[2024.12]ブラジル新世代の中軸として注目される存在〜チン・ベルナルデス Tim Bernardes〜来日インタビュー
文:中原 仁
2023年11月、ソロで初来日して「FESTIVAL de FRUE 2023」に出演、ギターとピアノの弾き語りで美しい歌声とソングライターとしての実力を披露した、チン・ベルナルデス。2024年11月にはロック・トリオ、オ・テルノを率いて再来日し「FESTIVAL de FRUE 2024」に出演。結成15年のオ・テルノの “活動停止前の最後のコンサートツアーとしての初来日” となった。
チン・ベルナルデスが2017年に発表したファースト・ソロ『ヘコメサール(Recomeçar)』は「2018年ブラジル・ディスク大賞」8位にランクイン。オ・テルノの、デヴェンドラ・バンハートや坂本慎太郎との共演を含む『アトラス・アレン(atrás/além)』は「2019年ブラジル・ディスク大賞」9位(関係者投票6位)にランクイン。2022年のセカンド・ソロ『ミル・コイザス・インヴィジーヴェイス(Mill Coisas Invisíveis)』も、ディスク大賞へのランクインは逃したものの好評で、チンはここ数年、日本でもブラジル新世代の中軸として大いに注目される存在となっている。
このインタビューは、2023年の初来日時にFRUE主催者からの依頼を受けてリモートで行なったが事情で未公開となっていたインタビューと、2024年の来日時に対面で行なったインタビュー、この2本をミックスしたものだ。
── 音楽家マウリシオ・ペレイラ(Maurício Pereira)の息子である君の、幼い頃の音楽環境を話してくれる? 父から受けた影響も含めて。
チン・ベルナルデス(以下TB) 僕はとても音楽的な家庭で育った。父は家でさまざまな音楽を聴き、音楽の映像を見ていて、僕もそれらを見聞きしていた。ブラジルのフォルクローレからフランク・ザッパ、ローリング・ストーンズまで。6歳で音楽の勉強を始め、ピアノ、ギター、ベース、いろんな楽器を学んだ。でも実は、僕が初めて話した言葉が音楽だったんだよ。ママ、パパと声に出して言うよりも早く。「A Balada de Tim Bernardes」のミュージック・ヴィデオに、僕の子供の頃の体験や思い出を描いている。14歳でバンドを組み、プロフェッショナルな音楽活動を始めた頃に父の音楽を、息子としてではなく、聴き手としてあらためて聴き、好きになった。彼は僕をいろんなライヴに連れて行き、父のライヴでギターを弾かせてもらう機会もあった。父は個性的な作曲家でもあり、その点でも影響を受けた。ただ彼のスタイルは独自で、コピーできるものではなく、僕は自分のスタイルを探すようになった。
── 父の他に、君が音楽を始めた10代の頃に好きだった、影響を受けた音楽家は?
TB 14歳の時に聴いたオス・ムタンチスの音楽が僕の頭を開いた。以来、60年代のクリエイティヴな音楽を追い求めて聴き始めた。ムタンチス、ビートルズ、ストーンズ、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ミルトン・ナシメント、ガル・コスタ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ビーチ・ボーイスなど。60年代の音楽の曲想、美しいアレンジ、独特のサウンドに惹かれて、インターネットを通じて聴きまくったよ。
── 初めて聴いたオ・テルノのライヴでの、君のギタリストとしてのスキルの高さ、テクニックからエフェクト使いのセンスまで、素晴らしかった。君とギターとの関係について知りたい。
TB 僕が最初に手にした楽器がギターだったんだ。6歳で学び始め、大学でもギターを専攻した。ブラジルの60年代のサイケデリック・ロックが大好きだったので、オ・テルノを結成した頃の僕は、歌手やコンポーザーである前に何よりもまず、ロック・ギタリストだったんだ。その後、最近の僕はシンガー・ソングライターのキャラクターが強くなってきたけれど、オ・テルノではギタリストになれる。
── 好きだったギタリストは?
TB まず、ムタンチスのセルジオ・ヂアス。僕が日本に持ってきたギターは、ムタンチス・モデルなんだ。『トロピカリア(Tropicália ou Panis er Circencis)』のジャケットでセルジオが持っているギターと同じモデルだよ。ブラジルでもう一人、ガル・コスタ、ジルベルト・ジル、カエターノ・ヴェローゾなどと共演したラニー・ゴルヂン。セルジオとラニーは60年代のブラジルを代表するギタリストだ。海外では、クリームのメンバーだった頃のエリック・クラプトン。ジョン・レノンのギターの生々しい弾き方も、フランク・ザッパの奏法も大好きだった。
── 君が作編曲とプロデュースを行なってきたオ・テルノの音楽と、『ヘコメサール』以降の君のソロの音楽には違いがある?
TB オ・テルノはバンドであると共に、僕が作った曲を歌い演奏するプロジェクトだが、3人の友人が一緒に物事を決める。たとえば、僕の曲の中でどれが好きかといった選曲面、演奏に際しても、僕たちのアイデンティやイメージを通じてアレンジを決め、3人のパーソナリティを大切にしている。でも、バンドもソロも僕がディレクションしているから類似性があり、違いはそんなにない。
── 初めて聴いたオ・テルノのライヴがとても素晴らしかったので、活動停止は残念だ。活動停止の動機は?
TB 僕たちはほぼ15年、一緒に活動してきた。4枚のアルバムを作り、この10年間ずっとツアーもやってきた。コロナのパンデミックが起こる少し前から、僕たちは個々のプロジェクトにかかわるようになった。ビエル(Gabriel Basile :ドラムス)はプロデュースを始め、ギー(Guilherme D'Almeida:ベース)は他のバンドでも演奏し、僕はソロ活動を始めた。ひとつのサイクルが終わったことを感じて、テルノの活動を休むことを決め、今年は最後のツアーを組んだ。日本の後、ポルトガルでの2回のショーで終わる。この先どうなるかは分からないけれど、僕たちは親友で、今でも一緒に演奏することが大好きだ。ただ、義務感で続けることはせず、心の意向を大切にしたい。そうそう、活動停止の前に3人で日本に来て演奏できたのは、本当に嬉しいよ!
── 初期のオ・テルノと、現在のオ・テルノや君のソロを聴き比べると、昔に比べてファルセットで歌う曲が増えてきた。その理由は?
TB オ・テルノを始めた17、18歳の頃、バンドはもっとロックンロールだったし、僕も歌手である前にギタリストだった。その後、オ・テルノのサード・アルバムを作る頃、僕は自分の能力や歌い方を見つけ、ソロ・アルバムでは、自分の声のスペースを広げ、歌手としての広がりを見出した。オ・テルノの『アトラス・アレン』や2枚目のソロ『ミル・コイザス・インヴィジーヴェイス』での僕は、より歌手としての深みを目指した。特別なヴォイス・トレーニングはしてないけどね。
── 『ミル・コイザス・インヴィジーヴェイス』。“無数の見えないもの” という意味のタイトルがとても想像力を刺激する。どんな思い、目的で、このタイトルをつけた?
TB このアルバムの曲には、実存主義、形而上学、スピリチュアルといった要素があって反射しあっている。『ヘコメサール』は映画的でロマンチックだったけれど、新しいアルバムは論文の書籍と言える。ポップなラヴソングも入っているけれど、哲学的な面が強い。
── 「ベレーザ・エテルナ(Beleza Eterna)」のコーラスに、ゼー・イバーハとドラ・モレレンバウムを呼んだ動機は? また、君は彼らのバンド、バーラ・デゼージョのアルバム『SIM SIM SIM』の収録曲「ネッシ・ソファ(Nesse Sofa)」に参加してギターを弾いた。どちらの曲の録音が先だった?
TB ほとんど同時期だった。僕は彼らを数年前から知っていて、彼らの歌声が大好きだったんだ。ゼーとドラは、最近の歌手の中で最も洗練された、珍しい声の持ち主で、「ベレーザ・エテルナ」のコーラスに彼らの声を迎えたいと思った。歌う2人の天使だね(笑)。同じ頃、彼らもバーラ・デゼージョのレコーディングの最終段階を迎えていた。60年代のトロピカーリア的なギターを入れたいと思って僕を呼んだ。バーラ・デゼージョのアルバムは大好きで、彼らとはよく会って一緒に演奏もしている。彼らは僕よりちょっと下の世代で、近年のブラジルの新しい音楽の潮流を代表する存在だ。
── バーラ・デゼージョの他、フーベルのアルバムで君は「アス・パラーヴラス(As palavras)」を共作、デュエットした。近い世代のブラジルの音楽家との交流について聞きたい。
TB 大勢、好きな音楽家がいる。中でもアナ・フランゴ・エレトリコ。さっき言った、ゼー・イバーハ、ドラ・モレレンバウム。ブルーノ・ベルリは新世代の素晴らしいコンポーザーだ。僕の弟、シコ・ベルナルデスもとても興味深い。ソフィア・シャブラウも素晴らしい。フーベルは、現在のブラジルで最も興味深いコンポーザーだ。彼と初めて共演したのはガル・コスタの生涯最後のショーで、それ以来、親密な関係になった。最近のブラジルでは興味深い音楽家、バンドが次々に登場している。それと僕は、今でも60〜70年代のブラジル音楽をよく聴いてる。この時代のブラジル音楽はとても豊かで、聴けば聴くほど発見があるんだ。
── ミルトン・ナシメントとエスペランサ・スポルディングの『ミルトン+エスペランサ』収録曲「パネール航空の記憶(Saudade dos Avião da Panair)」のコーラスに参加した経緯は?
TB クレイジーなヒストリーなんだ。バッドバッドノットグッド(注:カナダのジャズ系バンド。チンとの共演曲「Poeira Cosmica」がある)がブラジルに来て、ミルトンに会いたいというのでマネージャーにコンタクトして、ミルトンの家でのシュハスコに連れて行った。家に行ったらエスペランサがいて、ミルトンとレコーディング中だという。で、ギターを弾いて歌っていたら、彼女が「あなたもレコーディングに参加して」と言い、僕は別のフロアーの部屋に行って歌ったんだ。バッドバッドノットグッドがシュハスコを食べている時にね(笑)。その席にはアルトゥール・ヴェロカイもいた。クレイジーだよね。
── 近年、目立っている海外の音楽家との交流について。君がショーのオープニング・アクトをつとめたアメリカのバンド、フリート・フォクシーズ(Fleet Foxes)との出会い、USAでのショーの印象は?
TB 僕はフリート・フォクシーズのファンだったんだ。彼らも僕やオ・テルノのアルバムを気に入って、最初にインスタグラムで会話した。2020年、彼らのアルバ『Shore』のレコーディングに招かれて1曲、ポルトガル語でコーラスした(注:「Going-to-the-Sun Road」)。そして彼らのUSAツアー、17公演でオープニング・アクトをつとめることになった。アメリカでのライヴは素晴らしい体験で、デヴェンドラ・バンハートと知り合ったのもアメリカだった。インディー・ロックの歌のシーンから、とてもインスパイアされたよ。
── イギリスのシンガー・ソングライター、リアナ・フローレス(Liana Flores。イギリスとブラジルのダブル・アイデンティティ)のメジャー・デビュー盤『フラワー・オブ・ザ・ソウル』の中の曲「バタフライズ」に参加するまでのストーリーは?
TB インターネットでリアナの音楽を知って、インターネットでコンタクトしていた。僕がロンドンで行なったショーを彼女が聴きにきて知り合った。昨年、僕がロサンゼルスに行った時、彼女がノア・ジョージソンのプロデュースでレコーディングしていて、僕が呼ばれてギターを弾き、歌うことになった。とても良かったよ。
── オ・テルノの「ヴォルタ・イ・メイア(Volta e meia)」に、デヴェンドラ・バンハートと共にゲスト参加した坂本慎太郎とは、ドイツのフェスティヴァルで知り合ったと聞いている。彼の音楽の印象は?
TB 僕は坂本慎太郎が大好きだ。彼のミュージック・ヴィデオをたくさん見て夢中になった。ドイツのフェスティヴァルでお互いのライヴを聴いて、デヴェンドラのライヴも聴いて、慎太郎とデヴェンドラも互いに大好きになった。そんな自然な出会いから、オ・テルノのアルバムに2人を呼ぶことにしたんだ。「FESTIVAL de FRUE 2024」での慎太郎のライヴは、とてつもなく素晴らしく、フェスティバルの中でいちばん好きだったライヴだ。バンドも素晴らしく、必要最小限の音数で演奏する知恵を備えていた。例えるなら、坐禅のような、、、“坐禅ロック”だね(笑)。
── 最後に、今後のプランは?
TB 2年間、『ミル・コイザス・インヴィジーヴェイス』のツアーをやってきて、その間にたくさん新曲を作った。なので来年はライヴを減らして、スタジオに入ってレコーディングする。次のアルバムに向けて気持ちが盛り上がってるよ。
(Colaboração : FRUE, Angela Nozaki, Miharu Matsuhashi)
(ラティーナ2024年12月)
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