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【追悼】[2013.08]セルジオ・メンデス〜日本と築いた50年の友情を祝って〜

 セルジオ・メンデス(Sérgio Mendes 本名 : Sérgio Santos Mendes
1941年2月11日生まれ)が、2024年9月5日にアメリカ・ロサンジェルスで亡くなりました。83歳でした。
 1964年に初来日して以来、数えきれないくらい日本で公演されました。また来日するのを楽しみにしておられたファンの方は多くいることでしょう。それがもう叶わないということがとても残念です。

 本記事は、2013年8月号の月刊ラティーナに掲載された記事です。当時リリースされるアルバムのことを中心にインタビューした内容となっていますが、日本のことが大好きだったことがうかがえます。
 筆者の花田さんにご協力いただき、追悼の意を込めここに再掲致します。ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

文⚫︎花田勝暁

 1964年に初来日したセルジオ・メンデス。日本に足を踏み入れた日から日本のことが好きになり、来る度にその気持ちが強くなっているという。日本の食べ物も、日本の音楽も......。そんなセルジオ・メンデスのニューアルバムは日本のファンにとってこれ以上ないプレゼントとなる内容だ。日本の若い女性実力派歌手とのコラボレーションである(ただし、うち1曲は中国出身の女性歌手カレン・モクとのコラボレーション)。ポルトガル語、日本語、英語の名曲が、セルメン印の現代的なアレンジで生まれ変わっている。一体、このコラボレーションのアイデアはどこから来たのか?

「このアイデアは、 年前に考え始めた。日本に捧げるようなプロジェクトをやりたかったんだ。それに、ぼくが初めて日本に行ってコンサートをしてから 年を祝いたかった。日本はぼくが大好きな国で、こんなプロジェクトをやることをとっても面白いと思った。沢山の若い女性歌手を集めて、ブラジルの音楽だけじゃなく、日本の古い歌も録音できたら......プロジェクトのアイデアは、最初こんな風だった。それで、このアイデアを気に入ってくれた日本のユニバーサルと話合いが進んでいった。
 レパートリー選びのために、日本人のプロデューサーたちと数回ミーティングをして、その後、彼らはぼくが歌手を選び、歌手に声をかけられるように日本の女性歌手の音源を送ってくれた。選曲したり、歌手を選んだりするのはチームとしての共同作業だった。
 録音に関しては、ぼくは普段ロサンゼルスに住んでいるんだけど、ブラジルのリオでベースとなるトラックを録音しはじめた。というのも、トラックにブラジルの香り、ブラジルのフィーリングが必要だと思ったからだ。昨年の12月から今年の1月にかけて、クリスマスや新年をブラジルで過ごしながら、ぼくの友人のリミーニャのスタジオで録音した。こうして録音がはじ
まった。その後、ぼくが住んでいるロサンゼルスに戻って、録音を重ねていった。
 トラックが完成して、日本に女性Vo.の録音をしに向かった。その後のミックスはまたロサンゼルスで行った。」

—— プロデュースがカシンとミカ・ムチだという情報を目にしたんですが。

「いや、彼らはぼくと一緒にアレンジをした。アルバムのプロデューサーはぼく自身だ。カシンとは今回初めて一緒に仕事をした。ミカ・ムチとはこれまでも何度か仕事をしていて、ぼくのアルバムの『エンカント』や『ボン・テンポ』、それから映画『Rio』の音楽などで一緒に仕事をしてきている。彼らは本当にいい仕事をしてくれた」

——「上を向いて歩こう(作詞:永六輔、作曲:中村八大)」や「黄昏のビギン(作詞:永六輔・中村八大、作曲:中村八大)」を選んだのはどうしてですか?

「昔から知っていて、好きな曲だった。美しい曲だと思っていたし、ぼくが別の新しいアレンジで聴かせることができると思った。〈カーニヴァルの朝(作詞:アントニオ・マリア、作曲:ルイス・ボンファ)〉も古いよく知られた曲だけれど、この美しいメロディーに、オリジナルの録音にない現代性を加えたかった。」

—— トニーニョ・オルタの「オ・アモール・エ・プラ・シ・アマール」にはトニーニョ本人が参加していますね。

「トニーニョは友人で、ブラジルで最も素晴らしい作曲家の1人だと思っている。彼はブラジルでぼくのこの曲を聴かせて気に入っていた。今回このように録音できてとても嬉しい。トニーニョ・オルタは、フェイバリットな作曲家でありフェイバリットなギタリストである。」

—— この曲であなたは夏川りみとデュエットしていますね。

「バックグラウンドのコーラスをやっている曲もあるけれど、このアルバムでソロで歌っているのはこの曲だけだね」

——レパートリーの中で、ブラジルの若い女性シンガーソングライターのマリア・ガドゥの曲を選んでいますが ……。

「彼女もとても好きだ。このアルバムのレパートリーを考えたときに最初に頭に浮かんだのは、実はこの歌だった。とてもシンプルで美しいメロディーをもつ曲だ。マリア・ガドゥと 年前に知り合ったときにこの曲をいつか録音するって言っていたんだよ」

——「やさしく歌って」はあなたのキャリアの中で何度目かの録音になりますが、今回のバージョンはどうでしたか?

「ぼくはこの曲にはブラジル音楽の雰囲気があると思っている。ボサノヴァの曲のようだ。歌手のカレン・モクも素晴らしかったし、期待を超えるコラボレーションになった。
 アルバムの中でも特に気に入っているのは〈ウルチマ・バトゥカーダ(作詞・作曲:セバスチァゥン・ジョゼ・レポラセ、日本語詞:中納良恵)〉だ。 Vo. の中納良恵は、ポルトガル語でもとても上手に訛りなく歌ってくれた。作曲したセバスチァゥンは、ぼくの妻の父親で、1940年代に作られた伝統的なサンバだ(セルメンの妻は、歌手のグラシーニャ・レポラセ)。美しいメロディーを、ポルトガル語でもとても上手に歌い、ぼくにとってはまさにブラジルと日本の出会いと言えるような曲だ。
 それから、〈黄昏のビギン〉で、歌手のSumire はとてもいい歌を歌ってくれて、ぼくたちはこの曲でビデオクリップも作った。もちろんアルバムの中でも特に気に入っている。
 参加してくれた女性歌手の人たちと、ぼくはキャリアの中でも最も素晴らしい音楽的瞬間を体験できた。彼女たちは、曲に込められた、ブラジルの雰囲気も日本の雰囲気も、とても美しい方法で表現してくれた。完成したものにも心から満足している。ぼくのキャリアの中でも、本当に重要なアルバムになった」


—— 次のプロジェクトを考えはじめていますか?

「今のところないよ。ぼくはいつもその時の仕事に全力投球なんだよ(笑)」

—— 日本でのコンサートの予定はありますか?

「参加してくれた女性歌手を呼んで、コンサートがやれたらと思っていますが、まだ決まっていないよ。できたら素晴らしいね」

—— 日本のファンにメッセージはありますか?

「このアルバムを気にいってくれたらと思います。こういうアルバムは僕のキャリアでも唯一のものになるでしょう。今までのアルバムとは違います。才能ある女性歌手たちと、素晴らしい曲の、その魂をそのまま表現することができました。ツアーができることを期待していますし、コンサートでお会いできたらと思います」


 セルジオ・メンデスが初めて日本に来たのは1964年。薬品会社の Rhodia が行っていた、ブラジルの音楽とファッションをハイブリッドな形で紹介するプロジェクトで世界中を回っていた。当時のセルメンのバンドは、ベースのチアゥン・ネトに、ドラムのエヂソン・マシャードの3人。ヴォーカルで、ナラ・レオンも世界を一緒に回っていた……。それから50年が経過するのを目前に、今年の2月に72歳となった「世界のセルメン」が日本のことをこれほどまでに思い完成させたアルバム『ランデヴー』。彼と日本が50年の間に築き上げた友情に由来する愛に溢れた作品だ。

 ブラジル音楽を普段聴かない多くの人たちにもこのアルバムは届くだろう。このアルバムをきっかけにセルメンの過去の作品を聞き出したりして、そのまま色々な種類のブラジル音楽を聴くようになる人も沢山いたらなあ。しかも、今はブラジル開催のワールドカップが一年後に迫り、何かとブラジルが話題になっている時期。偶然か必然か、こういう時期にこういう仕掛けを作ってくれるなんて。世界のセルメン、やはり偉大なり!

(月刊ラティーナ2013年8月号掲載)






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