[1981.09]リズムのなかの素顔—ラテン・リズムに魅せられた日本のミュージシャンたち ガット・ギター奏者 佐藤正美
この記事は中南米音楽1981年9月号に掲載されたものです。文章をそのままここに掲載しています。e-magazineLATINAの2021年2月号で紹介した「日本のラテン・シーンを紹介してきた人たち〜ブラジル編」の関連記事としてお読み下さい。なお、傑出したギタリスト佐藤正美さんは,2015年7月、病気でお亡くなりになって居ます。彼が敬愛したバーデン・パウエルと同じ63歳の生涯だったそうです。
文と写真:池上比沙之
最近になって “音楽関係” の職業というのは、一般社会においてはまっとう職業と思われていないという事実に気付きつつある。
音楽を演奏するのも、その裏で演奏の準備を整えるのも、また音楽について語ったり文章にしたりするのも、立派な天職だと思っていたのだが、どうやらそう思っているのは “音楽関係者” だけらしいのだ。
まず昼と夜が逆の生活がまずいらしい。演奏活動は主として夜間に行われるので、どうしても逆になっちまう。 聴き手は “いいなあ” なんて感想を言いながら家に帰って寝られるが “関係者” はそうもいかない。後片付けもあるし腹も減る。そして、次は “収入” の問題だ。一定でない。これが決定的にいけないらしい。演奏の機会は人気に比例する。“人気商売” は “水商売”。おまけに収入の時期がバラバラときては、まっとうな職業と思われなくてもやむをえない、というのが社会常識らしいのだ。いったいどうしたら、社会常識から認められる職業となるのだろうか。真剣に考えなくてはいけない問題だ。
この問題については、音楽関係者のひとりとして反省点も多々ある。ピアノを “ヤノピ”、ギターを “ターギ” などといって反省点も多々ある。5万円のことを関係者用語を用い “ゲーマン”などといってはいけない。できることなら新聞、雑誌、書物を読み、政治・経済にも関心を示し、社会の一員としての自覚を持って人々と接すれば、おのずとまっとうな職業人としての認知が下るのではなかろうか。
ギタリスト佐藤正美と初めて言葉を交わした時の印象は “ああ、こういうタイプのミュージシャンが多くなれば、音楽関係者の社会的地位も向上するだろうな” という種類の、さわやかなものであった。 社会的地位とは、決して大上段に振りかぶった “権威” とか、必要以上の"権力"を意味するものではない。事務員が淡々と書類を作り続け、商人が誠意を持って商品を売り続けて、おのれの生活を確保するのと同じように、自分の音を出し続けることが日々の生活を築き、人々がそれを認めるという意味での “地位” である。
「インタビューっていうから、いつ頃からギターを弾きはじめたとか、先生は誰、なんていうバイオグラフィーも答えなきゃいけないと思いまして
ね。考えたんですけど、思い出せないんですよ。なんとなくギターを弾きはじめて、独学で。まあ友人とテクニックについて語ったり、ほんのちょっと習いに行ったことはありますけど、そのう、何もないんですよ。だから、そんなこと聞かれたら困るなあって思いながら来たんです」
本当に素直な告白である。サンバを中心とするブラジル音楽が注目されつつあるいま、佐藤正美のアコースティック・ギターは、ようやくその意
味を正当に評価されようとしている。だが、彼の口からはなかなか “燃えるような希望”とか “スケールの大きな抱負” が飛び出してこないのだ。
「PAをフルに使うような会場じゃなくて、生の音が伝わるような小さいライブ・スポットでプレイしたいんです。でも、もっともっと勉強しなくちゃダメだと思ってます。自分のレコードですか? うーん、話はあるんですけど、名前の知られた人と一緒にとか、有名な曲を弾いてなんて条件がつくんで、ちょっとね。それでまだなんです。それに、もっと完全に自信がついてからじゃないと、ね」
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