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[2024.10]【境界線上の蟻(アリ)~Ants On The Border Line〜23】聴く者を〝異界〟へと誘う孤高のケルティック・コーラス〜アヌーナ(アイルランド)

文●吉本秀純 Hidesumi Yoshimoto

 ヨーロッパ周縁国の伝統音楽や聖歌などに根差した合唱音楽(ポリフォニー)といえば、80年代にワールド・ミュージックが幅広い聴き手から親しまれるようになった時期に日本でも注目を集めた。最もよく知られるのは作曲家のフィリップ・クーテフが創設したブルガリア国立合唱団だろうが、他にもフランス領のコルシカ島や旧ソ連圏のジョージア(グルジア)のポリフォニー、日本でも前回にこのコーナーで取り上げた『AKIRA』のサントラで知られる芸能山城組が『地の響~東ヨーロッパを歌う』(77年)を発表してそれらに先駆けた動きを示したりもしてきた。また、90年代にはヒーリング・ミュージックの一種としてグレゴリオ聖歌が一時的にブームにもなったりと(良し悪しはさて置いて)様々な形で親しまれてきたわけだが、「中世アイルランドの音楽を現代に甦らせる」というコンセプトのもとに作曲家のマイケル・マクグリンによって87年に結成されたアヌーナもまた、そうした流れの中から頭角を現してきた合唱グループと位置付けられるが、その音楽性は一筋縄ではいかない。

 もちろん〝神秘のケルティック・コーラス〟と形容される美しい響きこそ彼らの最大の魅力だが、12世紀のドイツで活動した修道女にして作曲家のヒルデガルド・フォン・ビンゲンやルネサンス期のイタリアで前衛的な作品を残したカルロ・ジェズアルド、ビートルズやビーチ・ボーイズのような多重録音を駆使したポップ・ミュージック、冒頭で触れたようなヨーロッパ周縁の合唱音楽、ドビュッシーや武満徹といった現代クラシック、ハロルド・バッドらのアンビエントにも影響を受けながら構築された音世界は、太古と未来を往来するような荘厳さとスリルに満ちたもの。そんなアヌーナが9年ぶりに完成させた最新アルバム『アザーワールド』は、ますます独創性を強めたハーモニーと曲展開により、タイトル通りに聴く者を〝異界〟へと引き込むような魔力を宿した渾身作となっている。

 『アザーワールド』が過去作と比べても斬新な響きを獲得している理由として挙げられるのは、ほぼすべての楽曲をビョークらを輩出してきたアイスランドへと赴いて録音していることだろう。録音はレイキャヴィクの近郊にある、シガー・ロスが自分たちのリハーサル・スペースとして使用していた古い建物を改装したスタジオで行われていて、メンバーにも数多くのアイスランド人シンガーが参加している。マイケルは18年からアイスランドとの繋がりを深め、『アザーワールド』の日本盤解説の中で「それまで馴染みがなかった私の音楽に対して独自の解釈をする並外れた力量のアイスランド人シンガーたちの存在なしには今作は作れなかっただろう」と語っているのも興味深い。また、全11曲中の4曲は、日本の光田康典が作曲したゲーム音楽のサントラ『ゼノブレイド2』(18年)にアヌーナが参加した楽曲のリアレンジ版となっており、この数年の間にアイルランドだけに留まることのないトランスグローバルな感覚を増してきた彼らの新たな到達点を具現化させたものなっている。

 2022年にハッブル宇宙望遠鏡によって発見され、地球から129億光年離れた場所に位置するくじら座の恒星にインスピレーションを受けて書かれた「エアレンデル」で幕を開ける本作は、セルキーと呼ばれるアザラシから人間の姿に変身できる神話上の生き物、18世紀のアイスランドに実在した無法者を題材に書かれた子守唄、中世のダブリンにおける聖歌と典礼の慣習を伝える14世紀の手写本などから着想を得た楽曲を含みながら、古代と現代、アイルランドとアイスランド、聖と俗、ノスタルジックな安らぎとコンテンポラリーな響きの間を自在に行き来する。サウンド面でも変化に富んでいて、変拍子的な打楽器のリズムを伴った2曲目の「ロスク」はフランスを代表するペイガン・ジャズ・ロック・グループとして知られるマグマの楽曲を彷彿させるようなところがあるし、4曲目の「セルキーの歌」において美しさが際立つ極めて複雑なコード・チェンジを伴ったハーモニー、あるいはリードを取る男性ヴォーカルがどこかロバート・ワイアットにも似た味わい深さを放つ6曲目の「Shadow Of The Lowlands」など。予想外の音楽を連想させるような多様な響きがあり、アルバム全体としても同じようなクラシカルな合唱音楽よりは、ルーパーなどを駆使して独自のヴォイス・アンビエントを展開する米国のジュリアナ・バーウィックがかつてアイスランドに赴いて録音した13年リリースの秀作『Nepenthe』あたりに通じるような印象を受ける。もちろん本質的にはまったく異なるバックボーンを持った音楽ではあるが、アヌーナの最新作『アザーワールド』はより開かれた耳で〝発見〟されるべきマジカルにして孤高の領域に達した作品となっており、11月下旬から12月にかけて全国9カ所で開催される来日公演ツアーでも、どのような新境地を示してくれるのかに期待が高まる。


ケルティック・クリスマス 2024
アヌーナ来日公演

 11/22(金)兵庫県立芸術文化センター
 11/23(土)大阪 ザ・フェニックスホール
 11/24(日)東海市芸術劇場
 11/26(火)札幌文化芸術劇場 hitaru
 11/29(金)静岡音楽館AOI
 11/30(土)神奈川 フィリアホール
 12/1(日)所沢市民文化センターミューズ
 12/7(土)すみだトリフォニーホール
      アヌーナ特別公演 「雪女の幻想」〜神秘のコーラスと能舞〜
 12/8(日)三鷹市芸術文化センター

2024年公演来日メンバー
今回の日本ツアーは、マイケルとサラ・ディ・ベッラ以外は初参加ですが、過去最高の精鋭メンバーで来日します。
マイケル・マクグリン Michael McGlynn
サラ・ディ・ベッラ Sara Di Bella
アンドリュー・ブーシェル Andrew Boushell
キーアン・オ・ドンネル Cian O’Donnell
ライアン・ガーナム Ryan Garnham
ダヒー・オ・ニューノイン Daithí Ó Nuanáin
ノア・タイス Noah Thys
ジョナサン・レイノルズ Jonathan Reynolds
エロディ・ポーン Elodie Pont
アシュリン・マクグリン Aisling McGlynn
ポリーン・ラングワ・ドゥ・スワートゥ Pauline Langlois de Swarte
ローナ・ブリーン Lorna Breen
サラ・ウィーダ Sara Weeda

多彩な言語、聖なる歌声で、20ヵ国以上の観客を魅了
「中世アイルランドの音楽を現代に甦らせる」というコンセプトのもと、1987年に結成。楽曲はマイケルが発掘した古くは1000年以上前の中世アイルランドの聖歌、アイルランド伝統歌からオリジナルまで、また、ラテン語、英語、ゲール語、アイスランド語と多彩な言語で、現代的なアレンジで聴かせる。それまで合唱団としては歌われてなかったアイルランドの伝統歌を取り上げ、クラシックとの融合を試みるという挑戦をする。その音楽性は、伝統音楽やクラシック、コンテンポラリーといった枠にはまらず、サウンドは神秘的で透明感に溢れ、アイルランドのみならず、ヨーロッパ各国、アメリカ、アジアなど20ヵ国以上の観客を魅了してきた。1994年『リバーダンス』の初ワールド・ツアーに参加。2005年初来日。2017年にオーチャードホールにて日本の能とアヌーナの歌を融合させた《ケルティック 能『鷹姫』》を行い、各方面から絶賛された。

近年、ゲーム音楽でも多数活躍
『ゼノブレイド2』(2017年)の音楽、『Xenogears Original Soundtrack Revival Disc』(2018年)に参加、2018年『ゼノギアス生誕20周年記念コンサート』にゲスト出演、2022年 ゲーム『クロノ・クロス:ラジカル・ドリーマーズ エディション』『ゼノブレイド3』、2023年 ゲーム『ベヨネッタ オリジンズ: セレッサと迷子の悪魔』の音楽、また2024年放映開始のアニメ『ダンジョン飯』の音楽にもアヌーナのメンバーが参加。2023 年新作アルバム『アザーワールド』を発表。『ゼノブレイド2』の4曲を新録。近年はアヌーナの男性メンバーから成る「M'ANAM」(マナム)、また女性メンバーたちの「SYSTIR」(システィア)でも活動し、さらなる多彩な活躍が注目されている。


(ラティーナ2024年10月)



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