[2023.8]【連載タンゴ界隈そぞろ歩き ⑥】 「サッカーとタンゴ」の宿題〜「5番」の正体
文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura
本連載の第一回「サッカーとタンゴ」にて取り上げた曲のひとつ “La número cinco” については宿題があった。
今回は、この曲の「5番」が何を指すのかについて掘り下げてみることとする。
曲についてのおさらい
“La número cinco” は作詞レイナルド・ジソ、作曲オレステス・クファロのタンゴ。1951年にアルフレド・ゴビ楽団(歌:ホルヘ・マシエル)で録音されている。
終盤見事な実況アナウンスが聴かれるが、これはウルグアイ生まれでアルゼンチンで活躍した名スポーツアナウンサーのフィオラバンティによるもので、レコーディングのための架空実況である。
歌詞の大雑把な内容は以下の通り。
土曜日の午後、とあるチームのキャプテンに一人の少年から手紙が届く。「明日行われる試合をスタジアムで応援したいのですが、私はもう2年ほども病院にいて願いが果たせません。もしできることなら、試合で使われた “5番” をもらえませんか。それはきっと私にとって最高の薬になると思います。」と書かれたその手紙に、屈強なセンターハーフは涙を流した。そして試合翌日の月曜日、病室には11人の選手が集い、小さな少年が泣きながら “5番” を胸に押し当て抱きしめていた。
後にちゃんとした訳を載せるので、ここでは雑な抄訳でご容赦を。“5番” と書いた個所は元の詞でも “número cinco” としか書かれておらず、具体的な物が示されていない。これが何を指すのか、というのが今回のテーマである。女性名詞の冠詞 “la” が付いていることから、スペイン語で女性名詞となる何かで数字の5に関するもの、ということになるはずだが、一体何だろう?
作詞家レイナルド・ジソ
勿体を付けるわけではないが、本題に入る前にこの曲の詞を書いたレイナルド・ジソについて簡単にその経歴を紹介する。
レイナルド・ジソ Reynaldo Yiso は1915年4月6日、ブエノスアイレスのリニエルスという町で生まれた。父はウルグアイ出身で鉄道会社に勤務、母はスペイン出身で、レイナルドは6人兄弟の末っ子である。リニエルスはブエノスアイレス市の西の端に位置しており、市とグラン・ブエノスアイレス(大ブエノスアイレス圏、首都圏)を結ぶ交通の要衝であった。レイナルドは幼いころから書くことが好きで、現実の人々の観察や子供らしい夢がテーマだったという。少年時代は友達とサッカーに打ち込み、地元のチームであるオエステ・アルヘンティーノでプレイ。さらに現在もアルゼンチンのトップリーグに属するクルブ・アトレティコ・ベレス・サルスフィエルドにも所属し、2軍まで上がったこともあるそうだが、脚を骨折して1軍に上がる夢は断たれた。社会人としては食肉冷蔵のリサンドロ・デ・ラ・トーレ冷蔵庫で工場労働者として働き始め、後に管理職となった。さらに後年レコード会社のマヘンタ・ディスコスでディレクターも務めている。
作詞家としては、1941年にリカルド・タントゥーリ楽団、歌エンリケ・カンポスで彼の最初の作品 “Por eso canto yo” がレコーディングされた(作曲はフアン・プエイ)。そして1943年3月にオスバルド・プグリエーセ楽団とロベルト・チャネルの歌で録音された “El sueño de pibe”(少年の夢)が評判となる。作曲は同じくフアン・プエイ。貧しい家のサッカー少年がクラブからの面接の知らせを受け、歓喜の涙とともに母親に成功を誓う。その夜見た夢の中、満員のスタジアムで彼は決勝ゴールを決める。そんなストーリーが共感を呼び、ジソの名前は一躍世に知れ渡る。そしてプグリエーセ楽団がダンスホールに出演する際の司会を彼が務めるようになる。
その後もサッカーを始めとするスポーツや、少年期にまつわるエモーショナルなストーリー、ロマンスと情熱、政治、ユーモア、歴史など様々なテーマの詞を書いた。広く世に知られている作品としては “Bailemos”(踊りましょう、パスクアル・マモーネ作曲)、“El bazar de los juguetes”(おもちゃのバザー、ロベルト・ルフィーノ作曲)などがあり、SADAIC(アルゼンチン音楽著作権協会)に登録された作品は533作にも上るそうだ。どれも叙述的でシンプルな表現によりブエノスアイレスの感性に共通する感情や情熱を表現する一方、作品を飾り立てるような比喩は使わなかった。1978年12月15日没。
参考:
Reinaldo Yiso: mucho más que "El sueño del Pibe" (Página 12)
Biography of Reynaldo Yiso (Todotango)
Reynaldo Yiso (Wikipedia)
5番=サッカーボール説
さて、5番である。サッカーにまつわる数字でまず思いつくのは背番号で、5番といえばディフェンスの要となる選手が付けることが多い。このポジションの名前がもしかして女性名詞なのでは?と思ったが、歌詞の中で手紙を受け取った選手は “el bravo centro half”(屈強なセンターハーフ)とされており、どうやら違うようだ。
以前この曲をコマラジの "Marcy & MagiのTango en Tokio" で取り上げた際に、本誌でもおなじみの西村秀人さんから「5番は実は背番号とは関係なく、サッカーボールを指す」という示唆を頂いた。サッカーをする人ならお分かりかと思うが、公式試合で使われるボールは「5号球」と呼ばれるサイズのものだ。海外でも一部を除いてこの等級は共通で、スペイン語なら “número 5”。そしてボールは “la pelota” で女性名詞である。何より、大事な試合のウィニングボールは病床の少年にとってこの上ないプレゼントとなるだろう。
そして色々調べると、これを裏付けるような文章が存在することがわかった。文筆家ロベルト・フォンタナロサの「ウィルマール・エベルトン・カルダーニャ、ペニャロールの5番」である。
この中に、下記のような記述がある。
歴史的な54年の決勝戦というのは1954年のウルグアイリーグの優勝決定戦、ペニャロール対ナシオナルを指している。この時のエピソードが “La número cinco” のオリジナルストーリーだというのだ(ちなみにパイサンドゥはウルグアイの地名)。試合の前に、ペニャロールのウィルマール・エベルトン・カルダーニャは手紙を受け取る。手紙は病床の少年からで、病のせいで大事な試合を観に行けない自分にウィニングボールをもらえないだろうか、と書かれていた。
これで決まりだろう…と思ったが、この内容に疑義を呈する文章があった。「ラ・ヌメロ・シンコ、現実とフィクションの間のタンゴ」と題されたものだ。
ここでは以下の点が指摘されている。
タンゴは1951年に初レコーディングされたが物語の舞台は1954年である。タンゴの歌詞がこのストーリーのベースになったのであってその逆ではない。
1954年チャンピオンは最高得点で決定され、ペニャロールにトロフィーが贈られた。文中言及された試合はそもそも行われなかった。
ウィルマール・エベルトン・カルダーニャはペニャロールのメンバーには存在しなかった。
おやまあ、何ということ。でも実はそもそも、フォンタナロサの物語の結末は歌の感動的な世界とはずいぶん異なったものになっている。ペニャロールは試合で地滑り的大敗を喫し、その翌日病室を選手たちが訪れて少年にボールを渡すと、少年は敗戦を罵ってボールをウィルマールの顔に投げつけた。怒ったウィルマールは少年に飛び蹴りを食らわせて肋骨4本にひびを入れた ……。
あまりに酷い結末ではないか。レイナルド・ジソの上述の作風にこんなドタバタ劇は似つかわしくない。どちらかと言えばパロディの類いと思ったほうが良いように思われる。いろいろ辻褄が合わないのはフォンタナロサが「これはフィクションですよ」と示すためにあえて仕込んだことかもしれない。
では改めて5番とは?
ストーリーがフィクションだからといってボール説自体が否定された訳ではなく、史実であるという根拠がなくなっただけだ。ただ、改めて他の可能性を考えてみる価値はある。実はフォンタナロサの文章の中にヒントがある。該当箇所のみ再掲する。
シャツ、ユニフォームを指す “la camiseta”。わざわざ言及して否定しているということは、こうも考えられるということの裏返しでもある。女性名詞であり、少年が欲しがるものとしても納得が行く。
そして既に、この曲のタイトルを「背番号5番のシャツ」と日本語に訳している方がいる。大澤寛さん。タンゴ歌手Sayacaさんのお父様で、2020年1月に惜しくも他界された方である。大澤さんがライフワークとして取り組んでいたタンゴの訳詩を集めた「アルゼンチンタンゴ 歌の世界へ」(非売品)の2巻に収録されたこの曲の歌詞を紹介しよう。
この件についてSayacaさんにお話を伺ったところ、実はネイティブの感覚では西村さんの言う通り “pelota”(ボール)なのだそうだ。それを踏まえた上で大澤さんが “camisa”, “camiseta”(シャツ)を採用し「背番号5番のシャツ」とあえてしたのは、訳詞者としての表現であり新たな解釈の可能性の提示だったのではないか、とのことだった。実際大澤さんが訳された詞の世界ではシャツであることが自然に思える。
というわけでまとめると、宿題「5番が何を指すのか?」の答えはネイティブの一般的な感覚では5号サイズのボール、ただし表現の可能性としては背番号5番のシャツもあり得る、ということになる。
音源
最後に作詞者レイナルド・ジソに敬意を表し、彼が作詞したタンゴをプレイリストの形で紹介したい。1は今回のお題の曲、2、3は文中言及した彼のキャリア上重要な曲、4〜6はサッカーを題材にした曲である。また最後の2曲はジソの妻サラ・ライネル Sara Rainerの名で登録されているが、実際はジソの作である模様。我々日本人にはなかなか詩の内容まで味わうのは難しいが、良い曲が揃っているので雰囲気だけでも感じ取って頂ければ嬉しい。
(ラティーナ2023年8月)
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