[2024.1] 【映画評】まったく真逆の表現で心を揺さぶるヨーロッパから届いた2本の冒険物語 『哀れなるものたち』『ゴースト・トロピック』
まったく真逆の表現で心を揺さぶる
ヨーロッパから届いた2本の冒険物語
『哀れなるものたち』『ゴースト・トロピック』
文●圷 滋夫(映画・音楽ライター)
もうすぐ公開される、ヨーロッパから届いた2本の映画を紹介しよう。1本はギリシャ、もう1本はベルギーの監督による作品で、いずれも女性が主人公の冒険物語だ。
『哀れなるものたち』(23)は、『籠の中の乙女』(09)がカンヌ国際映画祭ある視点賞を受賞して以来、発表する作品すべてが主要な国際映画祭のメイン部門でノミネート/受賞を果たしている、ギリシャ人監督ヨルゴス・ランティモスの最新作だ。ランティモス監督と言えば、ほとんどの作品が「特異なルールの下でコントロールされる人」を物語の中心に据え、 その状況設定を作品毎に大胆に変容させながら新たな人間ドラマを創り上げて来た。
本作もその例に漏れることはなく、主人公のベラ(エマ・ストーン)はマッドドクターの実験対象として厳しい管理下に置かれる。そして多くのランティモス作品で重要な役割を果たしてきた動物が本作にも登場し、人間と並んで実験対象になっている。そしてその映像表現は過剰と言えるほどアクの強い進化を遂げ、撮影、美術、衣装、ヘア、メイク、音楽等、作品を形成するあらゆるクリエイティヴィティが高次元で見事な融合を果たしている。その意味で本作は、ランティモス作品の集大成と言ってもいいだろう。
天才外科医ゴッドウィン(ウィレム・デフォー)は橋から身を投げた女性の遺体を持ち帰り、悪魔的手法で身体は大人のままの新生児として蘇らせ、ベラと名付ける。外部との接触を絶って助手のマックス(ラミー・ユセフ)と観察するうちに、ベラを手元に置き続けるための手段として彼女とマックスの結婚を思いつく。しかしベラの精神は急成長して自我に目覚め、婚約手続きのために訪れた女たらしの弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘惑され、ベラは外の世界を見るべく冒険の旅に出る決意をするのだが...。
本作で秀逸なのは、まずベラの人物設定だ。成人女性のまま新生児として蘇ったベラは、 脳の成長が異様に早く学習能力も高いので、すぐに言葉を覚え、同時に性にも目覚めるが、逆に社会的な規範や一般常識の決め事を全く理解していないので、その行動はまるで野生児のようだ。大人(に見える人)が何の制約にも羞恥心にも囚われず、興味本位で欲望の赴くままに行動する姿は、人によっては清々しくも、危なっかしくも、忌々しくも見えて、ベラはまるで観る側の立場を問うリトマス試験紙のような存在だ。
そしてまだ心が子供のベラは容易に男性の支配下に置かれるが、外の世界に出て様々な人と出会い多くの経験を積むと、少しずつ豊かな心へと変わり精神的にも強くなってゆく。最初は何の罪悪感も感じることなく食と性を貪り、次に初めて美しい音楽(ファド新世代のカルミーニョ!)に触れ、芸術を理解し、文学や哲学を学んで知性を得るようになる。やがて自立心が芽生えると、ダンカンの言うことに従わずその支配から逃れようとし始め、遂には自らの意志で “一般常識では” 忌み嫌われる堕落した存在になってダンカンと決別し、再び観客の凝り固まった社会通念と倫理観に激しく揺さぶりをかける。
本作は視点をどこに置くかによって、様々な見方が出来る奥深さを持っている。ベラだけを見れば冒険譚であり成長物語でもあるが、ゴッドウィンの存在も興味深い。ベラとの関係はフランケンシュタインの物語のようだが、彼の父親との関係を知れば、寧ろ彼自身がそのツギハギの見た目通りフランケンの怪物に見えてくる。そんな絶対的な父権に抑圧された息子の悲劇を綴る怪奇ホラーでもあるが、父から受けた接し方でしかベラを育てることが出来なかった彼も、ベラの影響で少しずつ変わってゆく。そしてベラに対する老医師の歪で屈折した愛情は、ほとんど谷崎文学のようでもあり、その纏った哀しみに切なさが滲み出る。
またベラが外の世界で目にする悲惨な状況と人々の残酷さは、温室育ちの彼女にとってあまりに衝撃的だが、それは今まさに世界で進行中の戦争や災害の被害者、悪政に苦しむ最貧困層の人々を象徴する、今この瞬間と地続きのおとぎ話でもあるのだ。そして何より、ベラと彼女を支配しようとする男たちの関係を見れば、本作の本質が浮かび上がってくる。それは男性優位社会の抑圧や偏見から解き放たれて、自由な性と生き方を求める女性を描いたフェミニズム映画だ。つまり本作は『バービー』や『プロミシング・ヤング・ウーマン』『燃ゆる女の肖像』『あのこは貴族』『はちどり』等の、近年の傑作とも通じているのだ。
本作の見所の一つは、それぞれ超個性的な役柄を演じた俳優陣だろう。『女王陛下のお気に入り』(18)に続くランティモス作品で、あらゆる段階の精神年齢を完璧に演じ分けたエマ・ストーンはもちろん全員が素晴らしいのだが、個人的には娼館の女主人スワイニーを演じたキャスリン・ハンターが印象深い。野田秀樹を相手に丁々発止とやり合った舞台「THE BEE」での、特徴的な声と特異な身体性を活かした圧倒的な存在感を、スクリーンからも感じたからだ。
ヴィクトリア朝風でありながら近未来も感じさせ、絢爛豪華で毒々しさもある斬新なヴィジュアルは、美術のジェームズ・プライス/ショーナ・ヒース、衣装のホリー・ワディントンらの、ランティモスとは初コラボの才能によって実現した。そしてそれらを映し出しためくるめく撮影は、『女王陛下のお気に入り』に続いてロビー・ライアンが担当。本作では抑圧された気分を演出する覗き穴のようなショットや、独特の美しいボケ感を創るピッツバール・レンズ、背景にLEDスクリーンを使用するなど、新たな試みにも挑戦している。
また音楽はこれまでのランティモス作品では既存の曲を当てるだけだったが、今回初めてオリジナルのスコアを使用している。映画音楽は初めてというジャースキン・フェンドリックスのスコアは、弦や木管などのアコースティックな楽器や肉声を多用しながら、微妙にチューニングをズラしたり不協和音を強調したり、冒頭から不穏さが爆発する。そして強度の高い映像と絶妙なバランスをとりながら、細かい感情の機微や微かな空気の揺れを見事に 表現している。
最後に。ランティモス作品は鑑賞後の一筋縄では行かない癖になる「嫌ぁーな感じ」に惹かれてきたが、本作ではその感覚も残しながら最終的には胸のすくような結末が用意され、今までには無かった爽快感すらある。これをスタッフ・ワークと合わせて考えれば、最初に述べた集大成でありつつ、同時に新境地と言ってもいいだろう。本作は昨年のベネチア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)、先日行われたゴールデン・グローブ賞ミュージカル・コメディ部門で作品賞と主演女優賞を受賞。3月に発表されるアカデミー賞では、必ずや台風の目になるはずだ。また日本ではオリジナル無修正R18+バージョンでの上映となる。
『ゴースト・トロピック』(19)は、帰宅途中の地下鉄で居眠りをして終点まで乗り過ごし、終電を逃してしまったアラブ系移民の女性ハディージャが、ブリュッセルの凍える一夜に体験するささやかな冒険を描いたロードムービーだ。ベルギー人の監督バス・ドゥヴォスは 2014年の長編第1作以来世界の注目を集め、今回同時公開される最新の第4作『Here』 (23)が昨年のベルリン国際映画祭でエンカウンターズ部門最優秀作品賞と国際映画批評家連盟賞をW受賞している。本作はその前作の長編第3作だ。
ハディージャは結局歩いて帰るしかなく、深夜の街を彷徨いながら出会った人々と交流を持つ。ビルの警備員やコンビニの店員、酒屋の店主、警察官、瀕死のホームレス等、ぶっきらぼうな人もいれば、優しさが滲み出る人もいるし、ちょっと差別的な白人の中年男もいる。皆社会の底辺で必死に生きていてどことなく孤独な佇まいだが、交わす言葉は少なく大きな事件も起こらない。彼女にとって昼夜が逆転したこの状況は非日常だが、やっていることは日常と大した変わりはない。それでもどこか少しだけ高揚した気分でちょっと大胆なことをしてみたり、いつもと違う自分が小さな冒険をやってみた。想定外だったのは偶然見かけた娘の、友人達と楽しそうに談笑する立派に成長した姿だった。こうして夜明け前、ハディージャはやっと家に辿り着く。そして朝が来て、またいつもの日常が始まる。
冒頭、スクリーンには生活感溢れる何の変哲もないリビングルームが映し出されるが、カメラは全く動かない。「これは写真なのか?」と疑問に思い始めた頃に、画面が少しずつ暗くなっていることに気付く。ほぼ暗くなった後、夕闇の街の情景に変わり、そこにタイトルが浮かび上がる。どこかただならぬ気配を感じさせるオープニングだが、同じアングルの対になるカットがエンディング近くでも使われる。他にも対になっているカットやエピソードがあって、見事に練り込まれた粋な脚本に思わず唸らされる。そして台詞の陰に隠れた心の機微を、俳優陣の繊細な表情と幽玄な夜の情景が伝えて、強く心を揺さぶられる。
映像的にはカメラがハディージャの移動に合わせてゆっくりと動きながら追いかける長回しのカットと、固定のカメラで短く刻むカット、固定のままの長回しのカットがあって、それらが絶妙なバランスで組み合わさっている。時折そこに深夜の街の色鮮やかな光を16mmフィルムで捉えた美しいイメージカットが挿入され、全体で独特のリズムを生み出していて心地良い。音楽はたまに流れてくるクラシック・ギターのシンプルでオーガニックな響きが抒情性を湛え、音響面の素晴らしさと相俟って登場人物の、そして観ている我々の孤独な部分と静かに共鳴する。また夜の闇の中に微かに聞こえてくる鳥のさえずりは、まるで森の中にいるようなスピリチュアルで不思議な空気を醸し出す。
また本作は、ブリュッセルの街自体が登場人物だとも言えるだろう。人口の30%以上が異なる文化背景を持つ移民で多言語・多文化が共生するベルギーを、様々な人種の登場人物たちが体現している。そんな状況の下で他人同士が繋がりを持つことの(難しさも含めた)尊さが、ハディージャが体験した一夜の出来事から伝わって、ささやかな、そしてとても大切な癒しを感じることが出来るだろう。
女性が主人公の冒険物語、という共通項がありながら、『哀れなるものたち』と『ゴースト・トロピック』は真逆の表現スタイルを採った正反対の映画だ。『哀れなるものたち』は上映時間が144分で、視点によって幾つかのテーマが見えて、物語も複雑だ。足し算の演出で、衝撃的で刺激的で挑発的な印象が残る。『ゴースト・トロピック』は上映時間が84分で、テーマも物語も演出もシンプルだが、シンプル故の強さや柔軟さと繊細な癒しがあり、鑑賞中の余白や鑑賞後の余韻も印象的だ。正反対とは言えど今の時代にこそ観るべき珠玉の2本なので、両作とも是非劇場に足を運んでその素晴らしさを味わって欲しい。そしてもし『ゴースト・トロピック』を気に入ったら、最新作の『Here』も是非!
(ラティーナ2024年1月)
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