[2021.05]小松亮太インタビュー② アルバム『ピアソラ:バンドネオン協奏曲 他』編
文●吉村俊司
バンドネオン奏者・小松亮太氏へのインタビューの後編は、2021年5月5日発売の『ピアソラ:バンドネオン協奏曲 他』について。タイトル曲は2019年9月27、28日にすみだトリフォニーホールにてライブ録音されたもので、共演はミシェル・プラッソン指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団。巨匠ミシェル・プラッソンの音楽の作り方からタンゴのあり方、日一日と失われゆくものへの抗いまで、今回の話も熱い。
小松亮太『ピアソラ:バンドネオン協奏曲 他』2012年5月5日(水) 発売
https://ryotakomatsu.net/
3,300円(税込)SICC-30577 Blu-specCD2
【収録曲】
アストル・ピアソラ
バンドネオン協奏曲
①I. Allegro marcato
②II. Moderato
③III. Presto
④コルドバに捧ぐ
⑤AA印の悲しみ
⑥ロコへのバラード(藤沢嵐子ラスト・コンサートより)
小松亮太
⑦[ボーナス・トラック] 雨あがり~after the rain~●日本テレビ系「news every.」お天気コーナーテーマ曲
ミシェルさんがいるだけでみんな力が抜けて行く
―― 「バンドネオン協奏曲」はずっと前に、九重奏で録音したことがありましたね (注:2001年リリース『ラ・トランペーラ~うそつき女』に「バンドネオン・コンチェルト」として収録)。録音はあれ以来ですか?
小松亮太 コンフント・ヌエベ (アストル・ピアソラが1971~2年に率いていた九重奏団) っぽい編成にして無理やりやったことがありましたね。あれはあれで面白かったですけど。録音するのはその時以来ですが、これまでも時々オーケストラとあの曲を演奏する機会はありました。日本国内はもちろん、韓国をはじめ海外でもやりましたし。ただ今回は、指揮者がちょっと半端じゃない。でもある意味、今までに色々やったバンドネオン・コンチェルトの中でも割と楽だったかもしれません。オーケストラの人も指揮者の人も、細かいことを言わなくてもどんどん雰囲気が出来ていく感じでしたからね。
クラシックのオーケストラの指揮者っていうのはいろんなタイプの人がいて、事細かくオーケストラに指示して、だんだんしっかりした演奏にしていくっていう人もいるし、逆に究極的な人になると、棒振らなくてもいいんですよ。そこにその人がいるだけでなんだかこういう音がするっていう、ある種の超能力みたいな人って本当に居るのね、巨匠クラスの人になると。
ミシェルさんも、別に大して振らないんですよ。オーケストラが自分たちでいい感じで合わせられるようになるまで、ただぼーっと待ってるんです。自然に上手く行くのを狙って、自分は何となくその場の雰囲気を、顔とか、ちょっとした態度とか、そういうもので作っていくっていうタイプの人でした。同じ日の演目の、シャブリエの狂詩曲「スペイン」とベルリオーズの「幻想交響曲」のリハーサルも見てたんですけど、本当に細かいことを言わない。とにかくミシェルさんがいるだけで、みんな力が抜けていくんです。僕も初めてお会いするときは正直ちょっとビビってたんですけど、ご挨拶して一緒にいるだけでなんとなく力が抜けて行くんです。そんな感じで非常にうまくいきました。
ただ非常に老獪というか、ああこの人、レコーディングとかに相当慣れてる人だな、って思ったのは、ライブレコーディングという前提で1日目、2日目と演奏が終わって、第3楽章のある部分でどうもオーケストラがなかなか合いにくい部分があったんです。あそこはミシェルさんがもうちょっとかっきりタクトを振ってくれれば割とすぐ合うんだけどな、って思うところを、彼はふわーんってやって。ここのところは最後まで合わなかったな、ちょっと残念だったな、と思いながら二人でお辞儀してステージの袖に戻ってきたら、ミシェルさんが「第3楽章もう1回アンコールでやろうか」って言うんですよ。で、もう1回やったら、オーケストラのメンバーも「あそこさっきうまくいかなかったな」っていうのはみんなわかってますから、バシッと気合入れて合わせて。ミシェルさんは相変わらずふわーんってやって、オーケストラの人がたちが自然に合って、ああよかったね、って言って終わったんですけど。実はああ見えて修羅場もくぐり抜けてきた人なんだな、と感じましたね。
まあとにかく、楽しかったです。僕がビシビシっと弾いて、オーケストラが僕にビシビシッと合わせてくれて、ミシェルさんはその分ふわーんと、楽にやってくださいっていう雰囲気をずっと出してて。そうするとなんかこう、いわゆる日本人の、きちんとやってるけれどもちょっと堅苦しい演奏、ちょっと真面目すぎちゃう感じから、自然に力が抜けていくと言うか。それがとてもいい感じになったんじゃないかと思いましたね。
失われゆくフランスのサウンド、アルゼンチンのサウンド
小松亮太 恥ずかしながら僕も子供の頃、指揮者を一時期目指したことがあるんですが、あれは本当にね、棒を振るのが上手いかどうかなんて結局そんなことじゃないんです。その人が真ん中に立ってるだけで、なんとなくみんながやる気になったり、やる気にならなかったりするんですよね。
ミシェルさんなんか特にフランス音楽専門みたいな、ほとんどの生涯のうちでベートーベンとかモーツァルトとか、ドイツっぽい音楽なんてちょっとしかやったことがないような人で。練習の時も誰でも分かるような簡単な英語しか使わないし、フランス語しかできません、みたいな感じの人なんです。でもそんな人が真ん中に立ってるだけで、ああいう薫りというか、匂いがする。
僕は2日とも、バンドネオン・コンチェルトの出番が終わってから着替えて客席の方に行って、メインの「幻想交響曲」を聴いてたんですよね。で、今まであの曲何度も聴いてきたけど、いわゆるフランスの本当のサウンドっていうのがこういうものなんだ、と思ってちょっとびっくりしちゃったわけ。特に前半で。だって実際に楽器を持っている音を出してるのは日本人なわけですよ。ミシェルさんが立ってるだけでそういう音がしてるのか、それともミシェルさんが最初の練習で相当うるさいこと言ったのか、どっちなのかはわかりませんけど。とにかく、ベートーベンとかブラームスとかいう、いわゆるドイツのサウンドと絶対違うわけ。いかにもフランスの香水みたいなあの感じ。あれはびっくりした。
大きく言っちゃうと、アングロサクソンとかゲルマンとか、あるいはロシアとかスラブとかね、あるいはスペイン、フランス、イタリアのラテン系、本当に違うんだなと。で、ミシェルさんがコンサートのパンフレットのインタビューで「クラシック音楽の世界では、もうアメリカ的なサウンドかドイツ的なサウンドというものが主流になっちゃって、フランスならではのサウンドというものは本当に失われたんだ、ここんとこ、どうしたらいいのかな」みたいなことをすごく言っていて*。
これは言ってみれば全部の世界中の音楽がそうなんだと思うんです。我々はタンゴをやってるわけですけれども、アメリカともドイツとフランスとも何とも違って、タンゴじゃないと、アルゼンチン人じゃないとこういう音はしないよね、というサウンドが昔は絶対あった筈なんだけど、やっぱりそれは失われたんだな、っていうのをミシェルさんの言葉を聞いて思ったのね。
この前シリーズで配信されたピアソラ生誕100年記念のコロン劇場でのコンサートとか、あるいはアルゼンチンのクラシックのオーケストラがピアソラの曲を演奏したものとか、YouTubeでいろいろ観てきたんですけど、本当にアルゼンチンの人たちがタンゴを知らない。この10年間ぐらいはこれを本当に痛感してます。
僕、面白いレコード持っててね。1970年代ぐらいの録音で、アルゼンチン空軍の軍楽隊が「アディオス・パンパ・ミア」とか「ラ・クンパルシータ」とかを演奏してるレコードがあるわけ。ああいうのを聴くと、普段吹奏楽団でクラリネットかオーボエとかフルートとか演奏してる人たちが、みんな一応タンゴを知っているっていうサウンドがするわけなんですよ。こういうことが、今はもうアルゼンチン人からは世代交代で消えた。
アルゼンチンの若い人たちからタンゴ性っていうものがどんどん消えてるんだとすれば、外国人は推して知るべしですよね。みんなピアソラという名前は知ってるけどもタンゴというものはあんまり知らない、というのが普通になっちゃってて、その状態でピアソラ生誕100年って言っても、なんだか不思議なものばかりが出てくる。だから僕も、もう47歳になっちゃいましたけど、これから60歳位になるまでにタンゴのコモンセンスとういうものはやっぱりちゃんと持ち続けないと、これは消されてしまうな、ということは思いました。
* 林田直樹氏によるインタビュー「フランスの最長老格の名指揮者ミシェル・プラッソン、大いに語る」でも同様のことが語られている
ラテンの世界の力の抜け方、クールと熱さの共存
―― そういう意味で、プラッソンさんの音の作り方の中にタンゴ性みたいなものを感じたりした部分はあったんでしょうか。
小松亮太 プラッソンさんは、カルロス・ガルデルが生まれたと言われている土地の一つであるトゥールーズでトゥールーズ・キャピトル交響楽団の総監督を長年やっていたということで、ガルデルの曲集のアルバム (アルゼンチンからバンドネオンのラウル・ガレーロとフリオ・パネ、ピアノのアルベルト・ジャイモを招いて録音、1992年リリース) を出されてます。ただ、プラッソンさんがタンゴを知ってるかどうかって言うことよりも、やっぱりいわゆるラテンの共通項ですね。フランス人、スペイン人、イタリア人、あるいはポルトガル人、ブラジル人、アルゼンチン、ウルグアイ人、いわゆるラテン語圏の人たちが大体共通して持っている力の抜け方。強いところはちゃんと強いんですよ。その強いという事が、どうも英語圏やドイツ語圏とかと結構違うんです。どこか力が抜けてる。アルゼンチンの往年のタンゴミュージシャンの、特にバイオリンの人たちなんか見てもそうですよね。鋭いスタッカートとか、すごくビシッとした演奏をしてるように聞こえるんだけども、その映像を見たらあっけないぐらいみんなそっけない態度でやってるんです。最たるものはキーチョ・ディアス (コントラバス奏者) ですね。すごい音を出しているんだけど、とにかく態度がそっけない。特に弦楽器の人たちには結構そういう人多いんじゃないですかね。
ホセ・リベルテーラさんとかレオポルド・フェデリコさん (いずれもバンドネオン奏者) なんていう人はもうぐわーっと弾いてるけれども、その後ろにいるバイオリンとかベースとかチェロの人たちはみんななんかふわーんとした態度で、とにかく力んで弾くってことを全くしない。
僕が昔演奏したことがあるエクトル・コンソーレさん (コントラバス奏者) とかもそうですね。もうびっくりするぐらいフラフラしてますから。この人大丈夫か?酔っ払ってるのかな?っていうぐらい。一緒に演奏してる最中は心配になっちゃうんだけど、後で録音を聴いてみると、音だけががすごい。力が抜けてる状態で音のことだけを考えて、態度はあくまでクールにやってるわけ。クールと熱さの共存っていうか、顔真っ赤にしてうわぁって燃え上がるっていうのとちょっと違う所にパッションがあるんですね。これはやっぱりラテンの人は確かに凄いですよ。ミシェルさんなんかも本当にそういう感じだったんじゃないですかね。
―― 何でしょうね。言語的なものとかもあるんでしょうか。
小松亮太 あるでしょうね。言語的なこと、文化的なこと、っていうかもう社会全体がそうなんじゃないかな?まあラテンの人たちっていうのは、ともすると非常に力が抜け過ぎてて…ともするとね。誰の責任か、とか、僕の責任です、とかそんなのがなくて、まあ何とかなるんじゃないの?俺知らねーよ、とか、非常に自分本位だったりとか。例えば約束を守らなきゃ、というようなプレッシャーにある種苛まれていない。もちろんそれで困っちゃうこともあるんだけど。
日本人なんかは、すごく約束守ってきちっきちっと生きてる。その代わりいろんなことが杓子定規になって、臨機応変に対応できない。ちょっとユーモアを交えて、柳に風と受け流す、みたいなことが、非常にしづらい社会ですよね。ラテンていうのは全くその逆で、非常に柔らかい態度で、まずは好きなようにやってみてくださいよっていうのがある。それは音楽をやる上では非常に良い世界ですよね。
ある社会学者が言ってたんだけど、日本人が何でこんなにも責任感が強かったりとか、あるいは非常に自罰的というような傾向が強いのか。例えば自殺率の高さが非常に高いとか。で、ある学者のチームが世界中の子供たちを調べたところによると、日本人の子供ほど失敗した時に怒られてる子供たちはいない。でね、おそらくですけど、イタリア語圏、スペイン語圏、フランス語圏、ポルトガル語圏、この辺の国ではそういう目に遭ってる子供たちが比較的少ないと思いますよ。それがあんまり行き過ぎると、例えばマスクしろって言ってもマスクしないとかそういう方に行っちゃって、どっちがいいのか難しいところなんですけども、音楽をやるためにはやっぱりラテン世界は確かに羨ましく見えることがありますね。まずやってごらん、失敗したって怒られないんだよ、プラスがたくさんあるんだったらマイナスがあっても別に怒られないよ、と。やっぱりそういうところから力が抜けた、プラスを作っていく音楽になる。
日本人っていうのは非常にお行儀が良いですから、ともすると失敗してないやつを狙うんですよ。一生懸命やろうとしたが故に失敗してしまったっていうことよりは安全圏にとどめてきちっとする方を選ぼうとする、ということは時々あるかもしれない。まあずいぶん日本人も変わってきてるし、ラテン世界の人たちもやっぱり変わってきて、全世界的にだんだん似てきているので、あんまり一概には言えないんですけど。
3年前、イ・ムジチ合奏団の人たちとやった時も、失敗を恐れずに音楽にトライする外国人の仕事ぶりを目の当たりにしました。とにかく、本当に失敗を恐れないんだよあの人たち。自分がこうと思ったらえいやっとやっちゃうんですよ。ぐちゃぐちゃになるリスクを恐れていないわけです。恐れないことによっていい演奏になることもあれば、そうでないこともあるんだけども。そこはね、ほんとどっちを取るかだよね。
―― 今回そういう意味では、プラッソンさんが、相手は日本人だけどそういうものを引き出してうまくいったということなんでしょうね。
小松亮太 はい、本当にそうですね。
「バンドネオン協奏曲」の難しさ
小松亮太 最近でこそ変わってきたけども、クラシックのオーケストラと、我々みたいなタンゴ、ポピュラー音楽のミュージシャン、この二つはなかなか気をつけないと合いにくいです。ロックバンドと合わせる時の難しさ、ジャズの人たちと合わせる難しさ、それからクラシックの、特にオーケストラと合わせる難しさ。これ、本当にみんな違いますからね。
自分のタンゴっぽさを出したいわけだけど、現実にはクラシックのオーケストラの人たちの間合いにちゃんと合わせなきゃいけない。ちょっとしたことでいちいち齟齬が生じるっていうか。
ピアソラさん自身のバンドネオン・コンチェルトのレコードでも、ピアソラさん自身がまずオーケストラと合わせる経験があまりないのと、オーケストラの人たちがそもそもどういう曲だがよくわかってない、指揮者の人もよくわかってない、っていうことがいろいろ重なって、なかなか大変そうにしてるものが多いですよ。今やっと、いろんなバンドネオン奏者がオーケストラと共演するようになってきて、どういう曲かみんながわかってきたんじゃないでしょうか。
だから僕も、オーケストラがどんな風に出てくるのかとか、この指揮者の人はどんな風にやるのかっていう、その間合いを見て切り込んでかなきゃいけない。それが、今回は非常にうまくいった方なんじゃないかと思いますね。
世界が一つになるにつれて世界中の人から消えつつあるもの
アルバムタイトルにおいて『他』とされている部分には、1995年に22歳の小松亮太氏が初めて本格的に率いたグループである小松亮太とタンギスツのアルバム『Standards and Modern Tango』からの2曲、そして1991年に行われた『藤沢嵐子さよならコンサート』のライブ録音 (演奏は小松真知子とタンゴクリスタル) から1曲が収められている (さらにボーナストラックあり)。個人的には「バンドネオン協奏曲」と共に収録されるトラックとしてのこの選曲はかなり意外性があった。
―― アルバムの残りの曲なんですけど、これが来たか、とちょっと驚きました。
小松亮太 そうですね。本当に久しぶりに22歳の自分が初めて本格的に率いたグループの演奏を、マスタリングルームで特大の最高級のスピーカーで聴いたんですけど…まあ自画自賛のように聞こえるかもしれませんけど、ちょっと自分でもびっくりしましたね。20代前半から30代前半の人たちが、こんな音を最初の段階で出してたのかと思って。
僕はね、もっと幼稚な演奏だと思ってたの。でも意外と若者たちが、成熟した、しかもタンゴっぽい音を出してるんですよね。ソニーミュージックから改めてリリースしてもあんまり恥ずかしくない演奏になってるのが、ちょっと驚きました。
だから逆に、1990年代まではなんだかんだ言って、タンゴっぽい音がなんとなく脳みその端っこにあるような世代の人たちが、まだ残ってたのかなという感じもしましたね。こういうのって時間が経たないと分からなくて、例えば1980年代の時点で、昔のタンゴの全盛期の演奏と比べたらあんまり良くないや、というように感じたレコードってたくさんあるんだけど、2021年の今、80年代の人たちがレコーディングしたタンゴのCDを今改めて聴くと、やっぱり80年代ってまだタンゴがあったんだって感じがするんですよね。
2020年代から見た80年代はやっぱりタンゴがあったし、90年代半ばもまだなんとか、20代前半から30代前半の人たちに、タンゴというか、いわゆる古い音楽、非常にトラディションの強いローカルな音楽に対する認識というのがあった。もちろんみんな日本人で、しかも若いんだけれども。非常に月並みな言い方ですけど、いわゆる味がある、音楽の味というものはこういうもんなんじゃないかなっていうものを、辛うじて持ってた世代であったと言うことはちょっと感じましたね。
こう言っては何ですけど、今の20代前半から30代前半の人たちにピアソラの曲を演奏してくださいって言って、ああいう音がするかって言ったらほぼ出てこないと思う。それは別に日本が、アルゼンチンが、って話じゃなくて、もう全世界的に。ギターの音に対する認識、バイオリンの音に対する認識、それからローカリティの強い、トラディションの強い音楽に対する認識。そういうものがやっぱり、世界がひとつになるにつれて世界中の人から消えてきてるのではないかと、逆に思っちゃったんですけど。
で、その後に続く嵐子さんの歌なんか聴いたら、これはもう現代人にはないですね。ここまでやるかっていうぐらいの表現を、自然な顔でやる。(「ロコへのバラード」の歌い出し部分を真似て) "Ya sé que estoy piantao" って、そこまでやりますか?っていうね。でもそれは表現のためにやってることであって、無理にデフォルメして見せつけるようにやってるということとは全然違うんですよね。
失われつつあるもののグラデーション、それを押し返そうとしている自分のグラグラデーション
小松亮太 ちょうど30年前の演奏と26年前の演奏と、ミシェルさんとやったごく最近の演奏と並べてみて、自分という人間はあんまり変わってないなと思ったんですけれども、ただ、空気感というものはね。
僕、1991年の嵐子さんの引退コンサートのちょうど1年くらい前に、初めてアルゼンチンに行ってるんですよ。ブエノスアイレスで日亜物産展という催しがあって、そこでメネム大統領をはじめとした方々の前で演奏するという企画のために、うちの両親のタンゴクリスタルのメンバーとして行ってるのね。で、あの時ですら、もう現地の若い人たちがタンゴを知らないっていうのははっきりしてました。タンゴというものは地元の人たちにとって、好きな人はもちろん大好きで、そういう人たちのコミュニティもたくさんあるんだけれども、タンゴ界の一歩外に出たら本当にみんなタンゴを知らない。僕はその時高校生でしたけど、それにはびっくりしたんですね。
―― 街にある音楽ではなくなってしまった。
小松亮太 そうですね。わざわざこっちから探すとあるんだけど、街を歩けばタンゴに当たるみたいなことはほぼなくなった。31年前の時点でね。
やっぱり日一日と崩れゆくものがあって。僕みたいにそれをなんとか押し返そうとして頑張ってる人達もいるんだろうけど。だから最近の演奏と、26年前、30年前と聴いて、そのだんだん失われつつあるグラデーションというものを感じたし、一生懸命それを押し返そうとしている自分のグラグラデーションというか…。僕自身は全然変わってないんですけどね。
―― 最後に、こんなコロナの状況でなかなか大変だと思うんですけども、この先の活動について教えてください。
小松亮太 もう1回初心に立ち戻って、作曲の勉強を、また本気で頑張ってみようと思います。世の中はこんなにもピアソラの素晴らしい音楽を知ってしまって、この先タンゴどうしましょうねって言ってるわけでしょ? これはやっぱり半端なことでは乗り切れないですから。これからまた苦しい勉強をしていくつもりです。
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アルバムに収録された「バンドネオン協奏曲」では、確かに「ビシビシッと」弾くソリストと豊かに薫るオーケストラが自然にかみ合い、スケールの大きな響きが生まれている。そして、それと並ぶ26年前、30年前の録音の、そのクオリティ故に逆説的に感じられるグラデーション。前回の著書編ともども、氏の問いかけるもの、自らに課すものの大きさを感じるインタビューであった。
(ラティーナ2021年5月)
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