[2021.10]次代の宮古民謡を託された期待の新人、松原忠之 デビューアルバム『清ら海、美ら島~あやぐ、宮古のうた~』
インタビュー・文●岡部徳枝
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2021年5月4日、宮古民謡を代表する唄者、国吉源次が旅立った。享年90歳。宮古島の東に位置する城辺町字新城に生まれ、祖母が歌う宮古民謡を子守歌に育った国吉は、大の歌好きに成長。10代の頃から村芝居の地謡を務め、その後、地域の行事に引っ張りだこな存在になっていったという。1965年、35歳で本格的に唄者になるべく沖縄本島の那覇市へ。1967年 、NHK「のど自慢」沖縄地区大会民謡の部で優勝。全国大会にも出場し、宮古民謡の存在とともに、その名を全国へ広く知らしめた。1968年には、自身初のレコードを発表。本作は、戦後初、個人名義で発表された宮古民謡アルバムとしても歴史に刻まれる作品となった。そんな宮古民謡の第一人者と称された国吉源次には、自慢の愛弟子がいた。8歳から国吉の稽古に通い始め、その2年後からライヴに付き添い、三線の伴奏を務めていた松原忠之である。当時をよく知るプロデューサーの小浜司が、27歳になった松原忠之と再会したのが2020年秋のこと。その後、彼のデビュー作制作に向けたプロジェクトがスタートし、2021年6月23日、晴れて初のアルバム『清ら海、美ら島~あやぐ、宮古のうた~』がリリースされた。「おじいちゃんのような存在」と慕った国吉源次師匠との思い出、弟子として受け継いだ歌の心。歌い続けて約20年、次代の宮古民謡を託された期待の唄者、松原忠之にさまざまな話を聞いた。
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