーク』の発売記念のツアーに出た。ポルトガル、イギリス、フランス、坂本龍一が大好きなイタリア(シチリア島も含む)をめぐり、スイスの「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」でジョアン・ジルベルトと同じ夜のステージをシェアして終わる、というスケジュール。本誌が店頭に並ぶ頃にはその模様も届いているだろう。
 ツアーの皮切りとなった6月15日、ニューヨークの「ジョーズ・パプ」でのライヴをレポートしよう。 小さなクラブとは言え2公演ともすでに完売で、超満員の場内にはニューヨーク在住とおぼしき日本人の姿もあるが、圧倒的に多いのはニューヨーカーでブラジル人ぽい顔はほとんど見あたらない。
 面白かったのは聴衆の反応だ。ノリのいい曲が終わった直後の盛り上がりは世界共通だが、日本のように有名な曲のイントロで「待ってました!」の拍手が起こることはないかわり、地味でも気の利いたソロの後や、途中のちょっとした場面転換の箇所で場内がワッと沸く。予備知識に左右されず聴いた瞬間に反応しているわけで、ニューヨーカーの民度もかなり高いという印象を受けた。
 僕の隣にいたアート・リンゼイは「この曲、大好きなんだよ」と「オ・グランヂ・アモール」について語り、「ジェット機のサンバ」のエンディング近くの演出(その内容はアルバムを聴いて下さい)に大爆笑。「ジョビンの
音楽をやるときは、こういうユーモアのセンスをもっと入れた方がいい。ジョビン自身がユーモアの持ち主だったしね」との言葉を、ライヴ終了後の坂本龍一に告げていた。
 M2Sのパフォーマンスについて言えば、控えめなリズム・キープに加えて音色にも細心のこだわりを見せ空間構成の彩りを添えるマルセロ・コスタのメンバー定着によって、ダイナミック・レンジが抜群に広がった。ただ、バンドの音が研ぎ澄まされ一体感が増したぶん、フロントに立つパウラの弱さが露呈してきたことも事実。結成の経緯を思えば彼女抜きのM2Sはあり得ないのだが、おそらく今回のツアーをもってM2Sのサイクルは幕を閉じるのではないだろうか。
 でも、ジャキス=ルイス=マルセロのブラジル勢と坂本龍一との、国籍の違いをまったく感じさせない音楽的なコミュニケーション、自由で冴え冴えとした演奏を聴いて、このまま終わってしまってはもったいないと思うことしきり。いっそのこと発想を変えて、この4人でジョビンだけでなく坂本作品を中心に演奏するとか、ブラジル勢3人とも坂本との縁も深いカエターノ・ヴェローゾがフロントに立つ、なんて企画はどうだろう。そんな妄想めいた願いを、坂本龍一にそっと耳打ちしておいた。

(月刊ラティーナ2003年8月号掲載)


ここから先は

0字
このマガジンを購読すると、世界の音楽情報誌「ラティーナ」が新たに発信する特集記事や連載記事に全てアクセスできます。「ラティーナ」の過去のアーカイブにもアクセス可能です。現在、2017年から2020年までの3.5年分のアーカイブのアップが完了しています。

「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…