[2021.01]映画監督アゴスティと作曲家モリコーネ
[無料記事]
文●二宮大輔
Text by Daisuke Ninomiya
映画監督シルヴァーノ・アゴスティと作曲家エンニオ・モリコーネの友情は、想像以上に深いものだった。1960年代にデビューし、後にインディペンデントで映画制作を始める鬼才アゴスティが、これまでにつくった長編映画は8本。うち4本のサウンドトラックをエンニオ・モリコーネが担当している。驚くべきはモリコーネへの支払いだ。アゴスティ自身が以下のような逸話を語っている。
アゴスティ「今回の仕事だけど、支払いはどうすればいい?」
モリコーネ「レモンとチョコレート味のジェラートでいいよ」
アゴスティ「本当にそれでいいのか? レモンとチョコレートは食い合わせが悪いぞ!」
解説を加えると、通常お店でジェラートを注文するとき、自分で二つ、ケースの中から好みの味を選んでジェラートを完成させる。大型ジェラート店となると、その種類は40から50にもなるが、食い合わせが悪いのでフルーツ系の味とチョコレート系の味はいっしょにしないという鉄則があるのだ。アゴスティは、当時すでに人気作曲家だったモリコーネへの支払いがジェラートでいいという事実に驚いたのではなく、掟破りのジェラートの組み合わせに驚いたというわけだ。
しっかりオチまでついたこの話の真偽のほどはわからないが、あのモリコーネが、およそ彼に支払えるだけの予算など持ち合わせていないだろうアゴスティの映画音楽を担当したのは、紛れもない事実である。では、そもそも二人はどのようにして出会ったのだろう。
数々の巨匠を輩出しているローマ国立映画学校の監督コースを1962年に首席で卒業したアゴスティは、1965年に同期で友人のマルコ・ベロッキオの長編第一作『ポケットの中の握り拳』の編集を担当する。同作品で音楽を担当したのがモリコーネだった。意気投合した二人は、その勢いで、1967年のアゴスティ長編第一作『快楽の園』の音楽をモリコーネが担当することに決める。
1970年代に入ると、アゴスティはスポンサーから干渉されず自らの理想の映画を追求するために、いわゆる表舞台と決別するが、モリコーネとの関係は、その後も途絶えることはなかった。その一つの理由として挙げられるのは、アゴスティのDIY精神だ。映画の制作、配給から映画館運営まで、自分でなんでもやってしまうアゴスティのスタイルに、モリコーネも共感する部分があったのだ。というのは、彼もまた、レコーディングスタジオを自ら運営していた時期があったのだ。1970年、大手レコード会社RCAイタリアの元マネージャーの誘いで、優秀なスタッフ、作曲家たちとともに、ローマの高級住宅地にある聖堂の地下に、オルトフォニック・レコーディング・スタジオを構えた。機材の入れ替えなどで経費がかさみ、1979年にスタジオを手放したが、現在もその場所はフォーラム・ミュージック・ヴィレッジと名前を変えて、数々のプロミュージシャンが愛用している。自由を求めて個人で映画館までやってしまうアゴスティに、モリコーネはシンパシーを覚えたのではないだろうか。
ではここで、二人が関わった4作品のうち、日本でも視聴できる3作品について紹介しよう。
『快楽の園』
1967年作の『快楽の園』。アゴスティの初の長編映画にして問題作。新婚カップルがハネムーンで滞在したホテルで起きた一夜の出来事を描いている。敬虔なカトリックの家庭で育った幼少時代がトラウマになっている新郎カルロは、妊娠中の新婦カルラと気持ちに隔たりが出来ている。カルロは暗鬱としたまま、真夜中にホテルの部屋を出ると、誘われるままに見知らぬ女性と関係を持ってしまう。当時のイタリアからすると、かなり過激で挑発的な内容のこの作品のためにモリコーネが用意したのは、エレキギターが躍動するミドルテンポのロックンロール。宗教によって抑圧された性を、歪んだ形で解放しようとする作品のテーマにぴったりはまった、力強くも怪しい楽曲だ。
『クワルティエーレ~愛の渦』
1987年作の『クワルティエーレ~愛の渦』は、当時のローマ市街を舞台に、4つの短編で構成された作品。短編はそれぞれ、若い姉妹、青年ふたり、老いに差しかかった男、そして老人が主人公となっており、人生における4つの段階で感じる孤独と愛をテーマにしている。短編ごとに高くなる主人公の年齢に逆らって、季節は冬、秋、夏、春の順番で展開する。極めて詩的な作品で、人物の台詞が少なく、その代わりに映像美が前面に押し出されている。そのアゴスティの映像を際立たせるのが、モリコーネお得意のストリングスの美しい旋律というわけだ。
『人間大砲』
1995年作の『人間大砲』。仕事を転々としてきた謎の男が、ついにサーカスに自らの居場所を見出す。彼の役回りは大砲の筒に入り、吹き飛ばされる曲芸を見せる「人間大砲」だ。恋仲にあるアシスタントや、サーカス団の仲間たちと楽しく過ごしていた主人公だが、恋人に裏切られたことで、厳格を伴う精神的危機に陥る。というのが、だいたいのあらすじなのだが、こちらも台詞はほとんどなく、独特の陰影で構成された映像がただただ流れてゆく。「嫉妬 感情の底辺だ その下は憎しみだけ」とつぶやく主人公の感情を、モリコーネの優美なストリングスが物語の終焉へと誘う。
今回アゴスティ作品を見直し、「とんでもない問題作ばかりだ……」と改めて痛感したのだが、大作だけでなく、アゴスティのような監督にも、渾身の楽曲を提供するモリコーネも、やはりとんでもないと感じた。2020年7月にモリコーネが亡くなった際に、アゴスティがこんな追悼コメントを残している。「(エンニオ・モリコーネは)最も偉大な友人だった。ここはエンニオの一部だったもので溢れているのに、大きな喪失感を覚えずにはいられない」。DIYのアゴスティと売れっ子モリコーネ。商業的な観念を越えたところで、映画の作り手の二人は尊敬し合っていた。そしてそれが成り立つ環境がイタリアにはあるのだ。モリコーネの死は痛ましいが、二人の関係性には、今も変わらず心が温まる。
配信サイトUPLINK Cloudから、モリコーネが音楽を担当した3本ほか、6本のアゴスティ映画が視聴できます。
(月刊ラティーナ 2021年1月号)
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