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[2021.01]【中原仁の「勝手にライナーノーツ」⑥】Maria Bethânia 『Mangueira - A Menina dos Meus Ohos』

文●中原 仁

───── 中原仁の「勝手にライナーノーツ」─────
近年、日本盤の発売が減少し、日本における洋楽文化の特徴である解説(ライナーノーツ)を通じて、そのアルバムや楽曲や音楽家についての情報を得られる機会がめっきり減った。
また、盤を発売しない、サブスクリプションのみのリリースが増えたことで、音楽と容易に接することが出来る反面、情報の飢えはさらに進んでいる。
ならば、やってしまえ!ということで始める、タイトルどおりの連載。
リンクを通じて実際に音楽を聴き、楽しむ上での参考としていただきたい。

 今回は「2020年ブラジル・ディスク大賞」関係者部門で第1位となったアルバム、マリア・ベターニアの『Mangueira - A Menina dos Meus Ohos』を紹介する。

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 僕の投票では関係者投票の10位だが「2位以下は順不同で・・(中略)・・サンバ+アフロのベターニアを大トリに配した」とコメントした。大好きなベターニアが大好きなマンゲイラのサンバを大好きなバイーアのサウンドを取り入れて歌う、という、個人的には思い入れあふれまくりのアルバムだ。

 話は四半世紀前にさかのぼる。1994年のリオのカーニヴァル、マンゲイラのサンバ・エンヘード(パレードのテーマ曲)は「Atrás da Verde e Rosa Só Não Vai Quem Já Morreu(緑とバラについて行かないのは死人だけ)」。ジルベルト・ジル、カエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタ、マリア・ベターニアのバイーア・カルテットへのオマージュで、4人それぞれアレゴリア(山車)に乗って登場した。パレードをスタンドから見て、4人の中でベターニアがダントツのオーラを放っていたことが今も印象に残っている。
 この返礼としてカエターノはマンゲイラ賛歌「Onde O Rio É Mais Baiano(リオが最もバイーアな場所)」を作り、『リーヴロ』(97年)の中でバイーアのリズムに乗って歌ったが、この曲を初めて録音したのがベターニア。ライヴ盤『Ao Vivo』(95年)の中で94年のエンヘードの一部とメドレーで歌っていた。

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