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[2024.12]箏曲家 西 陽子『KOTO BRASIL』 〜構想10年!音楽文化を乗り越え、遂に完成した新作〜

文●曽山啓一

 箏(琴)、三味線、笛、胡弓などなど、和楽器は不思議な楽器だ。西洋の一定の音程を基準に、低音からハーモニー構造をもって構築されていく音楽とは、全く楽器の発想が違う。
 オーケストラ音楽の機能に合わせて楽器を進化させることがほとんどない。箏の調整をするのには、琴柱を用いる。ボディには弦が張ってあるのだが、琴柱と右端の長さを調整して音程を作っていく。演奏に際しては、右端と琴柱の間を爪ではじく。音程を上げるときは、押しと言って、左手で琴柱の左側の弦を押す。それによって張力は高められ、音程があがる。ギターのチョーキングのような奏法である。
 演奏の間は、琴柱は単にボディの上に乗せるだけ。固定されていない。従って、演奏中に琴柱は若干移動してしまう。おのずと音程は狂ってしまう。箏曲家は、これを演奏中直しながら演奏する。
 こんな不合理なことはない。一定の場所に固定しまうことによって音程のズレを少なくすることはできる。例えば、ギターやエレキベースのフレットのように。
 ギターはネジを取り付け調弦することによって、音程は安定する。しかし三味線の場合は、相変わらず木を打ち込んだだけの細い棒に糸を巻きつけ、ネジを使っており、固定はされていない。進化しないままである。演奏中も調弦するのだ。
 合理的な考えなら、固定するのが一番だ。しかし、箏や三味線にはこのような発想はない。この微妙に調弦のズレたままに、ちょくちょくと音程を直しながら演奏は進んでいく。このような聴覚の中で、古からの箏曲家は活動してきた。

 かつて日本を代表する盲目の箏曲家がいた。宮城道雄。彼は、人生の中で洋楽、西洋のオーケストラの演奏に出会う。近代の作曲家、ストラビンスキーやプロコフェエフなどなどの曲を聴き多大な影響を受けた。その音楽に近づくために、通常の箏は13弦だが、徐々に弦を増やし80弦という楽器までを自ら作り演奏した。ピアノは88弦であるが、西洋音楽のほとんどの音程をカバーできるまでに弦を増やしたのである。
 現在では、17弦、25弦などの箏もよく演奏される。宮城道雄の代表曲「瀬音」は17弦と、通常の箏13弦の合奏で演奏される。
 このように、洋楽の構造に近づくためにさまざまな方法を試行錯誤した宮城道雄であるが、オーケストラ音楽を初めて聴いた時、かような感想を述べている。

「きちんと調整されたオーケストラ音楽というのは、何となく耳に馴染まなかった。違和感があった。」

 古からの日本の音楽の美学の中で活動してきた日本の音楽家たちは、その微妙な調整の狂いをそのまま受け入れてきたのである。
 オーケストラは、Aという基音を例えば440Hzと定めそれに合わせてアンサンブルの調整をする。しかし、日本の古典音楽家たちは、歌い手を中心に、その日の体調、天候などによってこの基音を微妙に上げたり下げたりする。絶対的な基準ではなく、相対的な基準をその都度設けて演奏されてきた。このような音楽の特性を持つ和楽器を、西洋や他の国の音楽、楽器と共に演奏するのに非常な困難がつきまとうことは、容易に想像できるだろう。

 あえて、ここまでの和楽器について簡単に述べたのは、箏曲家、西 陽子さんの演奏が、この音楽文化の違いを越えて素晴らしいからだ。そして、この違いを馴染ませることがいかに至難の技であるか?というのを理解していただきたい。

 箏という、西洋の音楽文化の影響をうけた異文化の音楽と馴染ませるのが非常に難しい楽器を、ブラジル音楽という枠の中で、見事に解決、昇華させている。
 和楽器で洋楽を演奏する場合、とにかく既存の音楽を和楽器に置き換えて演奏しました、という場合がある。聴いた後「和楽器でとにかく演奏した」ということは納得いくのだが、音楽全体としてはその音楽性の中で、新たなアイデンティティを獲得した音楽になっていたのか? 疑問の残るものもある。

 単に、洋楽器のパートを和楽器に移し変えた。このような印象に終わってしまうものも多々ある。
 この点について、西 陽子さんのアルバム『KOTO BRASIL』は、入念なアレンジにより、異文化が溶け合った、聴き応えのある作品群になってる。以下、主だった曲の印象を述べてみよう。

・TICO TICO NO FUBÁ
 ショーロの名曲、軽やかさと、親しみやすさを持つ名曲。その持ち味を全く損なうことなく、爪のタッチで弾きあげてる。弦楽器については、ギターは南米音楽でもお馴染みの楽器だが、爪で弦を弾くという、ピックとも一味違った奏法により、より切れ味の良い音で音楽の楽しみを引き出した好例と言えるだろう。

・月夜の海
 西さんのオリジナル曲。沖縄の海からインスピレーションを得て優美なメロディーが生まれた。尺八でのメロディーが、さざなみの様な琴の波間から浮き上がる。どこか、ノスタルジックな想いを誘う。綺麗な水色の海を連想させる。和楽器の定番ともいえる、尺八と琴。近代邦楽曲の代表的アンサンブルに加えて、陰影を含むアレンジが、沖縄南国の海を思わせる光景を連想させる。更に時間と共に変化する光、昼間の太陽には無い、月光に煌めく波間。夜の静寂の中に生き物の鼓動のように蠕く水面の表情を捉えていく。同じ「海」を題材にしている宮城道雄の代表曲「春の海」に、ほどよく肉付けされたような素晴らしいアンサンブル。メロディーが色彩的で、曲想をカラフルに仕上げているのには驚嘆させられる。

・BAIÃO DE CINCO
 ブラジルのリズム、バイアォンが使われ、ダンサブルな5/4変拍子。それに親しみやすいメロディーが軽快にのっていく。参加しているサンフォーナ(アコーディオン)奏者のガブリエル・レヴィの作品。ラテンのみならず、現代のフュージョンミュージックを思わせるズッシリと腰が入り、なおかつ軽快な躍動感を現すベースライン。
 この上に、カラフルにアレンジされたメロディーが、ケーキのデコレーショントッピングのように、見るだけでも美味しそうな表情で現れる。すぐにでも覚えて、口ずさめるのではないかといえるシンプルだが、味わいの深いメロディー。西さんの箏の歯切れよさが、一段と映える。彼女の演奏の大きな魅力の一つは、このグルーブ感だ。複雑なリズムを軽々とこなし、なおかつリズムの楽しさまで伝わってくるグルーブ感。日本を離れてリズムの大陸、南米で過ごした時間が醸し出す邦楽のイメージには無い躍動。南米大陸ならではのハーモニー感覚を、たった17弦という制約の中で存分に、踊るが如く表し尽くしている。 
 箏曲家の爪のタッチをなんというのだろうか?ギターなら、ピッキングといえる。正に踊るような指の動きが目に浮かぶのだ。

・バラに降る雨
 ボサノヴァの創始者といわれるアントニオ・カルロス・ジョビンの名作。ジョビンの名盤を作り出したアメリカCTIレーベル『カルロス・ジョビン STONE FlOWER』にジョビン本人のアレンジ/演奏で収録されていたほど、彼には愛着のある曲なのかもしれない。ブラジル音楽なら、ボサノヴァからのこの選曲は当然とも言えるが、選んだ曲がこの難曲。ワルツなのだが、途中2拍子がはいる。しかも、ハーモニー構造は超複雑で、ピアノで弾くにも難易度が高い。
 17本の弦でどこまで再現できるのか? これを非常に絶妙なアレンジでやってのけている。独特の浮遊感を持ったメロディーが尺八で奏される。ブラジル人尺八奏者であり本作のプロデュースも担当したシェン・響盟・リベイロの腕前がとても素晴らしい!彼のプロフィールを確認したところ、1988年に東京藝術大学に籍を置き、尺八を後の人間国宝 故山口五郎氏に師事したという。納得の演奏だ。昨今、和楽器も世界に広く浸透して、外国人尺八奏者も優秀な人材が出てきた。彼もその1人と言えるだろう。
 メロディー、ハーモニー共に、非常に美しい作品だが、通常のエイトビートのボサノヴァではなく、ワルツというジョビンの中では異色作品。本作の中でも、印象に残る演奏である。

・カーニバルの朝
 映画『黒いオルフェ』の中の一曲。ルイス・ボンファ作曲。
 この映画では、前述のアントニオ・カルロス・ジョビンもサントラに参加していたが、結局この曲が親しまれるようになった。数多くの演奏が生まれ、アメリカでも特にジャズマンが盛んに取り上げていた。すっかり、ボサノヴァのスタンダードとなってしまった名曲。
 ここでも、充分なアレンジが施され、印象深い演奏になっている。

 主だった曲の感想を述べてきたが、全体に言えるのは、単に箏でさまざまな曲を演奏したという以上に箏の音色を活かした、新しいブラジルと和楽器の音楽になりきっているということだろう。
 和楽器を用いることによって、いわゆる和風の演奏、音色として片付けられるのではなく、箏が日本を離れて世界の中で慕われる弦楽器の一つとして、ユニークなサウンドを作りあげている、と言えよう。
 日本の横笛についても、同様のことが言える。オクターヴの奏法は、倍音を用いる。例えば最下部のG音を演奏し、そのオクターヴ上を奏するには、倍音を用いる。同様の指使いのままに、オクターヴの演奏をする。その際、西洋の楽器にあるオクターヴキイは無い。正確な倍音を得られるための構造を備えないままに今日に至っている。よって、オクターヴ上と下の音程のズレは唇によって調整する。カルとメルという音程を調整する奏法が存在し、このテクニックを用いる。琴と同様な和楽器の不合理性が見出せる。

 これら音楽文化の違いを乗り越えた作品とも言える。日本という世界の中の地方色を捨てて、一つの新たな弦楽器の魅力を充分に味わえる音楽として我々の耳を楽しませてくれたアルバム。
 ぜひとも、西 陽子さんの「琴 ブラジル(KOTO BRASIL)」の世界を堪能していただきたい。

曽山啓一◆プロフィール
2004年、ロックバンド「ばんどえんど」のピアニスト/笛吹きとしてユニバーサルミュージックよりメジャーデビュー。デビューマキシシングル「うどん」をリリース。その後、劇伴など様々なジャンルの音楽の演奏/作曲をして音楽活動を行い、篠笛などの和楽器と出会う。ジャズオーケストラでの笛演奏なども行う。東京藝術大学邦楽科の学生だった箏曲家たちと共演経験もあり、一通り和楽器を経験する。
テレビ朝日、土曜ワイド劇場、森村誠一の終着駅シリーズ「砂漠の喫茶店」で自作曲「4月のワルツ」を弾くピアニスト役で役者デビュー。
コロナ禍で、笛工房、曽山製作所を設立。及びYouTube活動、YouTubeでの演奏が、NHK-Worldにて世界1600国に1年間放送され、他三回出演。
YouTube:
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西 陽子『KOTO BRASIL』

西さんのコンサートが開催されます。ブラジルからもミュージシャンが来日します。生の箏の音をぜひ体感してください!
KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024
【日時】2024年12月17日(火) 18:30開場 19:00開演
【会場】
サントリーホール ブルーローズ (小ホール)
    住所:東京都港区赤坂1-13-1 TEL:03-3505-1001
【入場料金】
  全席自由席 前売り ¥4,000(税込) 当日 ¥5,000(税込)
【出演】
 西陽子(箏、十七弦)
 シェン・響盟・リベイロ (尺八、フルート)
 ガブリエル・レヴィ(アコーディオン、ピアノ)
 ネイマール・ヂアス(ブラジルギター、ベース)
 アリ・コラーレス(パーカッション)
 田嶌道生(ギター)
 栗山豊二(パーカッション)
【チケット取り扱い】
●チケットぴあ
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2434759
●サントリーホールチケットセンター
0570-55-0017 (10:00~18:00 年末年始・休館日を除く)
チケットはサントリーホールホームページからもお求めいただけます。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/
【お問合せ】
info@sinosnafloresta.com(鈴森)

(ラティーナ2024年12月)


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