[2022.7]【連載 アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い㉗】幾重にも情熱を歌い上げる - 《Eu sei que vou te amar》
文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura
名曲「Eu sei que vou te amar(君が好きになるとわかっている)」は、作詞家ヴィニシウス・ジ・モラエスが書いた愛の告白の歌詞で知られるゆったりとした歌で、1958年にジョビンとの共同作業で生まれました。最初は、翌59年に女性歌手レニータ・ブルーノのアルバムで録音。もともとこのアルバムは、タイトルがこの歌の締めのフレーズ「Por toda minha vida(一生の間ずっと)」となっており、「Eu sei que vou te amar」はB面の最初の曲で、A面最初には、アルバムタイトルと同じ「Por toda minha vida(我が生涯ずっと)」という名の、別な曲。それぞれが呼応する構造に配置されているものの、発売後は、B面側の「Eu sei que vou te amar」のほうが大きくヒットする展開となりました。
⇧レニータ・ブルーノの歌う「Eu sei que vou te amar」
その後、人気女性歌手のマイーザをはじめ、2007年までの時点で少なくとも24人の異なるアーティストがこの曲を録音したとされますが、ブラジルのファンの間で特に広く知られるようになったのは、1972年、女性歌手マリア・クレウザとギタリストのトッキーニョが、作詞者のヴィニシウスとの共演で出したアルバムです。クレウザのしっとりとした歌唱の合間に、ヴィニシウスが「何よりも、我が愛する人に意を向けよう」という一節で始まる美しい詩「Soneto de fidelidade(忠誠のソネット)」の朗読を挿入したこの録音は、爆発的人気を得て、今でもこの詩と歌のセットでお気に入りと語る、往年のファンがいます。
⇧クレウザの歌に詩の朗読を入れたバージョン。映像は、トッキーニョ、クレウザと共にこの歌を含む数々の人気曲で成功を収めたアルゼンチンでの公演のもので、もう50年前となる。ジョビンは、この公演に参加していない。
ヴィニシウスは80年に、ジョビンも94年には他界しますが、彼らがいなくなってから後も、数々のボサノヴァの名作と並んでこの歌の人気は高く、86年にはこの歌と同名の映画が制作され、主演したフェルナンダ・トーレスは、カンヌ映画祭で最優秀女優賞を受賞。更に、2014年になって、人気テレビドラマ「家族で(Em família)」のテーマソングに採用されるなど、実に多くのTVドラマや演劇において使用されています。
また、2007年、過去100年間のフランスの歌を扱うテレビの特別番組に出演したアンリ・サルヴァドールは、数あるフランスの曲ではなく、ジョルジュ・ムスタキが仏語歌詞でアレンジしたこの「Eu sei que vou te amar」が大きな成功を収めていると紹介。これは、大新聞のルモンドにおいても、「アンリの作品 Dans mon ile が、ジョビンを啓発し、ボサノヴァを誕生させた」など、過剰な想像話まで報じるなど、ハプニングもあったくらいです。
⇧アンリ・サルヴァドールが歌う仏語版の「Eu sei que vou te amar」。原曲は「私が君を好きになるとわかっている」という意味なのに対し、仏語版では、「Tu sais je vais t'aimer(君は、私が君を好きになるとわかっている)」と、主語が取り替えられています。
歌は、ほぼ同じ形式をとるフレーズが、調を変えながら何度も繰り返し歌われる流れで進み、同時に、各フレーズの冒頭には毎度「Eu sei que(私は……だとわかっている)」という台詞が付された格好で、反復されていきます。熱情たっぷりの恋の言葉が、何度も重ね塗りされていく展開は、「君を好きになること」も、あるいは「僕が泣くであろうこと」も、「もう僕にはわかっているのだ」と、自分の気持ちに対する確信や意志を強調する効果があり、歌の主人公が恋にとことんはまり、運命に身を委ねていることを思い浮かべさせます。また、前半は「好きになる」ことを歌っておきながら、後半のサイクルでは「苦しむ」と歌っており、ますます宿命感を漂わせる演出。少し暗い印象ですが、歌が生まれた50年代後半までのブラジルの伝統的歌謡曲には、そうした色彩の歌が少なくありません。
なお、この作品については、曲を練るジョビンも、ヴィニシウスの歌詞制作と同時並行で一緒に座って作業したと伝えられており、情熱的な言葉に対応する音の流れをつぶさに相談しながら追求したと想像することもできます。更に、いわゆるボサノヴァでよく知られるようになった複雑な和声やリズムとは異なり、この曲では伝統的でシンプルでありながらも、効果的なメロディー。大きな流行の風が吹いたボサノヴァになんら劣ることなく、ジョビンが残したもう1つの確固としたスタイルがこれであり、廃れない名曲の一群を成していると言えます。
なお、歌の前半のメロディーが、米国の Arthur Schwaltz が1931年に作ったとされる「Dancing in the Dark」という曲によく似ているといった指摘も存在します。アレンジと雰囲気はかなり異なりますが、ジョビンは何かヒントを得ていたのかもしれません。
⇧トニー・ベネットが歌った Arthur Schwaltz の「Dancing in the Dark」 。15秒目あたりからのメロディーに注目。
私がブラジルで生活した時代に聴くことのできたジョビンの演奏で、これぞ最高と感じたものの1つは、晩年の92年、ブラジルで主流の生ビール「ブラーマ」のTVコマーシャルにジョビンが登場し、ピアノの天板には、80年にこの世を去った盟友ヴィニシウスのありし日の姿が映し出されるというクリップでした。
コマーシャルの冒頭で、ジョビンは、「敬愛なる我が詩人よ、君にここに来てもらい、本物の生ビールを酌み交わし、そして(イパネマの)娘が通り過ぎるのを見たい」と語りながら、「Eu sei que vou te amar」を歌い出します。美しいリオの海と風景が流れ、いつの間にか隣に出現した故人ヴィニシウスとジョビンがグラスを合わせるとき、この黄金のコンビの絶世の時が蘇ったかのように感じ、ぞくぞくするものがありました。
⇧当時のブラーマのTVコマーシャル。亡きヴィニシウスの姿がピアノの上に浮かびあがり、ジョビンと乾杯する一瞬は、多くのブラジル人ファンの心にも染み入るものとなった。
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