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【追悼】アルゼンチンはもちろん、世界に讃えられたタンゴ歌手 阿保郁夫さんを偲んで

文●飯塚久夫(日本アルゼンチンタンゴ連盟、日本タンゴアカデミー 会長) 

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 去る9月1日、日本を代表するタンゴ歌手、阿保郁夫が他界した。1937年4月20日生まれ、84歳だった。

 1961年、NHK「歌の広場」でタンゴ歌手としてデビュー。64年2月には藤沢嵐子、早川真平とオルケスタ・ティピカ東京(47年麹町“クラブ・エスカイヤ”で結成)とともにアルゼンチン始め中南米7カ国で9ヶ月にわたり公演、アルゼンチンで2枚、ペルー、エクアドル、コロンビアで各1枚のLPを録音した。
 66年11月、坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア(57年上野“金馬車会館”出演開始)とともにアルゼンチン、アメリカ(ニューヨーク、マイアミ)、スペインの1年半(68年5月帰国)に及ぶ演奏旅行を行った。この時もアメリカ2枚、ベネズエラ、スペイン各1枚のLPを録音した。
 75年からはプロデューサーとしてもタンゴ、フォルクローレのレコード制作に携わった。来日したチェロ奏者リカルド・フランシア(59年来日)、バンドネオン奏者フェルナンド・テル(60年来日)とも親交があった。

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海外公演の様子(中央で着物で歌っているのが阿保郁夫)

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坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア「Tangos」(マイアミ盤)

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坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア
「シャトーマドリード(ニューヨーク)」

 私が阿保さんと知り合ったのは1955年(昭和30年)設立のタンゴ愛好会SUIYOKAIで、72年のことである。当時のSUIYOKAIには「ラティーナ」の前身「中南米音楽」社長の故中西義郎氏の厚意で、来日アーティストが必ず来訪してくれ、阿保さんを交えて歓談することも多かった。阿保さんのスペイン語が見事であることにも感心した。阿保さんは実際には気難しい人という話もあるが、当時、私は仙台から東京の大学に移ったばかりの若輩で、彼は東北地方の出身(青森県弘前市)ということもあってか、親しく話してくれた。歌も然りだが、会話の口調もとても優しく温かく、話し出すと尽きないほど話題に事欠かず、タンゴのエッセンス(時には彼の信念)を語ってくれた。故郷への想い(それは若き日の辛い想い出もあったのか?)とタンゴの本質を重ねていたのか、ノスタルジーを感じさせる風情もあった。

 彼がデビューした頃は、日本タンゴ界は早川真平という親分マエストロの下、既に大歌手となった藤沢嵐子がおり、53、54、56年訪亜を経てブエノスアイレスでもRANKOの名前を知らない人はいないというほどの時期であった。そうした中で阿保さんの苦労と努力は想像を絶するほどであったろうと思われる。しかし嵐子と並んで阿保も現地の人たちから賞賛されることになる。64年訪亜時にはアルゼンチン作詞作曲家協会(SADAIC)から特別顕彰を受けた。2回目の海外巡演時、スペインでは阿保の歌う「健康とお金と恋」が大ヒットし、マイアミでは「キューバに帰るとき」を聴いて亡命キューバ人たちは感涙にむせんだ。

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早川真平とオルケスタ・ティピカ東京
「TANGO EN KIMONO」

 これらの貴重な録音は今日でもyoutubeなどで聴くことが出来る。1回目訪亜時アルゼンチンでも空前のヒットとなった「上を向いて歩こう」をアレンジした「SUKIYAKI」や「TANGO EN KIMONO」LP収録曲、海外2回目のマイアミ録音で名唱「最後の盃」やニューヨークの“シャトー・マドリード”録音などである。71年には日本では初のLP「タンゴの魂」を坂本政一伴奏で録音、「笑えピエロ」や「健康とお金と恋」の名唱を残した。

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『タンゴの魂』(1971年)

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『明日は船出』(1998年)

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『風のタンゴ』(2001年)

 晩年になって98年にはCD「明日は船出」を、2001年にはNHK金曜時代劇「山田風太郎からくり事件帖」主題歌「風のタンゴ」をリリース。このCDのコメントで阿保自身が『声の衰えとそれに因る感情表現のもどかしさ、滑舌の悪さには忸怩たる思いを隠さないが、歌詞に60年の自らの人生の断片を折り込んで深く歌えた…ベスト録音』と語っている。この言葉に象徴されるように阿保はタンゴの歌(歌詞)について心底から熱い思いを有していた。

 詞のスペイン語を徹底的に大事にし、その響きと感情表現をつき詰めた。甘めの声質と相俟って、深い情感を湛えた稀代の歌手であった。最晩年はタンゴ教室での歌唱指導を続け、コロナ禍に入る直前、生徒たちが病院にお見舞いに行った際は、玄関まで出てきて送ってくれたそうだ。阿保さんの優しい気遣いをそんなところにも感じさせる。

 どうか安らかにお眠り下さい。合掌。


(ラティーナ2021年9月)


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