[2011.03] 特集:ウルグアイ音楽 ─ Música Popular Uruguaya (MPU)の広がり
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[2011.03] 特集:ウルグアイ音楽 ─ Música Popular Uruguaya (MPU)の広がり

e-magazine LATINA

文●西村秀人 写真●谷本雅世
texto por HIDETO NISHIMURA / fotos por MASAYO TANIMOTO

文中にあるCD30選は、以下のリンクよりご覧いただけます。(編集部)

◆エドゥアルド・マテオ以降の流れ

 ビートルズとボサノヴァの波をヒントにしたウルグアイ音楽の新たな流れはエドゥアルド・マテオのオリジナリティあふれる音楽によって、より大きな可能性を開かれることになる。その流れにもう一つ影響を与えるのが1970年代のラテンアメリカ全体を覆った〝新しい歌〟である。非常に単純化していってしまえば、この2つの流れにロックの影響を加える形で1970〜90年代を代表する多くのウルグアイのアーティストの地図は形成されている。またそこに軍事政権も大きな影を落としている。特にその初期においては社会性を持った歌が規制され、アーティスト活動そのものにも暗い影を落とした。その中でウルグアイ国外に出たアーティストも多いが、そのことがその後のウルグアイ音楽に新たな要素を持ち込むきっかけになったということも一面では言えるだろう。

 当のマテオはエル・キントを1970年まで続け、以後はソロ活動に入り、1971年に最高傑作と目される『マテオ・ソロ・ビエン・セ・ラメ』、1976年にホルヘ・トラサンテとの『マテオ・イ・トラサンテ』(Sondor 4047-2)、1984年『クエルポ・イ・アルマ』(La Vida Lenta Discos #04)、1987年『マル・ティエンポ・ソブレ・アルケミア』(Ayuí PD2003)など多くの傑作を残すが、1990年、貧困のうちに世を去る。しかし死後その評価は高まり、個人録音などが陽の目を見たり、さまざまなアーティストによる作品集が出されたりしたし、2007年にはマテオのさまざまな録音をコラージュしリミックスを施した『レメスクラシオン』(Sondor 8301-2)という異色の試みまで登場している。

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『マテオ・イ・トラサンテ』
(Sondor 4047-2)

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『レメスクラシオン』
(Sondor 8301-2)

 一方エル・キントのメンバーだったワルテル・カンボンとルイス・ソーサは別の2人のメンバーと共にリモナーダを結成、1970年にエル・キントの音楽の延長線上にあるといえるアルバム『リモナーダ』(P-VINE PCD-2663)を残すが、翌年には解散してしまう。他にも1970年代の前半にオハス、ミゲル・イ・エル・コミテ、ディアス・デ・ブルースなど新しいグループが登場するが、全体的にはよりハードなロックのスタイルを指向したグループが増えていき、1973年に軍事政権が成立すると、ロック系の音楽活動そのものがアンダーグラウンド化してしまう。多くはアルゼンチンや海外に活動の場を移していった。

 その状況に変化が見られるのは1970年代終わり。ハイメ・ロスについては先月号の記事を参照していただきたいが、海外での活動歴が音楽性に生かされている点は軍政期以降の世代特有の傾向と言える。

 アルゼンチンが主な活動場所だったが、ベト・サトラグニはロックからカンドンベを中心としたウルグアイ色を加えた音楽へスイッチしていった代表的な存在。1978年に結成された彼のバンド〈ライセス〉のアルバムはどれもアグレッシヴなカンドンベのビートがかっこよく、結成30周年記念盤(CD30選⑫)は名グループの復活を告げる素晴らしい内容だったが、2010年9月に惜しくも55歳の若さで世を去ってしまった。

 その時期の注目すべきアーティストのもう一人にピッポ・スペラがいる。彼の音楽にはブラジル音楽の要素が明確に入っている点が彼の個性の重要な要素となっている。1977年のデビュー・アルバム(CD30選⑪)にはアルベルト・マニョーネ、ホルヘ・トラサンテ、ルイス・ソーサといった強力メンバーが参加、1曲を除き自作という意欲作。その後も『林檎を包む青い絹の紙』(La seda azul del papel que envuelve la manzana)(1993〜94年録音と2004年録音のアルバムのカップリング、Perro Andaluz PA3560-2)、『アルギエン、サムワン』(米Amazone Records HTCD 33174-2)『エスセナリオ』(ホルヘ・トラサンテとのデュオ・アルバム、2003年のライヴ盤、Ayuí A/E 266CD)などをリリースしており、ブラジル音楽やブルースの要素を生かしつつ、マテオのラインを継承した音楽を続けたと言えるだろう。

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『エスセナリオ』
(Ayuí A/E 266CD)

 さらにその後の世代で重要なシンガーソングライターにフェルナンド・カブレラがいる。カエターノ・ヴェローゾにも通じる現代的な感覚を持った彼の曲は多くのアーティストに取りあげられている。1977年にモントレスビデオというトリオのユニットでデビュー、1984年からソロ活動を開始、1987年にはエドゥアルド・マテオとのライヴ・アルバム『マテオ&カブレラ』(Ayuí A/E 231CD) を発表、以後も順調に活動を続け、総計でアルバムは15枚に及ぶ。近年はどことなく神経質さと不安定さが目立つ気もするが、最新作『カンシオネス・プロピアス』(Ayuí A/E 358CD)には珍しく1曲も自作はなく、シタローサ、エストラミン、ディノ、マテオ、ラダなどの名曲をいつもよりロックっぽいアレンジで歌っている。

 先月号で紹介しているホルヘ・ドレクスレルの音楽もマテオ~カブレラのラインに連なるものと考えていいだろう。現在デビューアルバムからほとんどのCDを聞くことが出来、映像作品もあるので、現在のウルグアイ・ポピュラー音楽のアーティストとしては一番の知名度をもっているといえるだろう(DVD『エコ』にフェルナンド・カブレラがゲストで登場していることを思い出していただきたい)。弟のダニエル・ドレクスレルも、初期はお兄さんの音楽とあまりに近い感じだったが、近年の作品ではだいぶ方向性が変わってきており(CD30選⑮)、今後も期待が出来る。

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『カンシオネス・プロピアス』
(Ayuí A/E 358CD)

 もともとロック畑出身のホルヘ・ナセルがフォルクローレを中心としたルーツ指向をみせているのも興味深い。名手トト・メンデスをバックに迎えた『ミロンガス・デル・ケレール』(Barca SLC624)、アルゼンチンのアーティストを含むデュオ集『ドゥオス』(CD30選⑭)、いずれも現代性をたもちつつウルグアイ音楽のエッセンスが生かされた佳作である。

◆「新しい歌」の広がり

 シタローサやビグリエッティを先駆として、〝新しい歌〟の流れにもより大きな広がりが出てくる。1972年ガストン・シアルロことディノのファースト・アルバム『モンテビデオ・ブルース』(CD30選⑩)はまだブルースやロックの色を濃く残しているが、その後のディノのスタイルはより〝新しい歌〟の方向に近いものとなった。

 新しい歌の場合、重要なグループが多いことも特徴である。ルンボは後のソロ歌手として今も活躍するマウリシオ・ウバルとラウラ・カノウラがボーカルを担当し、グスタボ・リパがギターを担当していたグループ。1980年の傑作『夜を開けるために』(Para abrir la noche)は1982年の録音4曲を追加して1999年にCD化されている(Ayuí PD2001)。さらに2003年にはルンボ名義の全曲を収録した2枚組『ルンボ』(Ayuí A/E 229-230 CDE)も出ている。もう一つ重要なのはロス・ケ・イバン・カンタンドで、ホルヘ・ラサロフとホルヘ・ボナルディという重要なソロ歌手2人を輩出したグループ。1977年と1978年のアルバムを組み合わせた2枚組『ロス・ケ・イバン・カンタンド ウノ/ドス』(Los Que Iban Cantando - Uno / Dos) (Ayuí A/E 204CD)が出ている。アルゼンチン・フォルクローレの名曲も含め、より開かれたグループの個性を展開している。

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『ルンボ』
(Ayuí A/E 229-230 CDE) 

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『ロス・ケ・イバン・カンタンド ウノ/ドス』
(Ayuí A/E 204CD)

『ロス・ケ……』のボナルディと、『ルンボ』のリパら3人は1980年代から〈カンシオネス・パラ・ノ・ドルミール・ラ・シエスタ〉に参加する。このグループは1975年結成で1990年まで活動、全体の指揮をとったのはオラシオ・ブスカグリア(マルティン・ブスカグリアの父)で、歴代メンバーにはスサーナ・ボッシュ、ハイメ・ロス、ピッポ・スペラ、ウルバーノ・モラエスらも在籍したことがあり、ウルグアイ・ポピュラー音楽における重要グループだが、CD化された音源は少ない。

 さらによりフォルクローレ寄りのアプローチをしているアーティストも多い。紙面の都合で詳しく触れられないが、エクトル・ヌマ・モラエス、エドゥアルド・ダルナウチャンス、エステバン・クリシクの作品は多くのアーティストが取りあげており、それぞれ評価の高いアルバムを出していることを記しておく。

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◆セッションの達人、インストゥルメンタリストたち

 1970年代のフュージョンの流行を背景に、広い経験を持つインスト指向のミュージシャンたちが登場、さまざまなアーティストのバックをつとめつつ、充実したインストゥルメンタル・ミュージックを展開しはじめる。

 ウーゴ・ファトルーソはその先駆的存在だ。ウーゴが弟のオスバルドらとアメリカで結成したフュージョンバンド〈オパ〉はウルグアイ本国のミュージシャンにも大きな影響を与えたし、帰国後も、ファトルーソ兄弟、ピッポ・スペラ、スサーナ・ボッシュ、ブラジルのマリア・デ・ファチマらによる1981年のバンド『バルカローラ』(Sondor S1025)、ウーゴの息子フランシスコを加えたトリオ・ファトルーソ、日本のヤヒロトモヒロとのドス・オリエンタレス、昨年初来日を果たしたウーゴ・ファトルーソとレイ・タンボールなど多彩な活動を展開しているのはよく知られている通り。

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『バルカローラ』
(Sondor S1025)

 同じピアニストでは、数々の歌手などのバックを担当してきたアルベルト・マニョーネも優れた存在。唯一の自己名義のアルバム『キミカ』(Química)(Sondor 8183-2)は充実の内容。アンドレス&マルティンのイバルブル兄弟、バンドネオンのネストル・バスを擁し、タンゴ、フォルクローレ、ジャズを巧みに組み合わせたユニークなインストゥルメンタルを展開している。

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『キミカ』
(Sondor 8183-2)

 アルベルト・ミケ・ドグリオッティはオルガンと太鼓隊のみによるカンドンベの器楽演奏名曲集を多数残したことで知られるが、基本的には万能タイプのジャズ〜ラウンジ系のアーティストである。海外での活動も多かったため、国内にとどまったアーティストとの交流は限られた面があるようだが、残されたカンドンベのアルバム4枚は確かに面白い。その内2枚をカップリングしシングル曲を追加したVampisoul盤が発売されている(CD30選⑳)。

 珍しくベーシストでリーダー作を発表しているアーティストが多いのもウルグアイの特徴といえるかもしれない。ポポ・ロマーノは多くの重要作にサポートとして参加、自己のアルバムも1998年、2003年、2005年、2009年(CD30選㉑)と4枚を発表している。ウルグアイ色をしっかり感じさせる良質のインストゥルメンタル・ミュージックを地道に続けている。

 アルゼンチンでの活動も長いダニエル・マサも見た目通りのパワフルなベーシスト。オスバルド・ファトルーソ、アベル・ロガンティーニとのジャジィなトリオで長くレギュラー活動を続けており、2003年(CD30選㉒)、2005年、2007年とアルバムを発表、最新作『デ・フェリア』(Los Años Luz LAL091)では、メンバーは異なるが、ムーディーなボーカルも聞かせている。

 この他にもニコラス・モラ(ギター)、グスタボ・エチェニケ(ドラム)、アンドレス・インバルブル(ベース)、ニコラス・イバルブル(ギター、ボーカル)、マルティン・イバルブル(パーカッション、ドラム)、レオナルド・アムエド(ギター)、ホルヘ・トラサンテ(パーカッション)、チチート・カブラル(パーカッション)など素晴らしい名盤のバックをつとめつつ、インストゥルメンタルのセッションに長けた名手たちがたくさんいる。

◆ウルグアイの歌姫たち

 ウルグアイ音楽ではなぜか全体として女性歌手の割合が少ないように思われる。フォルクローレのアマリア・デ・ラ・ベガ(ウルグアイ版スーマ・パス)、カンドンベのラグリマ・リオスは別格だが、近年も優れた歌手たちが活躍している。前述した〈ルンボ〉出身のラウラ・カノウラは1985年にソロ・デビュー、ハイメ・ロスのプロデュースでウルグアイの新しい歌の流れに属する作曲家の作品を中心にしていたが、1998年に(おそらくプロデューサーの移籍に伴ったためと思うが)チリのワーナー・ミュージック専属となった頃からより大きなマーケットを見据えた制作方針となり、ボレロ集、タンゴ集、自作自演集、ライヴ盤などより方向性の明確なアルバム作りを続けている。

 アルゼンチン・メロペアに残したオスバルド・ファトルーソ=レオナルド・アムエド=マリアーア・インゴルドのコンビによる2枚のアルバム『タ』(Melopea CDMSE-5035)、『タ 第2集』(同 CDMSE5180、CD30選⑬)で知られるマリアーナ・インゴルドはなかなかの実力派。初期の作品である1985年と1986年のアルバムをカップリングした『それは昨日のこと』(Fue ayer) (Ayuí PD2016)、1991年の『ディスコ・キッド』(オスバルドとの2人名義)(Melopea CDSMI-002)などがあり、最新作は2000年制作の『響きの宇宙』(El planeta sonoro) (Aldeas Infantiles SOS 3057-2)で、子供向けの自作曲を集めたアルバム。いずれもオスバルド・ファトルーソのバックアップを得た充実の内容だ(2人は夫婦だったが、現在は別れている)。他にも前述のピアニスト、アルベルト・マニョーネの妹エステラ・マニョーネ、ロック色の強いサマンサ・ナバロ、鋭い現代性を持ったロサーナ・タデイ、ルベン・ラダの子飼いグループである女性四重唱ラ・オトラ、そのラ・オトラのメンバーでソロ活動も行っているアナ・プラダ(CD30選⑲)とサラ・サバなど、多様な活動を見せる女性歌手たちがいる。

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『響きの宇宙』
(Aldeas Infantiles SOS 3057-2)

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〈ロサーナ・タデイ〉

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〈サマンサ・ナバロ〉

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◆その他の局面~これからの展望

 ここではロック系は専門外なので除いているが、毎年ビール会社ピルセンの提供によるロック・フェスティバルはアルゼンチンからの多数のアーティストや観光客を呼び寄せており、その盛り上がりは年々膨らんでいるように見える。

 トロピカル系にも言及していないが、古くはラテン・スタイルのカンドンベで人気を得た作曲家でトランペット奏者のペドリート・フェレイラ、クンビア系の〈カリべ・コン・カー〉、2000年代には〈ラ・パンディージャ〉〈キエン?〉などウルグアイ出身の人気グループがちゃんとあり、大衆的な人気を得ている。

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〈カリべ・コン・カー〉

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〈キエン?〉

 非常に変り種としては、伝統的なケルト・ミュージックで活動する一家ロス・カサルがいる。これまでに少なくとも2枚のアルバムを出しているが、それぞれ1曲ずつムルガやカンドンベのタンボールを加える試みを行っており、興味深い。

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〈ロス・カサル〉

 ウルグアイという国のマーケットが小さいという問題は半永久的に変わらないので、今後もいかに外向きの要素を保ちつつ、ウルグアイらしさを表現できていくのか、ということに焦点があるのではないかと思う。海外で活躍するウルグアイのアーティストの数も多く、どんな音楽でも出来る「器用な」ミュージシャンという部分も発揮しつつ、逆にウルグアイのリズムを外の分野に浸透させていくことも増えていくはずだ。良くも悪くも小さな国の規模のせいでグローバリゼーションの波をまともに受けていないところもポイントだし、近年アルゼンチンと距離を置き、ブラジルとの経済関係を深めている点も今後の展開に影響を与えるかもしれない。

(月刊ラティーナ2011年3月号掲載)

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