[2023.9]悲報!アンデス音楽を運んでくれたマエストロ、レネ・カレアーガ逝く!
文●編集部
このところ、ラテン音楽の歴史を作ってきた大物音楽家たちの逝去の報せが多く、寂しい限り……。
と、今度は、1970年代の日本で、若い学生層から火がついて、長い間フォルクローレのブームを牽引してきた「コンドルカンキ」のレネ・カレアーガ(「コンドルカンキ」のリーダーで、チャランゴ奏者)が、現地時間9月18日15時52分逝去との報が届いた。
レネ・カレアーガ・メンドーサは1936年1月6日、ボリビアのラパスで生まれ、生後1カ月で父を、8歳で母を亡くした。生まれてまもなく孤児となったレネは、運命に抗い、アルゼンチンに渡り、音楽に全てをかけ、音楽で生きる道に邁進することになった。
日本でいわゆるアンデス音楽を爆発的にヒットさせ、日本中の若者が耳を傾けるようになったきっかけは、NHKの「世界の音楽」というTVで、あの大空に響くような高音で歌うクリスティーナとウーゴの歌声が爆発的な人気を得たことだった。そのクリスティーナが、EMI盤、PHILIPS盤で驚異的な売り上げを記録して、再び日本の土を踏むが、その頃のステージ作りや、バックの音楽家集め、選曲のアイデアなどを一手に引き受けたのがレネ・カレアーガだった。丁度その頃、ビクターから発売になった「ロス・ライカス」が評判になり「Amigo アミーゴ」と言う曲をヒットさせた。これがレネ・カレアーガの最大のヒット曲だった。自身の「コンドルカンキ」も、その後ビクターから発売され人気となり、以来、15回以上も日本の地を踏んでいる。
クリスティーナとウーゴが不運な交通事故で亡くなってからは、自分の子供たち、オマールとビビアーナを前面に立てて「ビビアーナとコンドルカンキ」として大活躍した。クリスティーナの子供についても自分の子供同様に育て、一時は同じステージに立たせたという話も聞いた。
タンゴのレオポルド・フェデリコとは日本のタンゴステージで共演して以来親交を深め、アルゼンチンでもよくステージやTVで共演してきた。アリエル・ラミレスの第二期「ミサ・クリオージャ」では、チャランゴ奏者として活躍した。
作曲家としても約1000曲も作り、最低でも150曲が録音されてきたという。その中には “Rebelión de ponchos(ポンチョの反乱)”(オラシオ・グアラニーによって録音)、ロス・テキスによって人気を博した “Los borrachos ロス・ボラーチョス”、おそらく彼の最大のヒット曲である “Amigoアミーゴ”、“Rio Cruel狂える川”、“No tiene usted razón 貴方は間違い”、“Mi tristeza y mi guitarra 我が悲しみとギター”などがある。
普段は優しい家庭人の顔も持ち合わせ、自宅では愛犬までチャランゴに合わせて歌わせる(吠えさせる)など芸を仕込んでいたが、実際の人間様の音楽レッスンはいつもとても激しいものだったそう。
長男のオマールと一緒に自宅に録音スタジオを作り、最初はフォルクローレ・アーティストたちに解放していたが、やがて、そのスタジオからラジオ・トゥパックも始めて、アンデス音楽全体の普及に努めてきた。
長いキャリアの中で受賞した賞には、サントス・アモーレス財団と民俗芸術協会から授与された「文化賞」、ユネスコから授与された「文化賞」などがある。
アンデス・フォルクローレの大功労者の逝去の報に、彼の元には世界中からメッセージが寄せられている。 合掌!
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