見出し画像

[2021.09]【連載 アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い ⑦】ボサノヴァ序曲を練習したアパートの回想 - 「ジョビンへの手紙」とその返書 《Carta ao Tom》 &《Carta do Tom》

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

 中村安志の大好評連載「シコ・ブアルキの作品との出会い」と「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」は、いずれもまだまだ続きます。基本的に交互に掲載していきますので、お楽しみ下さい。(編集部)
 本エントリーは、9/29(水)からは、有料定期購読会員の方が読める記事になります。定期購読はこちらから。

 ジョビンは、誕生した頃の自宅があったリオ市内中部チジュッカ地区から、幼少のうちに、比較的恵まれた南部の地域に移り、その後も何度か引越しを経験しました。コパカバーナから、更に南側のイパネマ方面の何箇所に住まいを構えましたが、1949年テレーザとの結婚後、1953年から62年まで暮らしたナシメント・シルヴァ通り107番地のアパートは、イパネマ海岸から4本裏に、海岸線と平行に走る物静かな一帯。イパネマ地区の背後に広がるロドリーゴ・フレイタスの池もすぐそこにあり、散歩先でもあったようです。

 74年、ジョビンが作ったメロディーの歌詞を多数書いた詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスは、「ナシメント・シルヴァ通り107番地、君(ジョビン)はエリゼッチに、あまりに溢れる愛(Canção do amor demais)という歌を教えていた……」と始まる歌を、トッキーニョ(ギター弾き語り)と一緒に作り、ジョビンに贈りました。

ジョビンへの手紙

 あの名曲「シェーガ・ジ・サウダージ(Chega de saudade)」を最初に世に出した女性歌手エリゼッチ・カルドーゾも、この同じアパートの別室の住人でした。1958年のボサノヴァ皮切りとなったこの曲が入ったアルバムのもう1曲である「Canção do amor demais」を、作者のジョビンがエリゼッチ・カルドーゾに教え込んでいた、その場所が、当時のジョビンの自宅だったのです。

 この歌は、ジョビンの部屋での思い出を語りつつ、「有名な僕たちのあの娘は、知るよしもなかった」と、イパネマの娘に言及したり、冒頭に名曲コルコヴァードのイントロを一部使うなど、ボサノヴァ全盛期を回顧する雰囲気をうまく引き出しています。

 エリゼッチのレコードを世に出そうとしていたあの頃の懐かしさ、その一方で、その後リオの街は曇がかかってしまったと、ちょっぴり寂しさも漏らすこの歌に対し、後年、「ジョビンからの返書」という形で替え歌が作られました。大部分は、作詞の名手シコ・ブアルキが書いたとされますが、「トン(ジョビン)からの手紙」と題されており、ライヴでもジョビン自身の声で披露され、聴衆の笑いと大喝采を得ているので、今回、ジョビンの作品の一部として紹介します。

ここから先は

1,766字 / 3画像

このマガジンを購読すると、世界の音楽情報誌「ラティーナ」が新たに発信する特集記事や連載記事に全てアクセスできます。「ラティーナ」の過去のアーカイブにもアクセス可能です。現在、2017年から2020年までの3.5年分のアーカイブのアップが完了しています。

「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…